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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第126回 オノマトペ 2014/12
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 午後。ある個室病室。
 ベッド上に、崎山友和さん(65歳)が目を閉じて仰臥位で横になっています。交通事故による骨折と外傷の手術は無事終了し、呼吸は人工呼吸器を使用せずとも問題のない状態ですが、頭部打撲の影響をうけ意識がまだ戻っていません。
 崎山さんのベッドサイドで看護師の真山秀美さん(29歳)が点滴などのチェックをしていると、崎山さんの妻・冬子さん(65歳)が入ってきます。真山さんが、ほほ笑んで会釈すると、冬子さんはバツの悪いような表情になって会釈すると、いいます。
「あっ、真山さん。昨日は、えーと、つい、声が大きくなってしまって失礼いたしました。早く目を覚ましてほしいという期待とか、このまま目を覚ましてくれなかったらどうしようという不安が押し寄せてきて、我を忘れてしまって……。でも恐縮ですが、今日も語りかけたいと思います」
「気になさらずに、ぜひ、がんばってください。とても大事な働きかけだと思いますので。でも、無理はなさらないように」
 冬子さんは五日前から、夫の友和さんに意識的に話しかけるようになりました。
「夫は、なにをするにしても、オノマトペを言うのが大好きな人でしたからね。オノマトペには魔法のような力があるんだと言っていました。実際、スポーツ選手でも意識的に活用している方もいるそうですよね。とにかく、夫は朝目を覚ました途端にダーッと言って伸びをして一日をはじめる感じでしたから」
 友和さんはよく「ここぞというときにはオノマトペで力づけてくれ」と言っていたそうで、いまこそが「ここぞというときだ」と考えた冬子さんはオノパトペをふんだんに盛り込んで、友和さんに話しかけるようになったのです。話しかける声のボリュームには変化があり、ときとして大声になります。
 昨夜、準夜勤務だった真山さんがこの病室にやってきた際に、冬子さんは大声で夫に話しかけていたのでした。
「……だからね、今日はワッワッセでゴーンと家のことをやり、開店してすぐガラガラの銀行にトットコ行ってね、途中、ジューススタンドで青汁ミックスをゴックゴック飲んで、それから病院にバーっとやってきたのよ。病院のロビーはコーヒー屋さんのコーヒーのにおいがぷーんとして、空気がどろどろたまっている感じの会計のロビーをささっと過ぎてここの病棟にくると、廊下をどたどた歩いている看護師さんとか、おどおどした感じの人がいてね、それから友ちゃんの担当でここによくきているカクンカクンした感じの看護師さんはね……」
 病室のドアが少し開いており、言葉が聞こえて入りそびれて足が止まってしまった真山さんが、とんとんとドアを叩いて入室すると、それを認めた冬子さんは、声をとめ、はっと我に返ったようになり、あわてて口を手でおさえたのでした。どうやら、カクンカクンした看護師とは真山さんのことだったようでした。
 冬子さんの夫への語りかけをきっかけに、スタッフステーションでオノマトペが話題になっていました。<言う人の本音がストレートに反映される><わんわんなどメジャーなものは別にして案外表現に個人差がある>などです。同僚に「私、カクンカクンした感じ?」とたずねて「たしかに、どことなくそうだ」と言われた真山さんは、自分のことを何もわかっていない気持ちになりました。
 真山さんは、友和さんの点滴チェックなどをし終えて、病室をあとにしました。そのタイミングで冬子さんは、しずかに友和さんの耳元で、オノマトペ満載の話をはじめたようでした。

 その夕方。
 日勤を終えた真山さんがスタッフステーションから出てくると、冬子さんが泣き顔で立っていました。
「あっ、真山さん! ど、どうしましょう。なんだか急に頭が空っぽになってしまって、オノマトペが思いつかなくなってしまったんです。なんかね、ちょうどいま、とぎれずに話しかけたほうがいい気がしているんです。なのに、そんなときに限って出てこなくなってしまって、真山さん、お願い、助けて!」
 勘というものは、大切なものです。真山さんは友和さんのベッドサイドにひっぱられてゆきます。
「どんなのがありましたっけ? おしえて。バラエティに富んだオノマトペをいまどんどん夫に言ってあげたいの。お願い!」
 冬子さんにそう言われて、真山さんは考えます。
「えーと、そういえば祖父は、油を注ぐとき、とよとよって言っていました。それから、うさぎ、ぴょんぴょんとか」
「友ちゃん、とよとよだって。たしかに油、とよとよって感じかもね。うさぎぴょんぴょんは普通だけどね。あとはなにかない?」
「えーと……」
 そこへドアノックがあり、同じ日勤だった看護師・安藤さんが顔を出し、真山さんを手招きしてスマホ画面を見せます。画面には「オノマトペの歌」というタイトルの歌詞がかかれています。さきほどのスタッフステーション前での、真山さんと冬子さんのやりとりを聞き、ネット検索してくれたようです。
 すると、冬子さんがスマホを覗きにきて「あら、あなたもちょっとベッドのほうにきて!」と安藤さんをひっぱります。
 そして、結局、スマホの画面を安藤さんが読み上げ、それを冬子さんと真山さんが繰り返す形となりました。
「ゴロゴロゴロゴロ トンカトントントン エッヘン トコトコ ガラガラガラガラ……」
 思いが高まってきたのか、だんだんと冬子さんの声が大きくなります。その気迫につられて、看護師二人も声が大きくなります。
 と、そのときです。
「うるさい」
 男性の声がしました。声の主は友和さんでした。
 女性3人が目を丸くして彼に注目します。

 しばし間があり、彼の目がゆっくり開きます。そしてぽかんとした表情になります。冬子さんがすぐさま彼の顔を覗き込んで言います。
「ごめん! うるさかった?」
「うん……。でも、ありがとう」

 そう答えた友和さんは、あとになって「あの歌の最後は、ペンペンで終わるんだ」と言ったそうです。

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