今月のインタビュー

医療・福祉のあらゆる分野の第一人者の方々に、ご専門分野に関する現状・課題・今後の展望などをおうかがいする「今月のインタビュー」。
多くの看護師、医療従事者の方々にとって"目指すべき医療とはなんなのか"を考えるきっかけにしていただけるよう、毎月テーマを厳選してお届けします。

第47回 2007/03

看護学の成り立ちと今後の発展に向けて

医療の高度化・複雑化、加えて医療報酬の改定など、医療や看護の現場は激変の時代を迎えています。そして、看護の専門性が要求される中で、看護教育のあり方ががますます重要視されてきています。今回は、日本の看護教育、看護学教育ということについて、杉下知子さんにおうかがいしました。2007年3月29日、杉本知子氏さんがご逝去されました。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

三重県立看護大学 学長
杉下 知子(故人) 氏

三重県立看護大学

他国に比べ遜色のない日本の看護教育発展過程

看護は、私たちが誕生してから高齢期に至るまで、人々が「病とともに過ごす」あるいは「健やかに過ごす」中で必要なケアを、実践活動として展開している学問です。しかし、看護学というものにはなじみのない方も多いと思いますので、看護学がどのように発展し、また展開していくのかについてお話ししたいと思います。

わが国での近代看護教育は、1885年の有志教育東京病院看護婦教育所、後の慈恵看護専門学校から始まったと考えてよいでしょう。その後、1890年に日赤看護婦養成所が発足し、看護の学校としての教育枠組みが整いました。英国でナイチンゲールスクールが開設されたのが1880年ですから、日本の看護教育プログラムのスタートはそれとほぼ同時期という、かなり早い段階から始まっていることがわかります。

1915年に内務省令で看護婦規則が制定されると、看護教育の体制が全国的に整い、看護教育の水準が整う段階に至ります。そして、1933年には日赤の看護婦養成所の入学資格を高等女学校卒業とされ、基礎学力をある一定水準に維持するという規定を設けたところが特筆される点だと思います。
戦後の取り組み状況としては、1947年、第二次大戦後に聖路加国際病院附属高等看護婦学校と日本赤十字看護婦養成所がGHQの指導で合流して、看護教育の師範学校という教育プログラムが発足しました。また同年、保健婦・助産婦・看護婦養成所規則を整えるとともに、国立病院療養所(国立の医療機関)に附属の看護学校が全国で17校開設されています。この新設の看護学校に入学した学生が卒業した年、1950年に第1回の統一した国家試験が実施されました。わが国での看護の教育および資格が整う段階に至ったわけです。

1952年にはわが国に初めて、4年制の大学教育プログラムが高知女子大学家政学部看護学科でスタートしました。その翌年、国立大学として東京大学医学部衛生看護学科という名称で、看護学の4年生の学部教育がスタートし新しい時代を迎えたといえます。近年は、大学の設置割合が急速に増えている状況にあります。

看護の学術的な部分とは

次に「学問は」という形で看護の学術的な部分を紹介してみます。「"看護"教育」という言葉は広く一般に理解されていますが、「"看護学"教育」という言葉は、まだまだ、あまり浸透はしていないように思います。

これを医学のほうと比べてみますと、かつては「"医"教育」という概念で行なわれたものが「"医学"教育」という枠組みに転換されたわけですが、これはいつ頃だったのでしょうか。これを参考に考えながら「看護教育」「看護学教育」というふうに転換する要因は何なのか。あるいは、その時点はいつ頃なのかということを考えてみたいと思います。

少し、私見を紹介してみます。例えば看護の領域の中でも、新しい領域がある学術として独立した形で認められるにはどういう基準が必要なのかという点を整理してみました。これが必要十分条件であるとは思わないのですが、私が気づいた点は3つあります。1つは、特定の教育プログラムあるいはその大学が開設された日、2つ目はその領域の学術団体の発足や学術雑誌が発刊された日、3つ目はその領域の教科書の初版本が発行された日。このような時点において、ある領域の学術活動や教育活動が始まったと考えてみることができるのではないでしょうか。

教育プログラムが大学に開設された日という点に焦点を当ててみると、1960年代から80年代までは、大変多くの先輩たちが非常に努力をしましたが、なかなか大学教育プログラムが増えませんでした。しかし、'90年代に入ると急速に大学教育プログラム数が増加してきます。そして、2000年に入ると、その設置数は120校を超え2006年4月には142校まで増加し、今後まだまだ増えると予測されています。
大学院の設置数はというと、修士課程で2000年代で70校あり、修士のプログラムも大学プログラムが増えたのとほぼ同様に1990年代から急速に増えてきました。さらに博士課程も1990年代から2000年代に急速にその教育課程が増えてきています。これは、教育プログラムが充実してくると、それぞれの専門領域の専門性をしっかりと研究し、研究者や教育者を教育していくことの重要性に気づいたことの結果ともいえるでしょう。

