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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第150回 結婚披露宴 2016/12
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 快晴の午後。
 某ホテルの結婚披露宴会場の控室に、新婦の家族や親族たちが集まっています。みながどこか気がかりなことでもありそうな表情です。
 部屋の端には、新婦の祖父・大町雄一郎さん(88歳)が簡易ベッド上に仰臥位になっており、その傍らで、自費(保険外)の訪問看護、いわゆるプライベート看護サービスの看護師・近藤優美さん(32歳)が彼の血圧測定をしています。パーキンソン病でほぼ寝たきりの雄一郎さんが結婚式と披露宴に出席するための付き添い依頼を受けたのです。全身状態の観察や必要時のオムツ交換、移動介助などを行います。
 近藤さんはこの仕事に就いて三年目になります。はじめは病院勤務との違いに戸惑うことも多かったのですが、いまでは職場のベテラン格です。今回の依頼についても、雄一郎さんの状態を事前に把握し、このホテル内でのエレベーターやトイレの位置や設備、車いす用のスロープ、記念撮影をする中庭の状況――敷石だったら車いす移動のための対策が必要になる――、救護室の設備、避難経路などなどを仔細にチェックして、今日の仕事に臨みました。
 先ほどの神前結婚式までは、つつがなく済みました。
 しかしその後、披露宴の座席表に雄一郎さんの名前がないことがわかり、激怒した新婦の敏美さんが「披露宴なんてやらない」と言い出し、みな困惑しているのです。

 ドアが乱暴に開き、打掛姿の敏美さん、続いて敏美さんの母親の伊津子さんが入ってきます。
伊津子さんが後ろをついてくる敏美さんに言います。
「いい加減にしなさい! 子どもみたいに」
「母さんが悪いんじゃない! うっかり別のをホテルの人に渡しちゃった、なんて言ってたけど、ほんとはわざとでしょ」
「違う」
「百歩ゆずってうっかり渡したんだとしても、そもそも、おじいちゃん抜きの座席表を書いていたってことが許せない!」
 と言うと敏美さんは雄一郎さんのそばに行き、
「あたしは、おじいちゃんのために式も披露宴もやることにしたんだよ。おじいちゃん、ホテルで結婚式の仕事していたでしょ。だからホテルでやろうと思ったのよ。なのに、座席表みたらおじいちゃんの名前がないんだもの。おじいちゃんに、失礼だよー」
 と泣きそうな顔になります。
 すると雄一郎さんは片手を少し動かして敏美さんをそばに呼び、小声でぼそぼそと、
「じいちゃんが、出席は遠慮するって、敏美の母さんに言ったんだよ」
「え?! じゃ、式も披露宴も出ないつもりでいたの? ひどーい。おじいちゃん、ひどいよ、嫌い!」
 雄一郎さんの前では敏美さんはまるで子どものようです。雄一郎さんが病気の身体で出席するのはみなに心配をかけるからと考えたこと。それでも可愛い敏美さんのためにがんばって出席することにしたこと。それを彼女は理解しましたが、それでもふくれっ面をして踵を返し、高島田を揺らしながら大股で控室を出ていきます。

 その後、披露宴は定刻にスタートしました。
 披露宴をやらないと言った敏美さんでしたが、そこは大人です。座席表の作り直しはできませんが、敏美さんの家族席用の丸テーブルを少し大き目のものと交換し、急遽、雄一郎さんの席と看護師の近藤さんの席も設けられました。近藤さんは自分の席の設置を固辞したのですが、ずっと隣にしてほしいと雄一郎さんが強く希望し、その理由についての説明も受け、承知したのでした。
 新郎・新婦の入場、乾杯、祝辞、ととてもいい雰囲気で進み、双方の両親への花束贈呈もすみました。車いすに座って列席している雄一郎さんの容態に変化はなく、ときどき姿勢の保持をサポートしながら、近藤さんは彼を見守っていました。
 司会の女性が背筋を伸ばし場内を見渡してタイミングを見て発声します。
「ここで、新婦・敏美さんの祖父の大町雄一郎さんのお手紙を代読させていただきたいと思います。あちらにおいでになります」
 みなが雄一郎さんのほうに目をやり、会場が少しざわつきます。代読がはじまります。
「敏美の祖父の大町雄一郎です。病気のため言葉が聞き苦しいため、文章を代読していただくことにしました。
 恭介さん、敏美、結婚おめでとう。
 敏美が生まれたときからずっと同じ家で暮らしてきました。そんな爺さんから恭介さんに、今日どうしても伝えたいことがあり、みなに迷惑をかけながらもこの場にやってまいりました。
 恭介さん。明るくて素直でがんばり屋の敏美は、ひとたび元気をなくすと、見ていられないくらい落ち込みしょんぼりしてしまうことがあります。小さいころからそうでした。
 そんなときの特効薬。両手でピースサインを作ってニコニコしながら『ピースピース』と早口で連呼して、敏美にまとわりつくんです。実に簡単なことですが、よく効くんです、これが。どうか覚えておいてください。
 私は病気のため、顔がこわばって笑顔がつくりづらくピースピースと早口で連呼するのは難しいです。でも、なんとかがんばればピースサインはできる状態です。訪問リハビリの方に先日相談したら『きっとできる』と励ましていただきました。
 今日は人生の門出を祝って一世一代のピースサインを敏美に贈りたいと思います」
 雄一郎さんの手元が、ホテルスタッフが向けたカメラによって撮影され、新郎新婦のうしろのスクリーンに映し出されます。みながそれに注目し場内が静まりかえります。
 近藤さんは、祈るような気持ちで雄一郎さんのその手を見つめます。
 雄一郎さんが近藤さんに隣に座っていてほしいと強く希望した一番の理由は、ピースサインをしようとするとき、あるいはしているときに、パーキンソン病によるon-off現象のoffの状態になってしまったなら、さりげなく手を添えてピースサインの手に形づくってほしい、というものでした。
 雄一郎さんは、こわばる指を少しずつ動かします。ゆっくりです。
 と、指の動きがとまってしまいます。
 offの状態? と思い近藤さんの胸に緊張が走りますが、スイッチが切れたように動きにくくなるoffの状態ではない、と判断し手を出さずに見守ります。 
 すると、雄一郎さんの指はふたたびゆっくりと動きだし、場内は「がんばって」という声も飛び出す応援ムードです。ゆっくりとピースサインができあがり、わずかに微笑む雄一郎さんの顔も映し出され、「やった」と誰かが言って、あちこちからわあっという歓声があがりました。

 敏美さんの化粧は、ぼろぼろとこぼれた感激の涙で台無しになってしまったそうです。

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