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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第32回 風邪を引いた訳 2007/1
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 都内在住の天知大輔さん(43歳、独身)は、七年前から毎年12月になると必ず風邪をひいて寝込むようになりました。
 七年前に離婚して以来、マンションに一人住まいをしている天知さんは、12月になると決まって寝込むほどの風邪にかかり、会社を休んだ一日目に、しっかり着込んで、通りに出て、タクシーを拾って病院受診します。
 彼は、タクシーで行ける範囲内のかかったことのない病院にわざわざ受診します。それは、医師それぞれの反応を見たいからです。
 彼は、七年前の12月、大風邪を引いて会社を休み、ある病院の内科外来で受診しました。熱が39度近くあり少々朦朧としていた彼は、天知さんと同年代の診察担当の男性医師に、ふと、風邪を引いたきっかけを話したくなり、こう話したのでした。
「実は、つい最近離婚したんですが。妻が、離婚届を取りに私の住まいに取りに来た夜、急に雨が降り出したんです。すごく冷たい冬の雨。あいにく傘がひとつしかなくて、その傘で彼女を駅まで送ったんです。相合傘というやつです。それまではずっといがみあってきたのに、そのときはすごく優しい気持ちになって、彼女が濡れないように、自分は濡れてもいいと思って、彼女のほうに傘をさしかけたんです。そしたら彼女、すごく優しい声で<そんなにこっちにしなくてもいいよ、あなたが濡れちゃうじゃない>って言ってくれたんです。で、お互い、相手が濡れないように傘をゆずる感じになって、二人とも傘の下から大幅に出るような位置になって、結局、二人ともかなり濡れてしまったんです。もはや、離婚をやめるなんてことはできないことはわかってたんですけど、なんで、俺たちはこんなことになってしまったんだろう、って、家に帰ってから、濡れた服を着たままぼんやりしてたら、どうやら、それが悪かったようで風邪引いてしまったんです」
 男性医師は、机に向かったままじぃっと話を聞いていたように見えましたが、話し終えた天知さんが医師の顔を覗きこんでみると、なんとその医師は、目を閉じて居眠りをしていたのでした。
 天知さんは、「居眠り」という医師の反応になんとも拍子抜けして病院をあとにしたのですが、次第に腹が立ってきたのです。天知さん自身が不思議になるほどその腹の虫はずっと収まらず、翌年の12月、風邪をひいた際に、別の病院に受診し、どんな反応をするのか試すためにその医師に前年と同じように話したのです。一年前のことなのに、つい数日前にあったことのように話したのです。
 するとその医師は、居眠りこそはしませんでしたが、「風邪のきっかけ話」を、まったく無視して事務的に風邪症状を尋ねたのでした。
 その翌年に受診した医師はというと、「風邪のきっかけ話」の途中で「それはたいへんでしたね」と早口で言って話を強引に切ったのでした。
 また、その翌年の医師は、「ああ、そうですかあ」と笑顔を作りながらも、パソコンに処方箋を入力するキーの打ち方にイライラがあらわれていました。
 天知さんは、医師たちの反応が特別にひどいものではないと思っていました。彼らはハードワークの中、外来の患者たちを診ているのがわかっていたので、自分が医師の立場なら似たような対応をするだろうと思っていたのです。
 しかし、一度芽生えた腹の虫はなかなか収まらず、いつしか意地のようになってきて、毎年、天知さんは、はじめて受診する医師に同じように「風邪のきっかけ話」をつづけたのです。いや、一度だけ女医さんだったときには、なんとなく話しませんでした。
 さて、今回の風邪も12月の半ばのいつものタイミングでやってきて、天知さんは、熱を測りながらパソコンで病院を検索し、いざ、病院へ向かったのでした。
 診察室に入ると、医師は天知さんと同年輩の男性でした。眼光するどく、天知さんの名前を確認する声も厳しいトーン。例の「風邪のきっかけ話」をしたら、「そんなことどうでもいい!」と怒鳴られるかも、と思い、話すのはやめようかと一瞬迷った天知さんですが、結局は話しました、最後まで。
 するとその医師は、身体も顔も机に向けたまま、ぼそぼそとくぐもった声で、優しくこう言ったのです。
「わかりますよ。その気持ち。実は私も離婚を経験したんですが、いざ離婚という段になると、なんでこんなことになってしまったんだろうって、ものすごく不思議になりました。でも、離婚をやめることはもうできないわけです。いい話ですね、離婚する二人が、相手が濡れないように気遣って自分が濡れてっていうのは。私のときもね、お互い、いつになく相手にやさしくて、喫茶店で離婚届渡したとき、お互いのコーヒーにミルクをね、相手の好みの量を知ってるから、その量を入れてやったりしてね。そのとき、なんでこんなことになっちゃったんだろうって、思いました。人それぞれでしょうが、ふっきれるまで、私の場合は10年かかりました。だから………あなたの気持ち、わかりますよ」
 天知さんは、この医師の言葉で、いままで腹の中にくすぶっていた、なんともいえず腹立たしい気分がすっと消えたそうです。
 天知さんは、もう12月に風邪を引くこともないのかもしれません。

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