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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第46回 チロの活躍 2008/3
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 某県道を、軽自動車が走っています。
 運転しているのは医師の福山さん(35歳・男性)で、その助手席で書類に目を通しているのはナースの島崎さん(37歳・女性)です。
 信号待ちのために停車した医師の福山さんは、正面を向いたままニコリとするとナースの島崎さんにいいます。
「結局、俺たちよりチロのほうがずっと上を行ってたということかな。たいしたもんだよ、まったく」
「ほんと、表彰状ものですよね。チロは偉い!」
 と島崎さんは大きく頷きます。
 チロとは、勝山家(男性78歳・女性76歳・男性75歳の三人兄弟)の犬の名前です。
 勝山家は四人兄弟だったのですが、一年前に末っ子のスミコさんが亡くなってしまいました。そのスミコさんに一番懐いていたチロの働きについて、車中の二人は讃えているのです。福山さんは勝山家のかかりつけ医であり、ナースの島崎さんは福山クリニックのスタッフです。

 勝山家の四兄弟は、十年ほど前から一緒に暮らすようになりました。それぞれに慢性病を持っている四人は、バトンを渡してゆくかのように年の順に体調を崩すようになり、体調を崩した人の世話は、すぐ下の兄弟の役と自然に決まっていきました。また、末っ子のスミコさんが体調を崩した際の世話役は長男が行うようになり、いつしか兄弟間の見事なケアの輪ができあがったのです。四季を過ごすように、世話役をする時期、体調を崩し療養する時期、体調よく過ごす時期(この時期が長い)が巡ってくるこの形は、老老介護という言葉を少し明るい印象にする力を持っていました。兄弟は口々に「入院などせず家で暮らしていれらることが一番の幸せ」といい、ときに兄弟喧嘩をしながらも、四人はしっかりとケアの輪をつなげていました。
 しかし一年前、スミコさんが交通事故であっさりこの世を去ってしまい、がらがらとそのバランスが崩れたのです。高齢者は、環境や状況の少しの変化でもその影響を受けて体調を崩しやすい状態にあります。場をぱっと明るくするムードメーカーで、兄弟の中でアイドルのような存在でもあったスミコさんを突然に喪った三人は、呆然とし、暮らしのリズムを失い、それぞれに体調を崩してしまったのです。
 そんな状況に対応しながら、福山さんと島崎さんは、こんな会話をしたのでした。
「やはり、四人であることがよかったんだよなあ。あれが、ぎりぎりやっていけるペースだったんだね」と福山さん。
「そうですね。それが三人になると、体調よく過ごす時期がぐっと減って、世話役する期間が長くなりますからね」
「だからさあ、チロがさ、スミコさんのかわりをやってくれたらいいんだけどなあ。もちろん、スミコさんの代わりのまるごとはできないだろうけど、ワンクッションというかなんとかバトンを受け取って渡していくことに近い役割をしてほしいね、実際、ヨシオさん(三番目の男性)の世話というのは糖尿病のコンロールの気を緩めるなって激励することが一番大事なんだから、チロがそばで吠えたりしてくれればいいような…」
「たしかに、三人だけでケアの輪をつなげていくのには無理があるかもしれませんね。三人ともすっかり暮らしにハリがなくなってしまって…。このままだと暮らしのペースを作れないままになってしまうかもしれませんから、チロさえ頼りにしたくなってしまいますよね。チロはすごくかしこい犬だから」
 とはいえ、二人が本気でチロに期待していたわけではありませんでした。
 
 ひと月前、勝山家を訪問した福山さんと島崎さんは、家の中がいつになく明るい雰囲気であることをすぐに感じました。そしてそのきっかけがチロの行動であることを知ったのです。チロは、スミコさんが亡くなって以来、スミコさんが寝ていたあたりに寂しそうにいることがほとんどだったのだが、ある夜から、寝る前に三人を順に見回るようになったそうなのです。毎晩、毎晩9時ごろに、チロは順にそれぞれの枕元にしばらく座るようになったというのです。
 三番目のヨシオさんは福山さんらにこういいました。
「チロはね、このままではいけないよって言いたくなった、いや、言わなければいけないと思ったんだろうって、三人で話し合ってね。老人三人でやっていくのは容易ではないけど、がんばらなきゃってね。だってチロは、きちっきちっと判を押したように見回ってくれるんだもの、がんばらずにはいられないよね、はは」
 そして、今、三人のケアの輪ができあがりつつあるのです。
 福山さんと島崎さんは、車中で話しを続けます。チロの行動を、自然に自分たちへの励ましと受け取れる三人であってよかった、と。

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