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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第139回 新年会 2016/1
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 昼下がり。
 特別養護老人ホーム・燈火の広間では、入所者や関係者が大きな丸テーブルを囲んで座り、和やかに過ごしています。ささやかな新年会が開かれているのです。
 その輪から少し離れた場所に堀越太一郎さん(90歳)と志麻さん(86歳)夫妻が仏頂面をして並んで座っています。互いに腹を立てているのです。そこだけは、こわばった雰囲気が漂っています。

 昨日の午後。
 燈火に入所中の太一郎さんは、介護スタッフの赤川さんに、入浴後にスーパーマンの衣装を着せてほしい、と頼みました。
「お召しになるの、久しぶりですね、了解です!」
 Tシャツとタイツとマントの簡易扮装用のスーパーマンの衣装を彼は持っていて、パーティなどのときに着せてほしいと希望するのです。
 今回はなぜそれを着せてほしいのか、赤川さんは察しがついていました。昨日、お孫さんからプレゼントされた、その場でプリントが出てくるインスタントカメラで、お気に入りのスタッフの石原さんと一緒に写真を撮りたいのです。石原さんはいつが勤務なのか、と何度も周囲にたずねていました。
 しかし。アクシデントが発生し、太一郎さんの入浴介助は赤川さんではなく別の人が担当することになり、その際に赤川さんはスーパーマンの衣装の件を担当者に伝えないでしまったのです。
 入浴後の太一郎さんは不機嫌になりました。その理由がわからない入浴担当者に、ティッシュの箱を投げつけたり、手を振り払ったり、声を荒げたり。
 そして夕方。仕事がひと段落した赤川さんは例の件を思い出し、あわてて太一郎さんの入浴介助をしたスタッフにたずねました。
「堀越さん、スーパーマンの衣装を着せてって言わなかった?」
「言われていませんし、入浴後から急にものすごく不機嫌になって、理由を聞こうとしてもとりつくしまがない感じで、まいりましたよ」
 入浴直後にひと言、担当者にスーパーマンの衣装を着せてと言ってくれればよかったのですが…。
 赤川さんはすぐに太一郎さんをたずねて手をあわせます。
「ごめんなさい! 今から着ましょう!」
「いや、いい」
 太一郎さんは布団をかぶってしまいます。
 オーバーテーブル上に置かれていたインスタントカメラも見当たりません。片付けてしまったのでしょう。

 スタッフの石原さんは入所中の男性たちのアイドルです。男性陣は、鼻にかかった声で〇〇さーん、と彼女に呼ばれるのが大好きなのです。
 結局、夕方から勤務についた石原さんに話しかけられても堀内さんの機嫌は直りませんでした。

 そして今朝になり、朝からの勤務についた石原さんは、赤川さんやほかのスタッフにひとつの提案をしました。
「ご機嫌が直らないと、せっかくの新年会で好物の伊達巻もおいしく食べられないでしょうから、わたし、これ、友達に借りてきましたー」
 彼女は女性用のスーパーマンふうコスチュームを紙袋から取り出しました。これを着て堀内さんをたずねるというのです。彼は個室なので、ほかの男性たちに堀越さんがうらまれることもないだろう、ということになり、みなは石原さんにゴーサインをだしました。
 そして昼前、業務の合間をみて、石原さんは例のコスチュームに着替え堀越さんをたずねました。
「堀越さーん! 布団とって、これ、見てくださーい。お願いしまーす」
 朝からふて寝を決め込んでいた堀越さんも、石原さんの声に反応して、布団をはがし顔をだし、彼女の姿を見るなり、驚きと喜びのまじった顔になり「おっ」という声を発しました。
 そして、堀越さんもスーパーマンの衣装を着たいと希望し、石原さんともう一人のスタッフで着替えを手伝ったのです。
 堀越さんはニコニコ顔でインスタントカメラを取り出し、石原さんと並んで写真を撮ってほしいと希望しました。
「では、撮りますよう」
 肩を並べたスーパーマン二人に向かってスタッフがカメラを向けました。
 そのときです。

 スーパーマンらとスタッフが、なんとなく気配を感じた入口のほうに顔を向けると――。予定外に面会にきた堀越さんの妻が、怒りの形相で立っていたのです。彼女はたいへんな焼き餅やきなのです。
 と、そこへ、別の若い男性スタッフが部屋に入ってきました。何か用事があるようです。すると堀越さんの妻は、女性入所者の一番人気の彼の背中にいきなり抱きつき、額をぺたりとつけたのです。
 すると、今度はそれを目にした堀越さんが、自分の行状を棚にあげて目を吊り上げます。彼もまた、妻に対してたいへんな焼き餅やきなのです。

 こうして堀越さん夫妻は沈黙のときを過ごすことになり、いまもそれが続いているというわけです。
 二人の前に並べられた伊達巻やかまぼこの表面が乾きはじめています。気遣ってあれこれ声をかけても二人は仏頂面のままのため、スタッフたち、とくに赤川さんが困惑しています。

 その状況を打破したのは犬でした。みながよく慣れている犬が広間に入ってきて、なぜか堀越さんの妻にのしかかろうとし、とっさに堀越さんがそれをさえぎり、妻を守ったのでした。
 かしこい犬だから、二人の状況をどうにかしたいと考えてそうしたのだ、と誰かが言ったそうです。

 また、スーパーマンの衣装を着けていなくても、妻を守ろうとした堀越さんはスーパーマンのようだった、とも誰かが言ったそうです。

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