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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第101回 スーツ姿 2012/11
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 穏やかな天気の午後2時すぎ。
 訪問看護師の矢沢麻衣子さん(30歳)が、訪問先のお宅で、高齢の男性と女性に頭をさげて挨拶をしています。男性は自宅療養中の塚田良平さんで、女性はその奥様です。
 塚田良平さんは、ぱりっとしたスーツ姿で、上半身部分を30度ほど挙上したベッド上に横たわり、矢沢麻衣子さんに笑顔を向けています。
 その傍らで彼の奥様が、ポットのお湯を急須に注ぎながらいいます。
「矢沢さん! お願い、もう少しだけ居てくださいな。お名残惜しいのよ。お願い!」
 矢沢さんは、現在勤務中の訪問看護ステーションをもうすぐ退職するため、塚田良平さんを訪問するのは今日が最後なのです。

矢沢さんは腕時計をちらと見て、「では」と言いその場に座ります。
 「ありがとう! なんといっても、矢沢さんは、冬美と縁のある看護師さんだもの。娘のような気もするからね。もう来てくれないと思うと、寂しくて寂しくて」
 奥様は、矢沢さんの袖を小さく引っ張ります。
 矢沢さんが、塚田さん宅を訪問するようになってから間もなく、ご夫妻の一人娘の冬美さんと矢沢さんがかつて同じ病棟で勤務していたことがわかったのでした。塚田冬美さんは、矢沢さんの3年先輩でした。
 実は、塚田冬美さんは矢沢さんのプリセプターだったため、一時期濃厚に接したのですが、矢沢さんはご両親には単なる先輩と後輩だったとしか話していません。プリセプティとして冬美さんに接したあの期間を思い出すといまも胸苦しくなるほど、辛い記憶として残っており、冬美さんに対しても、憎いのか怖いのか嫌いなのか、あるいは冬美さんの問題ではなくプリセプティという体験が辛かっただけなのか、矢沢さんは自分の気持ちがよくわからないままでいます。いずれにしても、いい印象ではありません。
 また、冬美さんの指導が熱心すぎて付いてゆけず、耐えられずに主任に「過剰な指導だ」と訴えたことも、本人に直接に言わずに言いつけたみたいで、矢沢さんの胸に後ろめたさが残っています。その1年後に冬美さんは、あっさりと別の病院に移ってしまいました。矢沢さんは自分が主任に訴えた件も関係しているのではないかとも思いました。たぶん冬美さんにも嫌われているだろうと矢沢さんは考えています。冬美さんと接したころの独身時代の苗字も、矢沢さんは塚田さんご夫妻に伝えていません。
 矢沢さんは、塚田良平さんがスーツ姿でベッド上に横たわっていることに、もはやまったく違和感を持たない自分に気付き、内心「くすり」とします。ふた月前の訪問をはじめたころには、褥そうなどのケアと保清のあとに、「スーツを着たい」というご希望に内心では首を傾げていました。寝床であるベッド上で過ごすのに、わざわざクリーニングしたスーツを着ようとすることが理解できませんでした。また、訪問時間は限られているため、スーツを着るために、その前に行うことの時間を削らなければなりませんから、スーツをやめていただくことを相談したこともありました。しかし本人はスーツを着ることに固執しました。軽いとはいえ半身マヒのある塚田さんを、ひとりで着替えさせることはできないと奥様にもお願いされました。そして、塚田良平さんは言うのでした。
 「私に接するみなさんの視線のためにスーツを着たいんですよ」
 矢沢さんも、その気持ちはわからないではありませんでした。彼女も以前、ある本に記されていた「衣服は他人の視線のためにある」という言葉が強く印象に残り、周囲にもそれを熱く語っていた時期がありました。とはいえ、塚田さんの行動は奇異なこととして矢沢さんの目に映ったのです。
 矢沢さんは、改めて尋ねてみることにします。
 「あの、ベッド上でスーツをお召しになることについて、なにか大きな動機のようなものはあったのでしょうか」
 すると、奥様は持っていたポットをテーブルに置き、目頭を押さえます。
 塚田良平さんが天井を見つめ、「あのね、それは」とくぐもった声を発すると、深呼吸をひとつして続けます。
 「あの、実はね、思い込みが激しいところなんかが似ているからか、娘の冬美と私は元々あまり関係がよくなくてね、会話が少なかったんです。さらに、冬美がアメリカで看護師をやりたいと言い出して、猛反対したらまったく話をしてくれなくなって、そのままアメリカに行ってしまったんですよ」
 冬美さんがアメリカで看護師をしていることは、矢沢さんも風の噂で聞いていました。塚田さんが続けます。
 「で、アメリカに行っちゃって、3カ月たったころかな。珍しく電話してきて、<たまには父さんと話したいから>なんて素直に言って、長電話したんです。私にあんなに打ち解けて話した冬美ははじめてでした。で、話してて、急に昔の後輩を思い出したと言ったんです。その後輩は生意気で憎たらしいけど妹にしたい感じのいい子だったと。で、その後輩が、はっとするようなことを言ったことがあるってね。<衣服は他人の視線のためにある>って言ってたと。で、父さんはスーツが似合うんだから、母さんや周囲の人の視線のためにできるだけスーツ着るように。ふふふって笑ってね、娘は電話を切ったんです。それが最期の会話になりました」
 「えっ?」
 矢沢さんは、ご夫妻から「娘は遠いところにいる」と聞かされおり、きっといまもアメリカで働いているのだろうと思っていました。
 しかし違ったのです。冬美さんはお父様と電話したあと亡くなったということでした。
 矢沢さんは、その事実に衝撃を受けしばらく絶句し、そのあと迷ったあげく、ご夫妻に、その後輩とは私のことだと名乗ったそうです。

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