Archive

小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第50回 相部屋希望 2008/7
dotline

 夕方。外科病棟の個室病室。
 ベッド上には相葉勝子さん(75歳)があお向けになっており、酸素吸入や点滴が行なわれています。今日は彼女の手術の日で、手術を終え、一時間ほど前に病室に戻ってきたのです。麻酔の影響で寝ています。
 そのベッドサイドには、一人娘の良子さん(40歳)がいます。椅子にかけて、母親の顔をじっと見つめています。
 仕事の関係で、なかなか勝子さんの面会にくることができなかった良子さんですが、今日はかけつけました。さきほど遠方から到着した彼女は、医師から勝子さんの手術結果や今後の治療方針について説明を受けました。そのあとに、担当ナースが次ぎのように言ったことが気になっており、心の中で大きく首を傾げているところです。
「お母様は相部屋を希望なさり、手術前までは四人部屋にいらっしゃいました。手術後もその部屋に戻りたいと強く希望されたのですが、大きな手術ですから術後しばらくは個室でとお願いいたしました。しぶしぶご了解いただいた形でした。そのことを、お伝えしておいたほうがいいように思いまして」
「母は、相部屋を強く希望した理由をなんと言ってました?」
「それが、理由ははっきりおっしゃらなくて…。個室にかんしてご心配なことでもあるのではないかと思って伺ってみたのですが、それはないとおっしゃいました。相部屋のほうがみんながいてさびしくないからいいとおっしゃる方が思いのほか多いので、そんなお気持ちもあるのかなと思っていたのですが」
 変だ、と良子さんは思いました。
 勝子さんは、親戚付き合いや近所付づきあいが嫌いで、彼女の夫、つまり良子さんのお父さんが五年前に他界して以来、友達ともあまり会わなくなり一人好きに拍車がかかったのです。娘の良子さんがたまに帰省しても、「一人に慣れてしまったから、あなたが帰ってくると調子が狂う」と冗談ぽく言ったりもしていたほどです。また、最近は「入院するとしたら個室に限る。相部屋なんてわずらわしくて気詰まりで絶対いや」とよく口にしていたのです。
 電話ではちょくちょく話しているものの実際に顔を見るのは半年ぶりの勝子さんの顔を見つめながら良子さんは考えます。個室は相部屋に比べてお金がかかるから嫌なの? そんなはずはない。年金をもらっているし、お父さんが遺してくれたお金もある。ナースが言ったとおり寂しいから? 一人が大好きな母さんだから、いくら病気になって心境の変化があったとしても、相部屋を強く希望したりしないはず。
 そこへ、ドアをノックする音があり病室に男性が入ってきます。勝子さんが唯一親しく付きあっている親戚で、勝子さんのいとこのトオルさんです。彼と良子さんは、軽く手をあげて挨拶します。
 彼が勝子さんの顔をのぞきこみながらいいます。
「ひとり娘、到着か。勝子さん、手術どうだったって?」
「まずは予定どおりに終了したみたい。ところで、母さんさ、相部屋を強く希望したみたいなんだけど、母さんらしくないと思って」
「そ、そうなんだよ。良子ちゃんがすぐにはこっちこれないっていうんで、おれが呼ばれてさ、昨日はじめて面会にきたらさ四人部屋にいるからさ、個室空いてないの?って聞いたんだよ、以前、入院するなら個室がいいって言ってたから。でも昨日、勝子さん、相部屋がいいんだっていうんだよ。理由聞いたら<娘の自慢話を部屋の人たちに聞かせてやりたいんだ>って」
 それも変だ、と思った良子さんはトオルさんに言います。
「それは母さんが適当に答えただけだよ。母さんは娘自慢をするような人じゃないもの」
「いやいや、最近は相当に良子ちゃんの自慢話してるみたいだよ、近所とかサークルとかで。こないだなんか、勝子さんのマンションの自治会長に、<あなたの姪ごさんは、女性事業家として成功してるんだってね、雑誌や新聞に取り上げられたりして>って言われたよ。オレ、隣のマンションの自治会長だから、その人と話す機会があってさ」
 良子さんは驚きます。娘自慢を近所の人にすることも意外すぎるし、サークル活動をしていることもまったく知りませんでした。
「一体、なんのサークルに入ってるんだろ」と彼女がつぶやくとトオルさんが目を丸くしていいます。
「え? 知らないの? コーラスサークルのマネージャーだよ。良子ちゃんの父さんが亡くなったあと、すぐにはじめてさ、大会に出て賞をもらうほどのサークルらしいよ」
 それからトオルさんは、勝子さんの最近の暮らしにかんすることを知っているだけ良子さんに話しました。そのほとんどを良子さんは知りませんでした。
 良子さんは改めて、寝ている勝子さんの顔に目をやります。すると、さっきまで見ていた母親の顔ではなくなったような感覚になります。まるで十数年ぶりに会ったような感覚。
 良子さんは、大学卒業とともに実家を出て以来、週に一度は電話で話してきました。
「どう、変わりない?」「うん、変わりないよ」「元気?」「うん、元気。良子は順調?」「うん、なんとか」
 そんな短い会話でしたが、頻繁に母の声を聞き、娘の声を聞かせることに意味があると良子さんは思って電話をかけていたのです。正月とお盆の年二回は必ず帰省もしてきたけれど、一泊してすぐ帰るパターンであまりこまかな話はしませんでしたが、顔を見て、顔を見せることが大事だと思ってきたのです。
<結局、私の中の母さんの情報は、家を出て以来更新されてないのかもしれない>
 相部屋を希望した気持ちを察することができないのも当然かもと良子さんは思えてきました。
 
 その後、勝子さんが相部屋を希望した理由は、この病棟の個室では心霊現象が起こるという噂を聞いてこわかったからだとわかったそうです。それを知って良子さんは、「やはり私は母親のことを知らない」と改めて思ったそうで、毎日の暮らしのささいなことも聞き、自分のことも話したいと思ったそうです。

ページの先頭へ戻る