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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第28回 タオルのキャップ 2006/9
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 ナースの大槻さんが、ケア用品を仕舞うために病棟のリネン室に行くと、そこには男性ナースの林さんがいました。彼は大槻さんの意中の人です。
 シーツ類やケア用品が置かれているリネン室の一角には、クリーニング業者から戻ってきたスタッフのユニフォームもずらりとブティック式ハンガーにかけられており、彼はそこで自分のユニフォームを取ろうとしているようでした。
「あっ、大槻さん。お疲れ! ぼくのユニフォームがどこかに引っかかってるみたいでさあ。…あっ!」
 彼がユニフォームを強く引っ張った拍子に、ブティック式ハンガーが倒れそうになります。あわててそれを押さえる林さんを、大槻さんは駆け寄って支えます。
「なあんだ、これがひっかかってたのか」と林さん。
 彼のユニフォームはブティックハンガーの奥に仕舞われていた床頭台の引き出しに引っかかっていたのです。床頭台とは、病室のベッドサイドに置かれる袖机のようなもので、患者さんの筆記具や小間物、着替え入れなどに使われます。
「あっ、なつかしい。それ、一年前まで長らく使われていた床頭台。林さんは、この古いやつ、見たことないでしょ。新しいのになってからここの病院にきたからね」と大槻さん。
「そうだね。それにしても、古いのはみんな回収されたはずなのに、なんでひとつだけ、こんなところに置いてあるんだろ」
「たしかに」
 そういいながら林さんが、その床頭台の一番上の引き出しを、中身を点検するような様子で開けると、そこには薄紫色のタオルの固まりのようなものが入っていました。それを取り出し「なんだろ、これ」と林さん。それは、タオルでできた帽子でした。
「あっ………」
 大槻さんは、その帽子が誰のものかすぐにわかり、と同時にある深夜の会話を思い出し、思わず「うそっ」と言ったのです。
 この帽子の持ち主の島田マリさん(48歳)は、治療の副作用としてかなりの脱毛がありました。その対応策として彼女は、ウィックやバンダナや手編みのキャップなどを試しましたが、最終的には、肌触り滑らかなタオルを縫い合わせた自家製キャップに落ち着きました。モンゴルの人がかぶる帽子に似た形で、薄紫の地にピンクの小花がちりばめられたもの、レモン色の無地、レンコンの切り口が芋版のようにプリントされているものの三種類がお気に入りのようでした。どれも島田さんの小作りな顔によく似合っていました。
 病室のベッドだけで過ごしていた彼女は、
「汗も吸い取るし、手軽に洗えるし、案外可愛いし、これがいちばん!」
と、仲良しの大槻さんに笑顔で言ったものでした。
 ある深夜、大槻さんは、各病室を見回ったあと、最後に島田さんの個室病室に行きました。読書しているうちに寝てしまったのか、ベッドライトの灯りの下で彼女は目を閉じていました。例の薄紫に小花のタオルキャップをかぶっており、その様子は、草原のスミレの花のなかで寝てしまった少女のようにとても可憐で、大槻さんは顔を近づけてしばらく見とれてしまいました。
 と、島田さんが、ぱっちりと目を開けたのです。大槻さんはあわてて言いました。
「あっ、ごめんなさい。失礼ながら、つい寝顔に見とれてしまいまして。やはり、いま、おつけになっているキャップが私はいちばん好きです。すごくお似合いだし」
「ほんと? じゃあさ、私、あなた大好きだからさ、嫌じゃなかったら、このキャップ、私とあなたの交流の記念に、もらってくれない? 形見として、私が逝っちゃったらさ」
「形見だなんておっしゃらないでください。別のキャップを新調されたときに、それをいただきますよ」
「わかった。じゃ、どんなことしてでもあげるからね」
「はい、どんなことをしてでもいただきます」
 その数ヵ月後に島田さんは亡くなってしまいました。大槻さんは最期まで彼女のケアを担当しましたが、「キャップをあげるいただく」の会話は前述の夜の一度きりのことで、大槻さんはすっかり忘れてしまったのです。
 林さんが床頭台をチェックしながらいいます。
「これ、下の開き戸がこわれてるから、一斉に新しいのとチェンジされる前に、こわれものとしてここに保管されて、そのままになっちゃったんでしょ」
「………」
 大槻さんの頭の中では、島田さんの「どんなことしてでも」という言葉がリフレインします。
 大槻さんは、この不思議な偶然に驚くよりも、島田さんとの約束をすっかり忘れてしまっていたことが悔やまれて仕方ありませんでした。
 そして彼女は、あの深夜に島田さんにこうも言われたことを思い出したのです。
「このキャップがね、あなたの背中を押すような存在になるようにと祈りをこめておくね」
 大槻さんは、薄紫のキャップを手に取り、それを見つめながら決めました。目の前に立っている林さんに思い切って告白することをです。

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