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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第123回 耳なし芳一 2014/9
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 『耳なし芳一』は、多くの日本人が知る怪談で、現在の山口県下関市にある阿弥陀寺(安徳天皇や平家一門を祀った寺)を舞台とした物語です。
 阿弥陀寺に住んでいた盲目の琵琶法師、芳一。平家の怨霊にとりつかれた芳一を救うため、阿弥陀寺の和尚は、彼の全身に般若心経を書きました。お経が書かれている身体部分は怨霊には透明に映り見えない、ということを和尚は知っていたのです。しかし、耳の部分のみ書き忘れ、芳一は怨霊に耳をとられてしまいます。

 某病棟で主任を務めている看護師・大東瑛子さん(38歳)にとって『耳なし芳一』は、仕事上、なにかと示唆を受ける特別な物語です。

 新人時代のある日、大東さんは、日勤勤務の終了前に自分の業務計画メモをひとつひとつ横線で消しながら、やりのこしがないか、の確認作業をしていました。そのとき、ふと、子どものときに読んだ『耳なし芳一』の話を思い出し、不安と同時に緊張感が生まれたのでした。
<芳一が耳をもぎとられて血だらけとなり瀕死の状態に陥ってしまうように、私が看護師としてうっかり何かをやりのこしていたら、そのことが原因で患者さんの命をうばうおそれもあるんだわ>
 そして、彼女の頭には大小さまざまの確認しておきたい点が一気に頭に浮かんだのでした。二時間ごとに落とす点滴を忘れていないか、尿チューブをクランプしたままではないか、食止めの方の連絡を忘れていないか、ナースコールを受けて待たせている患者さんはいないか、清拭・更衣をした患者さんの背中の下のシーツのしわをきちんと伸ばしたか……などなど。
 以来彼女は、勤務終了前の業務計画メモのチェックの際には、耳なし芳一の話を思い出して気を引き締めて行うようになったのです。

 それから時が経ち、32歳となった大東さんは病棟主任となりました。患者さんがベッド上で、名作小説や随筆の朗読CDを聴いていたのを見て、ある日彼女も実家への帰省の車中で、『耳なし芳一』の朗読CDに耳を傾けたのでした。
 朗読による『耳なし芳一』は、読書から得たものよりも、ぐっと臨場感があり、新鮮でした。それを味わいながら聴いていた大東さんは、ある箇所で「え?」と思わず声をあげてしまいます。芳一の耳にだけ般若心経が書かれなかったのは、和尚さんがうっかり書き忘れたのではなく、和尚さんから頼まれた小僧さんが書き忘れたと語られていたのです。
<だとすると、ぜんぜん、意味が違ってくるじゃない!>
 大東さん自身も、なぜ自分がこのことにこれほど大きく反応するのかわかりませんでしたが、<なあんだ、和尚さんではなく、小僧さんのミスだったのね。だと思った>と、心の中でつぶやいていました。
 朗読が終わり、しばらく車を走らせると、大東さんは次第に冷静になりました。そして思ったのです。
<小僧さんのミスではあるけど、それは和尚さんのミスでもあるのだわ。いや、和尚さん自身がうっかり忘れたことよりも、小僧さんが忘れてしまうような頼み方をしたことは和尚さんの大きなミスかもしれない。小僧さんは、ミスをした当事者である事実をずっと背負って生きていかなければならないのだし……>
 実は、大東さんにとって主任というポストが重荷でした。自分の看護業務をまっとうするだけでなく、スタッフや看護学生の教育の任もあります。もともと人に教えるのが苦手だった彼女は、向いていないかも、と思う出来事が多く、空回りしている感覚でした。私が和尚さんだとしたら、小僧さんが耳だけ見落としていて書かないでしまったことについてどう対処するのだろう。
 大東さんは、車を運転しながら、そんなことをぼんやり考えていました。

 そのときです。
 さきほどoffにしたはずの車のCDオーディオがいきなり再生され、『耳なし芳一』が途中から流れはじめたのです。
<い、いったい、何が起きたの?>
 出発したのは夕方。いつの間にか外はすっかり夜です。ちょうど、街灯が少ない畑の中の道を走っているところで、車のライトで照らしたところのみが明るく、大東さんは怖くなってきてどきどきしてきます。朗読をoffにするのも怖い気がして手が出ません。
<しっかりしなさい、私。いい大人なんだし、そう、主任なんだから、しっかりしなさい!>
 そう言い聞かせているうち、大東さんは落ち着きを取り戻し、気がつけば朗読は、和尚さんが芳一に詫びるくだりのところまで進んでいました。和尚さんは、残りの写経を頼んだ小僧さんが耳にだけ書洩らしてしまってことを正直に説明し、詫びたのち、手厚く芳一の怪我の手当にあたったのでした。
 それを聞き、大東さんははっとしました。
<和尚さんは、すべての事実を正直に説明したんだね。そう、そうだった。私だったら、かっこつけてすべて私のミスでと言ってしまうかも>
 そうして大東さんは、主任としてからまわりしていた理由のひとつがわかった気がしたのです。かっこつけて、力が入りすぎていたことを。

 そして先日、看護師長にならないかという話があり、大東さんは受けるかどうか、結論を出すときに、また『耳なし芳一』の話を思い出したそうです。
「怪談なんだけど、私にとっては教科書みたいなところがあるかも。師長の話もね、受けることにしました。組織マネジメントもトライしてみたいって、芳一が和尚さんを信じることができた所以や、阿弥陀寺の寺男や小僧さんたちの思いなどを考えているうちに、そう思えてきたんです」

 あの日の運転中、急にCDが再生された原因については、わからないままだそうです。

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