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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第109回 鍵付きの本棚 2013/7
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 日曜日の昼前。
 平屋の一軒家。家をぐるりと囲む生垣はきちんと刈り込まれています。
 この家の一室に、50代の女性と若い男性3人が座り込み、全員が文庫本を手にとっています。4人のそばには、ガラス扉付の立派な木製本棚がでんと構えています。
 この家の家主は太田康太郎さん、82歳。その娘であるトキエさんと、彼女の息子たちが、康太郎さんの部屋に集まっているのです。

 昨夜、康太郎さんは救急センターを受診しそのまま緊急入院しました。その際に付き添っていたトキエさんに、康太郎さんは、この本棚の鍵のありかを教えて目を閉じたのでした。彼以外に、誰も開けることができなかった本棚です。
「いやー、謎がやっと解けたね!」
 トキエさんの長男が言うと、それを受けてみなが顔をあわせて笑顔になります。
 この本棚は、15年ほど前に康太郎さんが購入しました。その中に少しずつ増えてゆく本は、だいたいは詩集で、それもみな文庫本でした。また、同じ本が2冊、場合によっては3冊収められているのが、ガラスの扉越しに見えました。
 兄弟が文庫本をパラパラめくりながら順にいいます。
「だから、余程さ、詩が好きになったのかなと思えば、そうじゃなかったんだよな」
「そうそう、ほら、ここに同じ詩人の詩集が4冊もあるだろ、よほどのファンなのかなと思って、勇気を出して、じいちゃんにこの詩人のことを聞いてみたら<誰だ、それは>なんていうんだもんね。とぼけてるんじゃなくて、ほんとに知らない感じだったから」
「あのとき、じいちゃんはボケたんじゃないか、ってみんなで心配したよな」
 しかし、康太郎さんにボケた様子はまったく見られず、かといって、この本棚の本の謎については、それ以上康太郎さんに問われることはなく、太田家の七不思議と化し、そのまま時が過ぎたのです。康太郎さんは、気難しく短気で、常に憮然とした雰囲気を漂わせている近寄り難いオーラがある人のため、家族でもあまり気軽に話しかけることができないのです。
 そして、康太郎さんの本棚の中身は着々と増えていきました。
 昨夜、康太郎さんははじめて入院したベッドの上で、心配顔で覗きこむトキエさんに、こう言ったのでした。
「オレは、もはや、これまで、かもしれない。本棚の鍵がオレの机の一番下の引き出しの奥にあるから」
 そして眠りました。
そのあと担当医師からトキエさんに康太郎さんの病状説明がありました。
「点滴で脱水を改善して、それからこの際ですからもろもろの検査をして、それから退院できると思います」
 トキエさんはほっとしたのでした。

 トキエさんが、文庫本をパラパラやりながらいいます。
「もはやこれまで、と思ったおじいちゃんがさ、本棚の鍵のこというんだもの、遺言とか、株券とか、そういうもんかもと思うよね」
 一体、なにが康太郎さんの本棚にあるのだろう、と、トキエさんら4人は、今朝、朝ごはんもそこそこに、本棚を開けてチェックをはじめたのでした。

 そしてまもなく、詩集の文庫ばかりであること、同じ本が複数あること、の謎が判明したのでした。これらの本は、どうやら、読むためではなく、パラパラ漫画を描くためのものだったのです。詩集は、ページの下のほうに余白が多いため絵を描きやすく、文庫本は手に持ってパラパラとやりやすいサイズでした。同じ詩集があったのは、ページ数や余白の具合が気に入ったのだと推理できました。
 本棚内のすべての本にパラパラ漫画が描かれていました。季節のうつりかわりを描いたもの、猫が海や山をこえて友達に会いに行く話、大縄跳びの中にひとりずつ入ってゆき、やがて一人ずつ抜けてゆく話、柿の種から芽が出て実をつけるまでの8年間の話、などがありました。
なかでも、4人が読後にしんみりとしたのは、5歳のときに事故で亡くなったトキエさんの兄の一平さんが出てくる話でした。その話は、お葬式のあと、実は生きていたことがわかり、一平さんがすくすくと育ち、結婚して子どもも生まれ、みんなで暮らしている話でした。4人が思わず泣いてしまったのは、一平さんの子どもの男の子に、自分が描いたパラパラ漫画を見せて康太郎さん(漫画では顔は康太郎さんで身体は犬)が幸せそうに大の字になって寝るくだりでした。

 次男が、手にしていた文庫本を本棚に戻しながらいいます。
「でもさあ、詩集の謎がわかったのはいいけど、じいちゃんは、なんで昨日、母さんに鍵のことを言ったのかなあ。なにか、とても大事な意味があるんじゃないかな」
「そうなんだよねえ」
 4人は、首を傾げます。

 ―――それから一時間。
 未読のパラパラ漫画をつぎつぎと読み続けていた4人ですが、三男が何かに気付いたようです。
「あっ、もしかして、これ」
 どの文庫本にも、カバーの折り返し部分の内側の同じ箇所に、数字とともに、文字がかかれているのを三男が発見しました。
 4人でカバーを全部外し、その数字順に並べてみると、果たして、それは、康太郎さんから家族へのメッセージでした。4人が大好きだったこと、いい人生が送れて幸せだったこと、4人に感謝しているということが書かれ、ラストは犬の身体をした康太郎さんが、たくさんのページを使ってゆっくり御辞儀をし、そのあと手を振ってさよならをする場面となり、最後の最後のページにはハートが描かれていました。
「じいちゃんが、ハートって、意外」
 4人は笑いながら涙をこぼしました。
 しかしその後、次男がまた、「でも、昨日、鍵のことを言ったのはほかになにか意味があるのでは」と言い出し、一同首をかしげたのです。

 数日後、康太郎さんは無事に退院し、元の暮らしに戻り、近寄り難いムードも復活したため、病院で本棚の鍵のことを教えた意味について、4人はいまだ聞けないでいるそうです。

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