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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第102回 手紙 2012/12
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 深夜。
 マンションの一室の明かりが消えます。看護師の鈴葉千栄子さん(29歳)が、寝室の電気を消したのです。彼女は大きめの事務用封筒を枕下に挟み入れ、ベッドに横になり、<明日の朝はきっと大丈夫>と思いながらゆっくり深呼吸をひとつして、まぶたを閉じます。

 彼女は、数年に一度、泣きながら目を覚ます数日間がやってきます。毎回、同じ夢を見て、目尻から流れた涙が耳方向に流れるのを感じて目を覚まします。
 その夢では、両親が離婚し、母親が出ていった日曜の朝のシーンが再現されます。小学5年生として、妹を持つ姉として平静でいなければと思い、テレビ画面を見つめたまま「じゃあね、かあさん」とそっけなく言った彼女でしたが、内心は寂しくて寂しくて頭と胸が破裂しそうでした。朝目を覚ましたところから、母親がコートのボタンをかけて大きなバックを持って出てゆき、そのあと自分の部屋に行って声を押し殺して泣いたところまでを夢に見て、寝ながら泣いてしまうのです。疲労やストレスがたまると、この夢を見ることに気付いた彼女は、疲れのバロメーターだと考えて、これが来たら休息をとるなどセルフケアに注力することにしています。
 しかし今回は、それをしても、泣きながら目を覚ます朝が何日も続いており、彼女は困惑していました。

 今日、彼女が日勤勤務を終えて休憩室でコーヒーを飲んでいると、唯一、同じ病院に就職して働いている看護学生時代の同級生がひょっこり訪ねてきて、事務用封筒を届けてくれました。学生時代の一時期に実習先だった病院に、千栄子さん宛ての手紙が届き、バトン形式で人の手を渡り、彼女に届いたのです。そのため、まるで、ロシア人形のマトリョーシカのように、人の手を通った分だけ封筒が重なっていました。
 手紙は、千栄子さんが小児科実習で受け持った津田良介君(当時12歳)のお母様からでした。手紙の出だしはこうです。
 「私が息子のそばでアイロンがけをする理由について、いつかときがきたら話しますと約束したこと、覚えていますか?」

 千栄子さんは、思い出しました。津田良介君のお母さんは、仕事の合間に風のようにやってきては、息子さんのベッドサイドでせっせとアイロンがけをし、あわただしく帰ってゆくのでした。良介君にあまり話しかけもせず、身体にふれたりもせず、ご主人のワイシャツやハンカチやご自分のブラウスに、シュウシュウと蒸気を出しながらアイロンをかけるのです。そのための足長のアイロン台が、ベッドサイドに持ち込まれていました。
 いくら忙しくても、わざわざ良介君のベッドサイドで行う必要はないだろうから、何か訳があるのだろうと千栄子さんは思いましたが、どう聞いたらいいかわからずにいました。するとある日、良介さんのお母さんのほうから言ってくれたのです。
 「あなた、私がここでアイロンがけしていることを不可解に思っているでしょ。訳があるのよ。でも、言いたくないの。人には、知られたくない、立ち入られたくないことってあるでしょ」

 手紙の続きはこうです。
 「些細なことではありますが、そのときがきた気がするので、お伝えしたいと思いました。良介は、今年の春に大学を出て就職し、現在、会社の寮に住んでいます。おかげさまでその後大病はなく、自立することができたわけです。それで、先日、久しぶりに帰省した良介と入院していたころを話していたら、あなたのことが話題になり、約束を思い出しました。実はあのとき、必死にアイロンがけをしていたのは、良介にそうしてほしいと頼まれたからなんです。落ち着くし、だるいのも少なくなるからと。そして、ボクが頼んだことは誰にも言わないでほしいと。そんなことを母親に頼んで子どもっぽいと思われるが嫌だったんでしょうね。良介は小さなころからアイロンがけする私のそばで寝るのが大好きでしたから、私は息子の頼みに深くうなずき実行していたのです」
 良介君がそう頼んだ気持ちを、千栄子さんもわかる気がしました。彼女も小さいころ、お母さんがアイロンをかけたり、縫い物をしているそばにいるのが大好きでした。アイロンや縫い物は、出かけずに一日家にいるときにしかお母さんはやらないことを知っていた千栄子さんは、安らかさやうれしさで胸一杯になったものでした。

 手紙の最後にはこう書かれていました。
 「忙しくて手厚い子育てはできませんでしたが、そんな母親でも、息子が自立した今、たとえ息子がそばにいなくても、アイロンがけをするときは、息子の無事を祈り、願いながらしているんです。誰だって母親というものは、ずっとずっと一生、子どもの無事と幸せを、祈り・願いつづける生き物なのだと思います」
 生き物、という表現が千栄子さんの胸に響きました。彼女は、25歳のときにお母さんに再会して以来、ときどき連絡をとり、一緒に食事したりもするようになりました。仲良くはしていても、娘を置いて出ていった母親に対して拭えない恨みを抱えている千栄子さんなのですが、手紙を読み終え、その固まった感情が少しとけはじめるような感覚になりました。何人もの人が、この手紙を放置せず、バトン形式で彼女の元に届けてくれたこともうれしく思いました。

 翌朝、千栄子さんは、予感したとおり、あの夢と涙の目覚めにはならなかったそうです。

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