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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第133回 懐かしい人 2015/7
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 看護師の倉持千鶴子さん(45歳)は、某総合病院の内科外来に勤務しています。
彼女は友達の勧めでインターネットのソーシャルネットワーク・facebookを利用するようになりましたが、自身の記事をマメにアップするほうではなく、時々つながっている人たちの記事を読んで「いいね」を押す程度でした。
しかし、懐かしい人物から「友達リクエスト」が届いて以来、頻繁に利用するようになったのです。
 懐かしい人物とは――中学時代の同級生で、当時「恋敵」だった下條(旧姓・竹下)真美さんです。中学卒業以来会っていなかったため30年ぶりでしたが、互いの記事にコメントしたりしながら、facebookで楽しくやりとりするようになりました。苗字が、中学時代に取り合った亮輔さんの名字と同じだったので、そのまま二人は付き合いをつづけてゴールインしたのだなと、倉持さんはすぐに察しました。
<二人には最初から強い縁があったんだわ、だからあれでよかったんだよ>
 当時、身を引いた形となった倉持さんの胸には、切ない思いと小さなくやしさがふわりと胸に生まれましたが、すぐに消えました。あのようになったからこそ、その後現在の夫と出会い、子どもにも恵まれ、幸せに暮らす道へと向かえたのだと思えたからです。
そののち亮輔さんともfacebook友達となり、人違いではないかと疑うほど外見が変化していた彼に倉持さんはしばし戸惑いましたが、30年の時の流れをここで改めて実感したのでした。
 そんなある日、畳屋さんを継いだ亮輔さんに健康不安があることを真美さんからメールで聞かされました。彼は、5年前の健診で高血圧と肥満を指摘され、禁煙と減量をすすめられました。しかし、剣道で鍛えた身体に自信があり、大病の経験もない彼は、「大丈夫だ」といって何もしなかったそうなのです。
 さらに2年前に受けた検診では、糖尿病の疑いがあるため糖負荷試験を受けたほうがよい、と結果通知書に書かれていたのですが、亮輔さんは「忙しい」「大丈夫」と言って、妻の真美さんが何度勧めても受診をしなかったそうです。
 そのまま時が経ち、最近の亮輔さんは、口渇や疲労感を妻にもらすようになってきたとのことです。
「糖尿病が進んでいるからそういう症状が出ているんじゃないかと思って、心配で、心配で、病院に行こうって言うんだけど、彼ったら、病院なんて何時間も待たされるからだめだ、仕事を任せられる人間はいないから休めないよ、おまえもそれはよくわかっているだろう、なんて怒り出してさ。悪くなってからやっと病院行ったら、もっと早くきてくれれば、なんて言われたって話も聞いたことあるし。病院のプロから、ガツンって言ってやってくれない? お願い!」
 真美さんからのこのメールを読みながら、倉持さんの胸にはいろんな思いがふくらみました。
<どうして、もっと早くに受診しなかったのだろう。指摘されたときに受診していれば、辛く苦しい思いはしなかっただろうに、という状況には絶対になってほしくない>
<自覚症状がない場合に人はなかなか受診をしないものだけれど、亮輔君は、面倒なだけではなく、病気への不安や、仕事の状況などがミックスされているんだ、きっと。仕事を休めない、というのは言い訳というより現実なのだろう>
近年、昔ながらの小さな畳屋業は、ぐっと依頼が少なくなったといいます。スタッフ全員に辞めてもらい、なんとか亮輔さんは一人で稼業を存続している状況のようなのです。
<予約制になって以前よりは待ち時間が少なくなった病院が少なくないのに、病院の外来というところは何時間も待たされるという思い込みを取り去ってほしい>
 中学時代に恋焦がれていた縁ある相手に対し、倉持さんは看護師として力になりたいと思いました。
 夜、倉持さんは、亮輔さん宛のメールを書き始めました。子どものお弁当作りもあるため、早く寝なければならないのに、亮輔さんが受診に向かうことを願って、看護師としての意見を率直につづりました。ただ、業務上の記録でもサマリというわけでもなく、友達への手紙ではあるので、文章の体裁や言葉尻をああでもないこうでもないと直しながら書いたため、たいへんに時間がかかり、時計を見ると2時を回っていました。伝えたいことは書いたので、これでメール送信してしまおうと思ましたが、<誤字や脱字があるかもしれないから、明日、見直してから送ろう>と思い、送信せずにベッドに入りました。
 その翌日の昼休み。
 倉持さんは、亮輔さんあてに書いたメールをスマートフォンでチェックします。平明かつストレートに書いたつもりの文章でしたが、変にかしこまったところや硬いくだりや、中学生のようにたどたどしい箇所もあり恥ずかしくなります。
そして、中学時代に亮輔さん宛に書き、結局は出さなかった手紙のことも思いだします。あの手紙も夜中に書いて翌日読んでみると、どこかで読んだポエムのような歌謡曲の歌詞のような手紙だったのでした。
<私、思春期の頃の自分に魔法でもかけられていたのかしら。セーフ。送信しなくてよかった……>
倉持さんは胸を撫で下ろしました。
 そしてふと顔を上げると、鏡の中に映ったユニフォーム姿の自分が目に入り、倉持さんは一気に冷静になったのです。
 そして彼女は、亮輔さんに直接働きかけるのではなく、妻の真美さんが夫の亮輔さんを根気よく説得できるようにサポートすることが看護師として適切だと考え、そうすることにしました。今後、亮輔さんはセルフケア力をつける必要があり、それをそばで、しかも家族という関係でサポートをしてゆくのは妻の真美さんだからです。

 その三ヵ月後、亮輔さんは真美さんとともに、倉持さんの病院を受診したそうです。そして、精査目的の短期入院の予約をしたとか。

 保健師の資格を持っている倉持さんは、実は、地域包括ケア関連の仕事をしないかと熱心な誘いを受けていました。子どもの手がかからなくなったら、大好きな病棟勤務に戻ろう、と以前から決めていたため、思いもよらぬ打診に迷っていた彼女ですが、亮輔さん、真美さん夫婦とのかかわりを通して、やりがいが見えてきた気がして、受ける方向で考えはじめたそうです。

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