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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第26回 「大丈夫?」の意味 2006/7
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 某病院の個室病室。
 昼食を済ませ、ベッドに横たわる50代後半の男性Aさんが、思いつめたような表情で、窓の外の梅雨空に目をやり、溜め息をつきます。病気のことではなく、新人ナースの吉永さんのことが気になっているのです。

 ことのはじまりは昨日の午後です。Aさんの妹さん二人が彼のお見舞いにやってきました。Aさんは三人兄弟で、彼が長男、そして長女、次女の構成です。長女と次女の二人は、病室が個室でほかの人に気兼ねがいらないことや、Aさんが回復し数日後に退院と知って心配がなくなったこともあり、Aさんそっちのけでおしゃべりに熱中。長女は仕事の関係で看護について事情通です。
長女は次女にレクチャーするように言いました。
「今はね、病院に就職した新人看護師さんの11人に1人がね、1年以内に離職しちゃうのよ」
「へえ、それ、辞める人が多いってことよね。せっかく資格とった人たちがどうして? 」
「理由はひとつじゃないけど、学校での看護基礎教育を終えた時点の能力と、現場で求められる能力に大きなギャップがあるってことが理由のひとつなの」
「ん?どういうこと?」
 「つまり、基礎看護として習った、基本的なベッドメーキングや血圧測定などはバッチリできるわけだけど、たとえばこないだ兄さんがここで受けたような骨髄穿刺の説明と検査の介助とか、人工呼吸の準備と方法といったような技術は一人では実施できないという調査結果だったわけ。医療の高度化で、やることが多岐に渡っているから、看護師の3年間だけの教育では追いつかなくなっているのよ。でね、聞いてよ、看護の基礎教育だけがね、50年以上変化していないのよ!」
「ほかの医療者は?」
「さすが我が妹、いい質問ね。医師は医学教育6年プラス卒後臨床研修2年の計8年、歯科医師は教育6年プラス卒後臨床研修1年で計7年、薬剤師は教育4年プラス専門教育2年で計6年! 看護師は医療従事者として、医師、歯科医師、薬剤師と医療法に併記されている職種なのよ! だから看護師基礎教育も年限延長が絶対に必要なの!」
 すでにフィリピンでは大学4年制を実現し、タイでは100%の学校を4年制大学にし、韓国では大学4年制化に向けて調整中です。日本にも4年制の看護大学はありますが、国家試験受験資格は3年で得られるのです。
「たしかに、看護師さんだけ短いかもねえ」と次女。
「そんな呑気な言い方しないでよ! 看護師さんはね、学生時代に、ろくに寝ないで試験勉強や実習やレポートでがんばって免許を取る。そして希望に燃えて病院に就職してみたら、いきなり高度な業務が山盛りで、自信を喪失し、不安のかたまりとなって、医療事故を起こすんじゃないかというプレッシャーがすごくてたいへんなわけ!」
「それは気の毒。うちのユウカに進路変更しなさいって言おうかしら」
 次女の中一の娘さんは、看護師への道を希望しているのです。

「いや、ユウカが看護学生になるころには、きっと年限延長が実現されているはずよ。それより、いま現在の新人の人たちが可哀想で、みんな、卒後研修や先輩の指導や自己勉強でたくましく必死で勉強していくわけだけど、当然、そうはいかない人も出てきて、とくに患者さんの平均在院日数が短い病棟、つまり患者さんの回転が早い職場はそのめまぐるしさで余計に新人さんにとって困難な職場で・・・・・・離職。これは個人の能力ではなくて、制度の問題。ここの病棟でもさ、さっき、新人みたいな看護師さんが、くらーい顔して廊下歩いてたでしょ。心配だわあ」
 長女はその後も、次女に看護教育の問題点を語りつづけたのでした。
 そして、今朝、新人ナースの吉永さんが採血にきたときに、Aさんは新人の彼女を労うつもりで、採血の直前にこう声をかけたのです。
「大丈夫?」
 新人ゆえにたいへんなプレッシャーの毎日で疲れているんじゃない? そんな意味で言った言葉でした。ところが吉永さんは違う意味にとって、困惑した表情になったあと、申し訳なさそうにこう言ったのです。
「新人で・・・申し訳ありません。やはり、先輩たちに比べればヘタかもしれませんが、採血はできます。新人でご不安かもしれませんが、失敗はしませんので」
 吉永さんはAさんの「大丈夫?」という言葉が「できるの? 新人だからできないんじゃないの?」というふうに聞こえてしまったのです。
 それとわかったAさんは、即座に「いや、違う。そうゆう意味じゃなくて」と否定したのですが、吉永さんにはうまく伝わりませんでした。また、悪いことに、採血が終わったあと、針を刺した部分が内出血をおこしてしまい、吉永さんは絶望したような表情になって、内出血に対処したあと、消え入りそうな声でAさんに詫びて退出したのです。Aさんの血管がやわらかいためかベテランナースが行っても採血の際には内出血しやすく、彼は慣れっこなのです。それも吉永さんに説明しようしたのですが、うまく彼女に伝わらなかったようでした。
 それ以後吉永さんは病室に姿を見せず、Aさんは昨日の妹たちの会話を思い出しているうちに「もしかしてオレの言葉がきっかけで吉永さんが離職してしまうのでは」「とすると、オレの一言が彼女の人生を左右してしまうのかも」と心配になってしまったのです。
 
 その後「大丈夫?」の誤解が解け、吉永さんの離職についてもAさんの心配のし過ぎであったことが判明して彼はほっとしたそうですが、それで終わりにしてはいけないと思い、マスコミの友人に日本の看護教育について取り上げてほしいと伝えたそうです。

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