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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第144回 思わぬ再会 2016/6
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 平日の午後1時過ぎ。
 訪問看護師の磯田朋美さん(35歳)が、閑静な住宅街の中に建つ民家の前に立ち止まり、表札の名前「宝田昌幸」をたしかめると、豪華な雰囲気の漂うその家を見あげます。お隣の家とのゆったりとした間隔を確認し、なにか腑に落ちないような表情です。
 玄関のドアが開き、姿を現した宝田昌幸さんの妻に挨拶をします。
「スマイル訪問看護ステーションの磯田です。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします。ケアマネージャーの菅原さんにはもう入っていただいちゃいました。さっ、どうぞ、どうぞ」
 磯田さんはお辞儀をしながら、<やっぱり間違いないよな>と心の中でつぶやきます。

 10年前。
 総合病院に勤務していた磯田さんは、休日に日帰りバスツアーに参加するのが楽しみでした。何も考えずにツアーに身を任せ、バスに揺られてどこかを見物し、食事や買い物をするのがちょうどいいストレス解消になっていたのです。彼女はひとりで参加し、ほかの参加者と距離をおいて誰とも話さずにツアーをたのしむタイプでした。
 しかし、ある日だけは60代後半の夫婦と一日、すべての行程を一緒に過ごしたのでした。
 宝田昌幸さんとその奥さんです。
 ふたりは楽しげに、代わるがわる自分たちの日々の暮らしについて語ったのでした。
「うちはね、一応一戸建てだけど、猫のひたいほどの狭い土地に建った安普請の縦長の建売住宅で、おとなりと距離が近くって音も結構筒抜けで、長屋みたいなものなの」
「お隣とは家族同然のつきあいで、ちょっとお醤油をね、借りたりもするくらいなんですよ」
「うちは夫婦喧嘩後の仲直りは、お互いに飼いネコを撫でながら、ぽつりぽつり足りない言葉を付け加えたり、謝ったりするから、猫がいない生活は考えられないなあ。猫は一生飼いつづけるね」
「障子にね、わざと一か所、破いて穴があけてあって、ちょうど、ベッドに寝ていると、その穴に月がはまって見えることがあるのよ」
 そして日帰りツアーが終わり、別れる際に宝田昌幸さんと彼の妻は、磯田さんに、途中の海鮮市場で買った大量の乾燥ワカメを差出したのでした。そして奥さんが言いました。
「馴れ馴れしく声をかけたのに、一日、嫌な顔もせずにつきあってくれてありがとうございました。実は、一人娘が、7年前に亡くなりまして。生きていればあなたくらいなの。なんだか、大人になった娘に会えた気がしてうれしくてね、つい、話しかけてしまったの、ごめんなさいね」
 夫妻は涙を浮かべていました。そして、ご主人が名前と携帯電話番号を書いたメモを彼女に渡したのです。
「日帰りツアーで一緒になっただけの関係で、こんなのお渡しするのはひかえたほうがいいのかもしれませんが、よかったら受け取ってください。捨ててしまってもいいですから」
「いえ、ありがとうございます。たのしかったです」
 そう返しながら磯田さんは、自分の名前と携帯電話番号をメモ用紙に書いて渡し、別れたのでした。
 帰宅してから磯田さんは、電話して乾燥ワカメの御礼を述べたほうがいいのだろうか、と考えながらも結局は連絡しないままに時が過ぎました。
 そして10年が経ったのです。
 ただ、その間、磯田さんは宝田夫妻のことをときどき思い出していました。一日だけとはいえ、あの日にいろんな話を聞いて、完全に宝田家の暮らしのイメージができあがっていたのと、娘のように思ってくれたこともあって、心に残っていたのです。

 一週間前。
 宝田昌幸さんの訪問看護の件で、あるケアマネージャーから連絡が入り、磯田さんは名前を見た途端に、10年前のことを思い出したのです。
 その三日後に、磯田さんは脳梗塞の後遺症で左片麻痺があり入院中の宝田さんを、退院後の訪問看護師として訪ねました。そして、10年前のあの宝田さん夫妻だとすぐに確信したのです。結婚して苗字が変わった磯田さんのことを夫妻はわからないようでした。

 そして今日、退院してきた宝田昌幸さんのはじめての訪問看護の日なのです。
 磯田さんは、あの日の話からイメージしていたお宅とはことごとく違うことに内心驚きました。10年の歳月を加味しても、あまりにもギャップがありました。
 まず、家は広い土地に構えるように立派に立っており、安普請の縦長のものではありません。隣の家とも距離があります。また、家の中には一生飼いつづけると言っていた猫はおらず、猫好きの気配は一切ありません。
 何気なく、お隣との関係を尋ねれば、近所付き合いはほとんどないという答えが奥さんからかえってきました。
<あれは、噓だったんだろうか>
 磯田さんは、この10年に時々夫妻をなつかしく思い出していた分、だまされた気分になってきます。そういえば、夫妻の家族歴に娘さんにまつわる記入が一切なかったことも思い出します。
 そして、信じていた自分がばかだった気もしてきて、むなしくなってきます。
<考えてみれば私もあのとき噓をついていたんだし>
 磯田さんは、あのとき職業を事務職だと説明したのでした。その場かぎりの相手なのだからそれでいいと考えたのです。看護師だというと、そのことにまつわるひととおりの会話をすることになるのが面倒でした。
<宝田さんたちだって、その場限りの私に、娘さんが亡くなったということも含め適当に作り話をして楽しんでいたのかも。それに罪はない>
 彼女は心の波立ちをしずめ、訪問看護師と利用者との関係として、自然に接しようと決めました。

 帰る段となり、磯田さんが手を洗うために洗面所を借りに向かう際、途中の廊下沿いにそれはありました。飾り棚の写真立てに入れられている女子高校生の写真です。そしてその前には、マドレーヌが供えられていました。亡くなった娘さんだと直感し、<これが本当だったんなら、細かな嘘なんてどうでもいい>と思えてきて、夫妻への親しみが一気に戻ったそうです。

 この話を伺ってからさらに半年ほどが経ち、磯田さんから<驚きの事実です!?>と いう件名のこんなメールが届きました。 <その後も継続して宝田さんの訪問を続けているのですが、数日前、宝田さん宅の廊 下を通った際に、娘さんの写真の前にたまたまお供えものがなく、写真の下の端の部 分が見えたんです。なんとその部分に、私が10年前に書いて夫妻に渡したメモが挟ま れていたんです!>  それでも磯田さんは、自分が10年前のあの時の私だとは明かさないでいるそうで す。なんとなく、そのほうがいいような気がしているのだとか。

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