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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第15回 足浴は永久に不滅です 2005/8
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 Sさん。たしか28歳。セミロングの黒髪と透き通るような白い肌が印象的な女性患者さんでした。
 私たち看護学生は、五人がかりで彼女の足浴をしました。彼女に、ベッドの端に腰掛け、踏み台の上に乗せたお湯入りの桶の中に足を入れていただいて、足浴を実施。はじめての病棟実習の三日目のことで、「ケア」と呼んでいいはじめての行為でした。ゆえに、準備はもちろんのこと、実際に足浴をはじめてからも、ちょっとしたことで手間取り、どぎまぎし、大変時間がかかってしまいました。
 私たちが、手順をささやきあいながら彼女の足元のみを見つめて洗いはじめて間もなく、監督していた病棟主任が、早口で言いました。
「Sさん、今日はここまでにしましょ!」
 私たち五人が、その声に反応して一斉に顔を上げると、Sさんの頬は青白く、唇も白くなっていました。病棟主任は、咄嗟に彼女の背中を支えていました。Sさんは、若くみずみずしい外見からは想像ができないほど悪い病状だと聞いていました。にもかかわらず、未熟な私たちは、Sさんの容態の変化を観察するのをすっかり忘れていたのです。
「止めないで!」とSさん。小さいながら意思が伝わってくる声でした。
 私たちは、自分たちの未熟さを思い知り、自信のない目を病棟主任に向けます。すると主任。
「でも、Sさん、ちょっと顔色が悪いです。続けるにしても、一旦横になって少し休まれてからにしましょう。そうさせてください」
 そう言いながら、私たちに手振りで、足浴を中断するよう指示。私たちは、Sさんへの申し訳ない気持ちと、至らなさを思い知ったショックで一杯で、彼女の足を拭く手が震えてしまいました。
 ベッドに横になったSさんは、主任に脈を計られながら言いました。
「頼むから、これで足浴終わり、なんてことにしないでね。ねっ、主任さん」
 約十分後、足浴を再開。主任が彼女に「今度は私が行います」「それと今度は寝た体勢でやりましょう」と声をかけましたが、Sさんは前回同様の姿勢(ベッドの端に座位)で、行うのは私たちで、と強く希望。看護学生の私たちで、と希望してくれたのは嬉しくもありましたが、ここはケアのプロの主任にやってもらったほうが安心なんだけど…。私はそんな気持ちでした。ほかの学生もそうだったと思います。
 私たちは、前回の足浴よりも緊張してしまい、ますます手際が悪くなりましたが、なんとか足浴を進行。主任は、いつでも対処できるようにと思っているらしく、どこか構えたような姿勢で立っていました。

 Sさんの右足を桶の中のお湯につけて一分くらい経ったころ、学生の一人が不安気な声を出しました。
「あっ、Sさんが、ご、ご気分が、お顔色が…」
 見上げるとSさんの顔と唇の色が、白くなっています。私たちはすぐに主任の顔を見ました。
 すると、主任が口を開こうとするのを遮るようにSさんが言ったのです。
「大丈夫。続けてよ。足浴ってさ、みんなが思っている何倍も、いや何十倍も気持ちいいんだから。こうして座って、洗ってもらっているのを目で確認しながら、気持ちよさを実感するのがいいの。ほんと、足浴って気持ちいいの。だから、続けて」
 主任はそれを受けて、私たちに「じゃ、手早く続けて」と言ったのです。
 Sさんは、足浴のあいだじゅう「あー、気持ちいい」「足浴最高」と繰り返しつぶやき、ときどき私たちに「ほんとだよ」「ほんとなんだから」と念を押すように言いました。
 そして、足浴終了時に彼女はこう言ったのです。
「もしかして、あなたたちの実習に協力するために、私が我慢して足浴してもらったみたいに思ってない?違うんだよなあ。そうだ、足浴ってさ、足浴は永久に不滅です! っていうくらい気持ちよくて最高なのよ。足浴は永久に不滅です! うん、これ、いいセリフ。ほんとなんだよ」
 長嶋茂雄さんが「わが巨人軍は・・・・」と言った時の口ぶりを真似ながら言ってくれました。
 しかし私たちは、Sさんの顔色の悪さから、「どう考えても、私らに経験させるためにがんばってくれたんだよね」と話し合ったのでした。
 Sさんは、それからひと月後に亡くなってしまいました。
 今から三年前、フットマッサージ屋さんではじめて足浴をしてもらいました。その、気持ちよさといったら…。足浴は、ありがたくて幸せな、なんとも言えない和みをもたらしてくれたのです。Sさんを思い出しました。
 私たちのあんな手際の悪さでも相当に気持ちよくて、Sさんはそれを私たちに伝えたかったのだな。こんなにも気持ちいいなら、何篇でも何遍でも足浴をしてあげたかった…。そう思いました。

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