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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第18回 ナースになりたい女子高校生 2005/11
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 「看護大の受験やめて、別の大学の文学部とかを受けることにする!」
 高校三年生のユミさんは、9月はじめの朝の食卓で、両親にそう宣言しました。お父さんが目を丸くして言います。
「なにを言い出すんだ。何度もユミに意志確認したじゃないか。それでも看護師になる、本気だっていうから応援することにしたんだぞ。それにいまの時期、大幅に進路を変えたら受験にも不利だろ」
「でも、変える。悩んだ挙句の結論。私、看護師に向いてないみたいなの。だからたとえなれたとしても、いい看護師にはなれないと思う。もう決めたの。今日、担任と進路指導の先生に話すから」
 唖然としている御両親にユミさんは「ごちそうさま」と小さく言って席を立ち、高校へ向かいました。
 事の発端は、八月のはじめにありました。夏休み中のユミさんは、イギリスに留学中の親友美穂さんの祖母の多恵さんを訪問。多恵さんは美穂さんの御両親が北海道に転勤した関係で、現在は有料老人ホームに入所中です。そこはユミさんの高校から遠くない場所にあり、ユミさんはたまに訪ねているのです。ユミさんは80代とは思えない若い感覚の多恵さんが大好きだったし、親友の美穂さんに「ときどき顔見に行ってね」と言われて、しっかり頷いたのを忘れていませんでした。
 ユミさんと多恵さんが話していると、多恵さんの携帯電話がなりました。着信音はトルコ行進曲。孫娘の美穂さんが選んで設定した曲です。
 どうやら間違い電話のようで、多恵さんがユミさんに言います。
「着信音、ものすごく元気な曲でしょう。せっかく美穂が選んでくれたんだけど、なんだか、けたたましくてねえ、もう何年もこの曲なんだけど、これが鳴るとびくっとしちゃうのよね。美穂がいれば、違う曲にしてもらうんだけどねえ…」
「じゃ、よかったら、私が変更しましょうか」
「うん、お願い!」
 そうしてユミさんは、多恵さんの携帯電話の着信音を、多恵さんに相談しながら変更したのです。今度は、曲ではなく、しずかに低く「ブー、ブー」となる音にしました。多恵さんはその音が気に入ったようでした。
 それから二週間ほど経った八月下旬のある日、ユミさんに親友の美穂さんから国際電話が。
「ユミ、あなた、看護師に向いてないね! 看護師にならないほうがいいよ」
「えっ…」

 「おばあちゃんはね、あの年齢だし、はっきりしているようでいて物忘れが激しい面があるの。だから携帯の着信音をユミが変えたことを忘れててね、しかも、前の着信音に慣れきってたし、年寄りだから低音は聞きにくいから、私が何度電話しても取らなかったの。心配してホームの人に電話したら、<美穂さんから電話がないって寂しがってる>って言われてさ。着信音が変更されただなんて誰も知らないし、もしかして、急激にボケちゃったのかな、と思って、直接話したいと思って、おばあちゃんにホームの電話口まで来てもらおうとしたら、おばあちゃん、あわてちゃって、足首捻挫しちゃったのよ。年寄りが怪我すると、それをきっかけに寝たきりになることだってあるのよ。ユミ、おばあちゃんの携帯の着信音変えてから、一度もその後の経過とか気にしてなかったでしょ。私にも伝えてくれなかったし、中途半端よ」
 ユミさんは、自己嫌悪の渦の中でした。美穂の言うとおりだ。多恵さんのことを知っているようでなにも知らなかったし、お年寄りの特徴についても考えず、ちょっとした親切をしたつもりが、それがあだになっていたなんで…。自分だって、聞きなれた着信音を変更した直後は、音がしていても自分の携帯電話だと気づかないことだってあるのに、私はなんてうかつなんだろう。
 さしあたり、多恵さんの着信音はホームの人の手で元の曲に戻してもらったそうで、足首の捻挫も軽くて済み、いままでどおり多恵さんは寝起きできていると聞き、ユミさんは胸を撫で下ろしましたが、看護師への道についてはすっかり自信をなくし、冒頭の結論へと達したというわけです。
 以上、人づてに聞いた話です。ユミさんはその後も、看護の道へは進まない意思が固いらしい様子だと聞きました。多恵さんの件で自己嫌悪に陥って「向いてない」と思ったユミさんは、むしろ看護職に向いている気がするのですが、よその人の進路についてどうこう言える立場ではないので、残念だけれどそれも仕方ないかな、と私は思っていました。
 そこへ、つい数日前、ユミさん情報が届いたのです。親友の美穂さんから「こないだは興奮して言いすぎた。看護師は目指してほしい」と連絡があったり、多恵さんからも「看護師になったほうがいい」と言われたりし、とどめは用事で病院に行った際にすれ違った看護師が「ものすごくかっこよかった」ため、看護大に進路を戻したとのことでした。来春彼女はきっとやる気に満ちた看護学生になっていることでしょう。

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