今月のインタビュー

医療・福祉のあらゆる分野の第一人者の方々に、ご専門分野に関する現状・課題・今後の展望などをおうかがいする「今月のインタビュー」。
多くの看護師、医療従事者の方々にとって"目指すべき医療とはなんなのか"を考えるきっかけにしていただけるよう、毎月テーマを厳選してお届けします。

第68回 2008/12

夢のアルツハイマーワクチン、その現状と課題

高齢社会の進行に伴い、高齢者がかかりやすい病気の解明や、その予防・治療法の研究もかなり進んできました。かつては打つ手がないとされた認知症も、少しずつ解明されています。今回は、アルツハイマー病の予防や治療に役立つワクチンを開発された、田平武さんにうかがいました。

国立長寿医療センター研究所 所長 医学博士
田平 武 氏

国立長寿医療センター研究所
国立長寿医療センター

重点的に行なっている骨粗鬆症と認知症の研究

当研究所は、昭和60年、つまり昭和天皇ご在位60年という節目に、昭和天皇のご長命をお祝いする記念事業の一環としてできたものです。当時、日本学術会議から、これからは高齢者が増加するので、老人に関する問題、特に医学的な問題を解決するような研究所を作ってはどうかという提案がなされ、閣議決定された後、厚生労働省により平成7年にこの研究所が設置され、平成16年に現在の形になりました。

 老化のメカニズムと制御法の開発、加齢性疾患の原因解明と予防・治療法の開発など、10年20年研究して結果が一つ出るかどうかという長期のものから、目の前にいるたくさんのお年寄りのためのすぐに役立つ研究まで、全部で200人ほどの研究者が13の部に分かれ、本当にいろいろな研究をしています。これだけ大きな、高齢者専門の医学研究所は世界的にもまれです。

 現在、重点的に行なっている研究は、高齢者に多い病気のうち人数が多く一番困っている領域で、一つは骨粗鬆症、もう一つは認知症です。
 認知症というのは病気というより症候群です。いろいろな原因によって大脳の機能がおかされ、認知症の現象が起きます。この中で一番多いのがアルツハイマー病で、全体の6割くらいを占めています。その次に多いのが、脳梗塞がたくさんできたり、血管が狭くなって血流が十分いかなくなったりして起こる認知症で、これは血管性認知症と言います。

 日本は昔は血管性認知症が多かったのですが、今は血圧のコントロールが進みましたので、だいぶ減りました。代わりにアルツハイマー病はどんどん増えています。これは食事の西洋化、生活習慣の西洋化が原因ではないかと考えられています。欧米は圧倒的にアルツハイマー病が多く、血管性認知症は少ないのです。

アルツハイマー病の原因は脳にたまるたんぱく質

アルツハイマー病の人の脳をよく調べると、正常な脳では起こらない、アミロイドというたんぱく質がたまっていることがわかります。アミロイドはぽつぽつと斑点状にたまるので、それを老人斑と言います。ほくろやしみのような老人斑とは違って、大きさは0.05㎜くらいから0.1㎜くらいですから肉眼で見てもわかりません。アミロイドを染色して顕微鏡で見ると初めてわかります。

 このアミロイドが脳にとって有害な、毒性のあるたんぱく質であるということがわかってきて、それが原因ではないかと考えられています。アミロイドの元になるたんぱく質は、β(ベータ)たんぱくと言い、これは誰でも持っているものです。ある大きなたんぱく質の一部分が切り出されてβたんぱくになるのですが、若い人の場合はすぐ分解されます。ところが高齢になると分解する能力が落ちて、たまってきます。たまってかたまりになると毒性が出るのです。

副作用で治験を中止したアメリカのアルツハイマーワクチン

アルツハイマー病の治療で一番現実味を帯びてきているのは、ワクチンです。
 生体が細菌に感染すると、免疫系の細胞がやってきて細菌を食べたり、抗体を作って細菌の感染を防ぎます。その細菌の毒性をなくしたり弱めたりして注射すると、体内に抗体ができて次にその細菌が来ても感染しにくくなります。これがワクチンの原理です。これと同様に、免疫系が脳にたまったアミロイドを除去するというメカニズムがわかってきましたので、アミロイドを細菌に例えてワクチンと言っているのです。

 これを最初に見つけたのはアメリカの研究者です。普通のマウスはアルツハイマー病の変化は出ません。しかし、アメリカのある会社が遺伝性のアルツハイマー病遺伝子をマウスに入れて、アルツハイマー病になるマウスを作りました。生まれて10ヵ月くらい経つとアルツハイマー病の変化が出てきて、脳に老人斑ができるようになったのです。そのマウスにアミロイドのワクチンを注射したら、できるはずの老人斑ができなくなり、あるいはできていた老人斑が消えていました。この発見に世界中が驚きました。

