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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第103回 年越しカウントダウン 2013/1
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 大みそか。23時55分。
 看護師の草間美希さん(30歳)が、あわてずに、しかし速やかに、個室病室に入っていきます。室町征二郎さん(70歳)からさきほど「座薬を入れてほしい」とナースコールがあったのです。
 「すみませんね。朝まで我慢できそうにないのでね」
 室町さんが入室した草間さんに言いました。彼はいつも男性にしては高めの声です。彼には、疼痛時用として痛み止めの座薬が処方されています。明け方くらいかな、という草間さんの予想より早いコールでした。
 草間さんは「いいえ」と穏やかに微笑んで、室町さんの容態を確認しながら座薬挿入の準備をします。
 と、草間さんがそれに待ったをかけ、言います。
 「いま何時でしょうか。いや、何分でしょうかね」
 「あと3分くらいで0時ですね」
 「そうですか。ならば……、せっかくですから……、年越しの0時ちょうどに座薬を挿入していただけないでしょうか」
 「は?」
 「せっかくですからね。でも、わたしのような嫌な患者には、そんなのお断りかな? わかっているんですよ。わたしは嫌味だし、ミスがあるんじゃないかって終始疑っているし、いちいち相手をむっとさせる人間ですからね。それに、看護師さんは夜だって忙しいから、3分だって無駄にはしたくないでしょうしね、そう、あなたの顔に書いてある」
 「え? そんなことないですよ」
 顔に書いてある、という言葉に、草間さんはやや冷静さを失います。実は、今日の深夜勤務は、少なくない緊張がともなっているのです。ともに深夜勤務をする若手のAさんとBさんとは、年越し深夜勤務を無事遂行するために、珍しく昨日事前打ち合わせを行ったほどです。
 草間さんの病棟では、このところ、深夜帯、それも0時ごろにインシデントが続いているのです。点滴の交換や与薬などちょうど0時にするべきことが集中してしまっていることも関係していると思われ、時間をずらす調整は行われましたが、通常に比べまだまだ0時に対応すべきことが多い状態です。
 そしていま、いちばんの緊張の時間帯に突入しています。草間さんの担当業務は順調に進んでいるものの、ほかの二人の状況によってはサポートに入りたいため、正直なところ、一刻も早くナースステーションに戻りたいのです。8年のキャリアがあるナースとして、患者さんにはそれを微塵も感じさせないように対応しているはずでしたが……。
 「では、0時ちょうどに入れましょう。せっかくですからね」
 と言いながら草間さんは、さっきより大きく微笑みます。
 「お願いします。ん? でも、そうとなったら、厳密をきしてほしいですね。看護師さんの時計、秒まで合わせてありますか? ないでしょ。えーっと、私の時計も秒まで合わせていないし、こうしているうちに時間が過ぎてしまいますよ。どうするんですか、看護師さん」
 「………」
 <室町さんは、ご自分が自覚している以上に相手をむっとさせる人ですね>と草間さんは心中でつぶやき、正確にカウントダウンできる方法を考えます。
 「あっ、看護師さん、やはり、テレビがいちばんでしょ。借りてきて!」
 草間さんの病院では、テレビは患者さんが業者からリースする方式となっていますが、室町さんは借りていません。だからといって、いま、草間さんが借りてくることはシステム上も時間的にも不可能です。
 「それは無理です、室町さん。えーと、そうだ、携帯電話のワンセグはお持ちですか?」
 「携帯は持ってるけど……」
 草間さんは、急いで室町さんの携帯電話を開いてワンセグにし、テレビのNHKの画面を出します。時刻表示が、23時58分から59分になります。
 ベッドのオーバーテーブルにワンセグを立てかけて、室町さんは側臥位、草間さんはそのベッドサイドの立ち、座薬挿入体勢となり、二人は黙って小さなテレビ画面に注目します。
 草間さんは、実家での年越しの風景を思い出します。夜になると、みな居間のこたつに集まり、蕎麦を食べ、なぜかフライドチキンを食べ、煮物を食べ、みかんを食べながらテレビを見て過ごし、0時を迎える瞬間には、みなで「5、4、3……」とカウントし、年が明けると、「新年おめでとう、今年もよろしく」とあいさつをしあうのが恒例でした。ここ数年で、祖父母は亡くなり、妹は結婚して家を出て、弟はなぜか近所のアパートに住むようになり、草間さんは勤務が入っていなくても新年が明けてから帰省するようになりました。今年は両親二人、場合によっては気まぐれな弟も加わり、いま、ひっそりと年越しをしているはずです。子どもの頃に大勢でカウントダウンしたことがなつかしく、そして、時が過ぎてしまった寂しさを覚えます。
 さて、いよいよ、カウントダウンのタイミングがやってきます。草間さんは、絶対に0時ちょうどに座薬を挿入しなければという気持ちになり、自然と声が出ます。
 「10、9、8、7」
 室町さんも「7」から声を重ねます。
 「6、5、4、3、2、1」
 無事、0時ちょうどに座薬挿入です。
 「やった!」と草間さん。「おー」と室町さん。
 二人の目が合い、草間さんが自身の右手のビニール手袋に目を転じ、室町さんもそれに注目します。
 3秒ほどぽかんとしたあとに二人は、同時にクククと笑いだします。
 「室町さん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
 草間さんが、かしこまった口調であいさつすると、おかしくて仕方ないといったふうに室町さんはおいでおいでをするように手を振ってそれに答えます。
 そして、草間さんが病室を退出するとき、室町さんはぼそぼそと、聞いたことのない低い声でいいました。
 「ありがとう。草間さん。一緒カウントダウンしてくれて」
 はじめて室町さんは、彼女を看護師ではなく名前で言いました。
 もしかして、室町さんは、あえて0時直前にナースコールしたのかもしれない。病室で年越しをすることになった彼にも思うところがいろいろあるのだろうな。むっとさせられるけど、憎めない人だな。草間さんは、ナースステーションへ戻る廊下を歩きながらそう思ったそうです。

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