Archive

小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第115回 嫌です! 2014/1
dotline

 夕方の某病棟のナースステーション。
 最近は、廊下と隔たりのないオープンスペースなナースステーションが多いのですが、ここはしきりやドアのあるつくりになっています。出入口のドアが頻繁に開閉され、夜勤や日勤ナース、そして医師らが入り混じり、室内はざわついています。

と、みなが一斉に動きと会話を止めます。
意外な人が「嫌です。絶対に嫌です!」と、いつもより何倍も大きな声で言ったためです。普段大人しい人は、少し声を荒げただけでも、怒鳴ったくらいのインパクトを周囲にもたらすものです。
 声の主は、キャリア8年目のナース・倉持さん。看護師長から、明日の日勤を遅出勤務に変更させてほしいと相談されたことに対する返答でした。
 みなは動作と会話を再開しますが、声のボリュームを下げ倉持さんと師長の会話に耳をそばだてています。
 倉持さんは、ふう、と息を吐くと、声を張って話しはじめます。
「うちの病棟で、いちばん人気のない勤務シフトは遅出だと思います。それについて、みなさんも、異論ないと思います。つまり、みんな、遅出はできれば避けたい勤務というわけです。夕方から夜にかけては、夕食の支度や家族との団欒、習い事、デートなどなど、大事にしたい時間帯ですから。それはわかります。だから、遅出に交替してほしいといわれれば、可能な限り嫌な顔をせずに引き受けてきました」
 倉持さんの病棟は2交代制。遅出勤務は13時から22時で、勤務希望が最も少ないシフトです。
 それでも誰かは遅出に入る必要がありますから、独身者など遅出勤務になっても不都合の少ない人が、どうしても勤務表に組まれがちなのです。倉持さんは、たとえ勤務予定表に遅出が多くついても不満を表したことは一度もなく、さらに、病休者が出た関係で急遽遅出勤務になったとしても嫌な顔をしたことがありませんでした。
「私、便利な遅出勤務要員とされていて、陰で<困ったときの倉持頼み>って言われていること、知ってます。それも、みなに頼りにされている証としてポジティブに受け止めるようにしてきました。融通のきく人間であることを誇りに思っていました。ぎりぎりの人数で、みんながんばっているわけですから、特別に手当てがつくとか、処遇にプラスになるとかがまったくなくても、私なりの貢献をしたいと思っていました。でも、そういう考え方をするのは、もう、やめたんです。金輪際、私をあてにしないでください!」
 倉持さんは、看護師長をにらんだあと、室内にいるナースたちにぐるり目をやると、腕組みをしてぷいっとそっぽを向きました。
 今日、倉持さんと同じチームで日勤勤務をしていたナース二人がひそひそ話をはじめます。

 今日の15時ごろ、倉持さんが、担当の男性患者Aさんの個室病室から出てきたところ、面会にやってきたAさんの奥様に遭遇しました。自宅の庭に咲いたという水仙やフリージアの束を抱えていました。奥様は、新聞紙で無造作に包んだ花束を倉持さんの顔に近づけながら言いました。
「夫が丹精したうちの庭に咲いてるんです。まだ退院できないから、せめて、庭の花をと思って、いま、切ってきたんですよ! ほら、いい香りでしょ」
「あ、あの……。恐縮ですが、当院では、生花や鉢植え植物のお見舞い品はご遠慮いただいているんです」
「え?」奥様の顔がにわかに曇ります。「どうして?」
「花瓶の水や花自体が感染源になる場合があるため、大事をとって院内全体でお断りする方針となりました」
「どうして? 個室だし、夫の病気にほんとうにさわるんですか?」
「あの、そういうルールになっているものですから…」
 花や鉢植えを感染源として避けたほうがいいのは免疫不全のある患者さんが入院している病棟で、倉持さんの病棟ではほんとは必要のない制限です。
「…………融通をきかせてくれたっていいじゃないですか! せっかく、夫を喜ばせたいと思ってきたのに」
 Aさんの奥様は、涙をぽろぽろこぼしはじめました。
 それを目の当たりにして倉持さんは、決心したように小さくうなずき、いいました。
「ですよね。Aさんの場合は、花を避けなければいけない状態ではないと思いますので、どうぞ、ベッドサイドに飾ってください。こまめに花瓶の水を替えて、そして、捨てる場合には花とわからないようカバーして捨ててください」
 というわけで、倉持さんは特例としてAさんの病室の花を認めたのでした。
 すると、チームメンバーをはじめとして、主任も師長も、倉持さんの判断を一斉に非難したのでした。ルールはルール。融通をきかせて特例として認めていると、収拾がつかなくなる、と。

 ナースステーション。倉持さんが意見を言い放ったあと、彼女に賛成する意見も出てきて、否定的な意見と対立し、また、まったく違ったテーマについて勝手な意見を述べる人もでてきて、騒然となっていきます。
 みな、疲れやストレスがたまっているのでしょうか。普段なら、電話やナースコールをきっかけに冷静になりますが、電話やコールには夜勤者が粛々と対応し、ほかのスタッフは引き続き、みながぽんぽんと考えや思いを述べます。
 そんな中、ドアがふわりと開いてよろよろと人が入ってきます。入院中の高齢の男性患者・Bさんです。少し見当識障害があります。よく見るとBさんは、涙をこぼして泣いています。Bさんの肩を抱えて彼に声をかけたナースに、彼は耳打ちしました。そして、そのナースが代弁します。
「Bさんが、私のために、そんなに喧嘩しないでほしい、とおっしゃってます」
 これがきっかけとなり、室内の雰囲気はがらりと変わって落ち着きを取り戻したのでした。

 その後、倉持さんが勤務する病院では、遅出勤務への手当てに関する検討をはじめることになったのだとか。生花や鉢植えの制限方法についても再検討が行われることになったそうです。

ページの先頭へ戻る