次に、学術団体はというと、1967年に日本看護協会の中に日本看護学会が設立されたのが最初です。日本看護科学学会は1981年にが設立されましたが、その6年後に、日本学術会議の登録学術研究団体として第14期の登録学術団体となりました。これは看護系の学会としては画期的なことでした。その後の努力で日本学術会議の第19期の看護系の登録数は18団体まで伸びてきています。
3つ目の、わが国の主な看護系のテキストの初版出版年という点で整理すると、1990年代に多数出版されるようになっています。大学が整ってきたのが1990年代以降であることから、看護の教育的学術的取り組みが、1990年代以降に活発化してきたということが理解できると思います。

欧米での看護学の発展

次に、欧米での看護学の発展状況について少しご説明します。
ご存知のように、ナイチンゲールは看護実践を「Notes on Nursing」という本にまとめ、看護を改善した看護の祖と言われている歴史的に重要な人物です。ナイチンゲールスクールは1860年に設立されました。
ナイチンゲールの特筆すべき点は、看護の基本である「観察して記録に残す」という作業を根気強く続けたことにあります。クリミア戦争の従軍看護婦として従事した中で行なわれたのですが、患者の症状を観察し、どういうところで、どういう状態で過ごした場合に命を落とさないですむか。つまり、医療・治療ではなくケアが整う形を用意すれば、死亡率がずい分低くなる、生存率がよくなるというデータをつぶさに記録に残して、そのデータをもとに、今でいうエビデンスに基づく形で示したのです。記述の仕方に統計的な手法が用いられており、ナイチンゲールは統計学者としても評価されています。これが、イギリス政府に強い感銘を与えることになり、看護の教育が重要視されることになります。この「Notes on Nursing」をまとめたものが世界的に翻訳され、日本では「看護覚え書」という本になりました。そして、教育の重要性もここで示し、ナイチンゲール方式の教育も確立したのです。

アメリカでは、1872年に、ニューイングランドに小児病院看護学校が設立されました。大学教育は、1910年のミネソタ州立大学看護学部の創設に始まっています。その翌年にアメリカ看護協会が設立。1955年には"Nursing Research"が発刊されましたが、この雑誌が初の看護研究の国際的な雑誌の発刊ということになります。1972年の段階で、大学課程の卒業生数が、病院附属看護学校の教育修了者の免許獲得数を上回る結果となっています。
アメリカでは、1960年代頃から多様な実践活動の取り組みということも模索され、ナースプラクティショナー(NP)、クリニカルナーススペシャリスト(CNS)という、より高度な専門性を持つナースの活躍の場が出現してきました。

医療の枠組みを超えた看護の取り組みへ

今、政策的にも早期退院すなわち入院期間の短縮、そして地域で生活しながら医療が受けられる体制を整えているという動きが強く進んでいます。この考え方の基盤には、おそらく今までの医療の中にはなかった「生活概念」「生活者の概念」が入り込んできているのではないかと私は考えています。

その概念を取り入れた看護の領域として、「家族看護学」という領域があります。私は、家族看護に学術的な基盤を整える活動をしたいと思っています。出生前から高齢期に至るまで、職場や学校や社会との交流を持ちつつも、生活の場は家族が中心です。病院や施設における看護とは違う視点が出てくるのではないかと考えています。
健康障害を持った状態で患者や家族が自律した生活ができるように、中心的に支援できる専門職、あるいは患者自身や家族が自ら生活を組み立てられるように支援できるような専門職など、どこの部分が自分たちの独自活動であるかということを明確化し、いかにこれらを社会に示し、あるいは教育・臨床実践・活動を展開するかが問題となるのではないでしょうか。

看護は、今までは医療という枠組みの中で発展してきました。それなりに評価はされ、社会からの信頼も得ています。しかしこれからは、医療の枠組みを超えた形で他の領域とコミュニケーションをとる、あるいは、一般の方に看護はこういう部分に責任を持って社会的に活躍している領域であるということを、誰しも堂々と説明するべきではないでしょうか。そのためには、ぜひ次世代の看護職の皆さんに、色々な学問領域の方法論や知識を身につけ、自分自身の言葉で看護学を語れるように成長していただきたいと考えています。

杉下 知子 氏(故人)
【略歴】

1966年東京大学医学部保健学科卒業。1971年東京大学大学院医学系研究科修了(保健学博士)。東京大学医学部助手(母子保健学講座)、ロンドン大学聖トマス病院医科大学客員研(臨床ウイルス学講座)、東京大学医学部講師(母子保健学講座)、東京大学医学部教授(家族看護学講座)を経て、2003年、東京大学名誉教授。同年、三重県立看護大学教授(基礎看護学)、2005年より三重県立看護大学学長。
【所属学会・役職】
日本小児保健学会評議員・予防接種委員、日本公衆衛生学会学会誌編集委員、日本家族看護学会理事、日本健康科学学会副会長、日本公衆衛生学会評議員
【主な著書】
『ライフステージと健康』(2000年、中外医学社)[編著]、『介護職を理解する―よりよい共働をめざして』(2000年、日本看護協会出版社)、『家族看護学入門』(2000年、メヂカルフレンド社)[編著]、『免疫学辞典―予防接種の基準』(2001年、東京化学同人 第2版)[分担執筆]、『ビリーフ―家族看護実践の新たなパラダイム』(2002年、日本看護協会出版社)[監訳]、『女性の健康と家族看護ウイメンズヘルスナーシング概論』(2005年、ヌーヴェルヒロカワ)[共著]等
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