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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第25回 口をきかない二人 2006/6
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 タカさんとヨリコさん。今年75歳と76歳になる女性です。二人は5年前のある出来事以来、口をきいていません。
 二人は6年前に、看護師の田辺さんが勤務している内科クリニックの待ち合いスペースで知り合いました。いつになく受診者が多かったその日、たまたま待ち合いのソファーでとなりになった二人は、どちらともなく話し出し、意気投合。楽しげに話す二人を見て看護師の田辺さんは、少しほっとしたのでした。
 当時、タカさんとヨリコさんはご主人を亡くしたばかりでした。二人とも、長い間淡々と続けてきたご主人の介護がぱたりとなくなり、気が抜けたようになっていて、待ち合いスペースでも、いつもぽつんと一人心細げに座っていることが多く、食も細くなり、体調面でも心配な点が増えていました。
 そんな二人が知り合ってからは、両人ともご主人の介護に励んでいたころのように、しゃきっとして、食欲も出てきたのです。いや、ご主人の介護をしていたころ以上にぱっと花が咲いたかのように元気になりました。二人は、受診よりもお互いに会うのが目的といったふうに、「湿布薬がほしい」「消化剤がほしい」と言ってはいそいそとクリニックにやってきて待ち合いのソファーでぴったりと寄り添って話しつづけ、お互いの受診が終わるのを待って、一緒に帰るのでした。受診帰りには、甘味処や蕎麦屋に寄って一緒に遅くまで過ごしているようでした。看護師の田辺さんには、二人が腕を組んでクリニックを出て行く姿が、トイレに行くにも誘い合う仲良しの女子中学生のように見えました。
 二人がそんな仲になって1年ほど経った日のことでした。二人が、一緒にタクシーに乗ってクリニックに来院。あれほど仲の良かった二人は、とてもよそよそしい雰囲気で、それぞれがバツが悪そうに自分の額をハンカチで押さえていました。呆然としているようでもありました。二人ともハンカチの下には、大きなたんこぶ(皮下血腫)ができていました。
 手当てを終えた二人が帰ったあと、クリニックの若いナースが首を傾げながら言いました。
「デパートで偶然ばったり会ったからって、お互いのおでこを強くぶつけるなんて、どう考えても有り得ない気がするんですけど。お互いがすごいスピードで走っていてぶつかったりすればあるかもしれないけど、走ってはいなかったって話していましたし、なんか、不思議です」
 田辺さんは有り得ないとは思いませんでした。タカさんとヨリコさんは、とてもよく似た癖のようなものがあるのを知っていたからです。タカさんは、聴力はまったく衰えていないのに、好きな相手には、言葉がよく聞き取れないふりをして、耳を相手の顔にぐっと近づけるのです。一方ヨリコさんは、近眼ではないのに、好きな相手には、「よーく顔を見せて」といわんばかりにぐぐっと顔を近づけるのです。田辺さんは、たぶん本人たちは気づいていない二人の癖を見ると<好きな相手には接近したいものだもの><素直な人なんだね>と心の中でつぶやいたものでした。
 二人はデパートで偶然会って、それがすごく嬉しくて、例の癖が同時に出て、額をぶつけてしまったのではないだろうか。田辺さんはそう思いました。

 この日を境に、二人は一切口をきかなくなりました。たまに、待ち合いロビーで顔を合わせても、実に他人行儀に目礼をするだけ。仲良くしていたのを知る患者さんはその様子を不思議そうに見たり、なかには二人のどちらかに「あんなに仲がよかったのに、喧嘩でもしたの?」と声をかける人もいましたが、タカさんもヨリコさんも何も答えないので、そのうち誰も聞かなくなり、その後、二人が口をきかないのが自然のようになりました。
 クリニックの事務の女性が田辺さんに言いました。
「女友達って、急接近してべったりだったのに、それが嘘だったように疎遠になることってありますよね。疎遠になるきっかけがあることもあるしないこともある。私も中学のとき、そういうことありました。あのお二人もそういうのだったんじゃないですか? そう思いませんか?」
 田辺さんは黙っていました。そういう側面があったとしても、ほんのわずかだろうと思ったからです。
 田辺さんは、タカさんとヨリコさんが口をきかなくなり、ご主人の介護をしていたころのように、淡々とした表情でクリニックにやってくる姿を見てこう思うのです。二人は、額をしたたかぶつけたとき、憑き物が落ちたように冷静になり我に返り、素直な二人はそれを取りつくろわなかったのではないか。ご主人を亡くし、生活がからりと変わった直後で、傍目にはそうは見えなくても、相当な混乱がつづいていたのではないだろうか。その時期を過ごすためにはなくてはならない友達だったのではないか。あの時出会わなければ二人は病気になり寝込んでしまったかもしれない。今後生きてゆくにあたって、あの時期、お互いが絶対に必要な存在だったのではないか、と。

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