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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第127回 再会の可能性 2015/1
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 A総合病院の循環器内科病棟。窓の外はからっと晴れています。
 15時となり、病棟の廊下に面会の人たちの靴音が響きはじめます。
それを耳に感じながら、二人部屋の窓側に入院中の夏木直治さん(65歳)が、仰臥位の状態で眼を閉じて思案しています。別の病室へ移りたいとナースに言おうか、やめようか、と。

 今日の未明、夏木さんの同室の患者さんが亡くなり、彼はその一部始終を聞いていたのでした。亡くなる前の患者さんの息遣いや思わず出たような声、ナースや医師のきゅきゅっという運動靴の足音や、ベッドがきしむ音、などなど。
 夜が明けて外が明るくなり、看護師長が夏木さんのベッドサイドにやってきました。
「通常ですと、あのような場合は個室におうつりいただくのですが、昨夜はどうしてもベッドの調整がつかなかったので。気になって眠れなかったのではないでしょうか、申し訳ありませんでした」
「い、いや、大丈夫です」
 そう応えた夏木さんでしたが、同じ部屋のすぐそばで一人の人が臨終を迎えたことについて、頭では「病院なのだから、当然そういうことあるだろう」と納得できても、心の動揺は静まりませんでした。次に入ってくる患者がまた亡くなったりする可能性もあると考えると、もはや二人部屋にはいたくないと思えてきました。
 しかし、元々二人部屋への入院を希望したのは、夏木さんだったのでした。差額ベッド代も支払って入院しているのです。夏木さんは、心の中で腕組みをします。
<いまさら二人部屋は嫌だと訴えるのは、わがままな患者だと思わるかもしれない。でも、正直、また明け方のようなことがあるのは辛い>
 そこへ病室のドアが開く音がし、「失礼しまーす」というナースの声のあと、夏木さんのベッドをぐるり囲むように閉じられているカーテンの一部が開きます。
「夏木さん、お隣のベッドに、別の病室から、下山さんが移っていらっしゃいました。どうか、よろしくお願いいたします」
 そう言ったナースが押してきた車いすには男性が座っています。その彼と夏木さんは目が合い、互いに会釈をします。
 病室に移ってきた男性は、下山隆司さん(67歳)です。入退院センターの手違いで入院予約していた消化器外科病棟のベッドが空いておらず、一泊のみ、この病室に入院することになったのです。
 しかし、その事情を夏木さんは知りません。実は、未明に亡くなった患者さんも、三日前に下山さんのように車いすで入院してきたのでした。夏木さんは考えます。
<いま、別の病室に移りたいと言ったら、この下山さんという人を嫌って出て行くみたいで、彼が気分を害するかもしれない、さて、どうするか>
 
 夏木さんと下山さんは、当人同士はまったくの他人ですが、実は因縁のある二人なのです。
 二人の妻の夏木幸子さんと下山妙子さんは、看護学校の同級生で実習グループも同じだったのでした。
 幸子さんと妙子さんは、三年生の夏休み前の婦人科病棟実習がうまく行かず、辛くて、毎日実習が終わってから、二人してロッカールームで泣いたのでした。そして、なんとかその実習を終えた日に二人は、いつものロッカーで抱き合っておいおい泣いたのでした。
「あたしたち、二人でこうして泣くことができたから最大の難関を乗り越えられたんだよね、将来、どちらかがものすごく辛い状態になったとき、今日みたいに二人して泣いて乗り越えようね」
 絶対ね、といって指切りをしたのでした。
 しかし、学校を卒業するころ二人は、それぞれ違う仲良しグループにいて、就職先も違ったため、卒業後は顔を合わすことはなくなりました。そして時がすぎ、お互いの連絡先もわからない状態となっていました。

 卒業して37年。58歳になった二人は、学生時代に泣きながら交わした言葉を、いま繰り返し思い出しています。二人ともなんとか乗り越えたい辛い状況にあるのです。しかし、連絡先を探す余裕もなく日々を送っています。
 その二人が再会できるチャンスがいま、偶然にも訪れています。互いの夫がたまたま同じ病室に入院しているのですから、面会にきてばったりという確率が高いわけです。
 ただ、夏木さんが病室をかわれば、再会の確率はぐっと低くなります。

 と、下山さんのベッドサイドに主治医らしい男性がやってきました。下山さんに声をかけます。
「予定していた病室のベッドをすぐに空けられる可能性が出てきました。そうなったらすぐ移っていただけるようにしますのでね」
 下山さんが消化器外科病棟にすぐに移ったらなら、幸子さんと妙子さんの再会の可能性は、やはりぐっと低くなります。
 夏木さんは思います。
<だったら、下山さんという人に気がねはいらないだろう。この人が外科病棟にうつるとしたら、次に循環器科のどんな患者が入ってくるかわからない。つまり、また明け方のあのようなことが起こるかもしれない>
 夏木さんはナースコールでナースを呼び、病室をかえてほしいと伝えます。そのナースは日勤のリーダーで、未明に患者さんが亡くなった件で夏木さんは少なからずショックを受けている様子だと別のナースから報告を受けていたため、できるだけ彼の希望に応えたいと考えます。
「ご希望どおりにできるかどうか、看護師長とこれから検討してまいりますので」
 そう言ってナースは、退出しました。
 夏木さんがこの病室を出れば、やはり妻たち二人の再会の確率は大きくさがります。
 夏木さんと下山さんが、世間話でもはじめて、互いの妻の話にでもなれば同級生だと判明するかもしれません。しかし二人ともベッド周りのカーテンをぴたりと閉めており、コミュニケーションをとる気配はありません。
 いま、この瞬間に二人の妻が面会にやってくれば再会できるのに――。
 でも、そうはうまくいかないものです。世の中には、こんなすれ違いがつねに多発していて、すれ違いがあったことに気づかずに私たちは暮らしているものなのでしょう。
 夏木さんのベッドサイドに、看護師長がやってきます。
 看護師長のあとに、下山さんの主治医も病室に入ってきます。
 ということは、夏木さんも、下山さんもこの病室を出て、自動的に二人の妻の再会はないままとなるのでしょうか。

 19時過ぎ。
 A総合病院前のファミレスの一角で、中年女性二人が向き合って座り、ハンカチで目頭をおさえています。
 なんと、幸子さんと妙子さんは再会できたのです。

 結局、夏木さんの病室替えの希望は叶わず、下山さんも外科病棟に移ることができ、面会時間終了ぎりぎりに二人の妻は病室にやってきたのでした。あいさつをしあってもわからなかった二人でしたが、トイレでばったり一緒になって気づいたのでした。

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