 彼らは早速アメリカやヨーロッパで治験を行ないました。人工合成したアミロイドβたんぱく質と、免疫を高めるための免疫増強剤を混ぜて筋肉注射するという方法です。しかし残念なことに、予想しなかった副作用が出ました。マウスではなかったのですが、脳炎になる患者さんが続出したのです。筋肉注射では、免疫が強すぎて脳で炎症を起こしたのです。それでその治験は中止されました。しかし、ワクチンを打ったアルツハイマー病の患者さんが種々の病気で亡くなられた後、脳を見てみると、脳炎にかかった人もかからなかった人も、あるべき老人斑がなかったか、あるいはかなり減っていたのです。ですから、今は脳炎が起こらないワクチンを世界中が競って開発しているという状況です。

脳炎が起きない経口ワクチンの開発に成功

私は以前から脳炎の研究をしていましたので、脳炎が起こらないようにする方法を知っていました。そこで、ポリオの生ワクチンのように飲ませるワクチンを開発しました。

 実は、腸というのは非常に良い免疫器官で、長い腸の回りには全部免疫系が張り付いていて、人間の体のなかでは一番大きなリンパ組織なのです。私たちは卵を食べたり、牛乳を飲んだり、牛肉を食べたり、要するに自分ではないたんぱく質を毎日食べています。その中には脳炎を起こすたんぱく質も含まれています。しかし、腸というのは、脳炎が起こるようなリンパ球を抑え、抗体が上がるようなリンパ球はどんどん活動する性質を持っているのです。腸のそういう特徴を私たちは知っていますので、腸管免疫を使ったワクチンを作ったわけです。今のところ、マウスではよく効いていて、できるべき老人斑はできず、できた老人斑は消え、脳の機能が大きく改善されています。

 ところが人間ではまだ脳の機能が改善するとは言えません。アメリカのワクチンの治験では、ワクチンを注射して脳炎にならなかった人もいるのですが、その人たちは脳のシミは消えても病気は進んでしまったのです。ですから、まだもう一つ何かありそうなんですね。今は、脳のシミのたんぱく質は発病のスタートをきるような作用があり、シミになってしまうとシミそのものをとっても病気が進むのではないかという考え方になっています。ですから、ワクチンはアルツハイマー病になってから使うのでは遅いのかもしれません。予防が大事ということになり、私たちのワクチンを発病する前に使えるといいなと思っています。しかし、どうしたらそういうテストができるのか、その方法がわからないでいます。

治験が難しいアルツハイマー病予防の治験

アルツハイマー病予防の治験は難しいです。たとえば、60歳でこのワクチンを飲んでもらったとして、飲まなかった人たちの何人かは70歳で病気になり、飲んだ人はならないということがわかるには、何年かければいいのか、効果が評価できるかどうかがわからなくて、非常に難しいのです。

 ひょっとしたら発病後でも、私たちのワクチンは病気の進行を遅らせることができるかもしれません。筋肉注射をするワクチンは、脳炎を起こすくらいですから、目に見えない悪い作用があって病気が進んだのかもしれない。腸管免疫を使うとそこまで進まないのではないかなどと予想しているのですが、治験をやってみないことには本当のところはわかりません。

 経口ワクチンの特許を申請したのは5年前、2003年です。もちろん外国にも出していて、今、審査を受けている最中です。海外の方が先に認める可能性もありますね。すぐにでも治験をやりたいのですが、やはり、お金がかかります。企業がやらないとできないのですが、他の特許とのからみや、国有財産の特許という特殊性などから様子見をしているような状況があり、なかなか進みません。残念に思っています。

 治験に参加したいという人はたくさんいます。経口ワクチン開発の発表をした直後は希望する人の電話が殺到しました。しかし、勝手に治験を行なうことはできません。委員会が審査し国が審査して許可を得、治験者からも承諾書に署名してもらって初めてできることなのです。

 そんなわけで、ワクチンの投与がなかなかできず、患者さんにもよく叱られます。期待がすごく大きいですからね。私はちょっと言い過ぎの面があるかもしれませんが、電話がかかってきたら「もうすぐですよ」と言っています。実際にそこまで研究レベルは来ているのです。介護に疲れた人から「先生とお話しできてよかった、疲れていたけれど頑張ろうという気になります」といった話がたくさんあります。「もうちょっと待っていてください、もうすぐですから」と言うだけで皆さん元気になります。ですから、なんとか早く使ってもらえるように働きかけていきたいと思っています。

田平 武 氏
【略歴】

1970年九州大学医学部卒業、神経内科学専攻
1974-77年米国NIH, NINCDS留学
1977年九州大学神経内科助手、1982年同講師
1983年国立・精神神経センター神経研究所部長
2001年国立療養所中部病院 長寿医療研究センター長
2004年より現職
【所属学会・役職等】
日本神経免疫学会・理事長(2008年まで)、日本認知症学会・理事、日本基礎老化学会・理事、日本坑加齢医学会・理事、日本老年医学会・代議員、日本神経学会・評議員
【主な著書】
『アルツハイマーワクチン』 (中央法規出版、2007年)
『認知症を防ぐ、脳いきいき特効法』 (主婦と生活社、2007年)
『ボケを防ぐ・抑える特効Book』 (田平 武 監修/主婦と生活社、2004年)
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