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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第36回 チャイム 2007/5
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 平日のお昼前。深夜勤務帰りの看護師のマコさん(25歳)が、両手にスーパーの袋を提げて、母方の祖父・良治さんの一人暮らしの家に入ります。そして、つかつかと居間に入ってゆき、背中を丸め、眼を閉じてこたつにあたっている祖父の耳のそばに顔を寄せ、小さくない声を出します。
「おじいちゃん!」
 すると良治さんは、ゆっくりと眼を開けたあとニコリとしていいます。
「ああ、マコか。どうやって入ったんだ」
「お母さんに合鍵借りてきたの! 昼間に寝てちゃだめだよ。夜が眠れなくなっちゃうじゃない」
 マコさんは、病院勤務をとおして、お年寄りがちょっとしたきっかけでそれまでの生活リズムをうしない、その時点から体調を崩してしまった例をいくつも見てきました。半年前に、良治さんの妻、つまりマコさんの祖母が亡くなり、最近、良治さんが老人会にあまり顔を出さず出不精になったと聞いたマコさんは、心配になって、頻繁に顔を出すようになりました。
「マコよ、いまは寝ていたわけじゃない。眼をとじて、ぼんやりしていただけだ。今日は休みだからな」
 それを受けてマコさんは、タンスの上にある卓上カレンダーを良治さんの目の前に差し出します。
「おじいちゃん! なに言ってんの。今日は休日じゃないでしょ。ほら、今日は水曜日! しっかりしてよ」
 こういう状況で諭すような言い方は、看護の場面としてはほめられたことではありません。でも、おじいちゃん子の孫として、マコさんはつい言ってしまうのです。
「マコ、水曜日だって知ってるよ。じいちゃんはぼけてなんかないぞ」
「なら、余計おかしいじゃない。今日が休みっていうのは」
 そういいながらマコさんは、卓上カレンダーをタンスの上に戻します。そして、「あっ」と声を上げます。
「おじいちゃん! 私がプレゼントした時計はどうしたの? こないだ、このカレンダーの横に置いていったじゃない」
 マコさんは、良治さんが今後しっかりと時間を意識して、リズムある日課を送ってほしいと思い、時計をプレゼントしたのでした。良治さんがぼそぼそと答えます。
「あれは、電気消しても、ぴかぴかと闇に浮き上がるから、こわくてな。押入れにちゃんとしまってあるよ」
「それじゃ、なんの意味もないじゃない。人の気も知らないで。今日は、深夜明けでくたくたなのをおして、おじいちゃんの好物の筑前煮を作ってあげに来たんだからね。おじいちゃんには、私が結婚して、子供生んで、ひ孫の面倒をみてもらおうと思ってるんだから、まだまだ元気でいてもらわなきゃだめなの!」
 マコさんは、口を尖らせて、スーパーの袋を手に台所に行き、調理をはじめます。そしてまた声を上げます。
「おじいちゃん! 今日は何曜日?」
「水曜日」
「いま、何時?」
「そうだなあ、何時だろうなあ、休みの日じゃなきゃ、だいたいの時間はわかるんだが」
「だから、今日は休日じゃないでしょ。時計を見てよ、何時?」
「今日はなあ、チャイムがならねえからなあ。じいちゃんは、耳がいいから、普段、家にいるときはチャイムで時間がわかるんだ」
「なに、ぼそぼそ言ってんのよ、まったく」
 ハリのあるマコさんの声。野菜を切るトントンという音。それを聞きながら良治さんは、ニンマリします。
 マコさんが通った小学校は、良治さんの家から300メートルほどの場所にあります。その小学校にマコさんは、一時行かなくなりました。不登校です。その不登校になる直前のある日、ランドセルを背負った3年生のマコさんは、午前9時ごろ、この家にやってきました。マコさんは、ケラケラ笑いながら祖父母に、「小学校の創立記念日で休みだったのに、間違って学校行っちゃった」といいながら、家にあがりました。「そうか、そうか」といって良治さんらは、ジュースやお菓子を出してマコさんを歓迎しました。
 と、会話がとぎれてシーンとしたところに、小学校のチャイムが聞こえてきたのです。するとマコさんは、膝を抱えた手を震わせながら、「本当は、休みじゃないの」といって泣き出しました。小学校は休みの日は授業のチャイムがならないのです。
 以来、良治さん夫妻は、小学校のチャイムが聞こえてくるたびに、不登校のマコさんを心配し、再びマコさんが登校するようになってからは、チャイムが聞こえてくるたび、可愛い孫に「がんばれ」と念じるようになり、そのうち、小学校のチャイムが、自宅で仕事をする職人の良治さんの時計代わりになりました。それはいまでも続いています。
 今日の小学校は創立記念日で休みのため、チャイムがならず、それで良治さんは「休みだ」と言っているのです。
「おじいちゃん! お昼食べ終わったら、今後の日課のこと、話そうね」
「そんなことしなくていいよー、めんどくさい」
「だめだよ!」
 良治さんは、マコさんにこんなふうに叱られるのがうれしくてたまりません。小学生のあのころ、体が弱く、子猫のように震えて泣いていたマコさんが、こんなにも立派な大人になり、しかも看護師としてばりばり仕事をしていることが実感できて、心底うれしいのです。
 昼食を終えると、マコさんは倒れるように寝てしまい、夕方に目を覚まし、良治さんにこう言って帰っていきました。
「おじいちゃん! 私は深夜明けだし、若いからこういう不規則な寝方をしてもいいんだけど、おじいちゃんはダメだからね。ちゃんと、規則正しく、3度の食事、適度な運動、十分な睡眠と休息! 頼んだからね!」

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