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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第57回 親身 2009/2
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 18時過ぎ。某病院の緩和ケア病棟。夜勤のナースがあわただしく各病室をまわっています。ナースステーションの奥にあるナース休憩室では、日勤勤務だったナースがひとり、手に持った封書を見つめながら座っています。
 彼女は植草さん、25歳。手にしている封書は、一週間前に亡くなった青木哲治さん(79歳)が、生前に彼女宛に書いたもの。青木さんの荷物の中から見つかったと、青木さんの秘書の女性が送ってくれたのです。今朝、日勤開始前に手渡されたので、昼休みなどに読むタイミングはあったのですが、彼女は封を開けませんでした。とても読みたい反面、恨み言だったらどうしようと開けるのがこわいのです。

 青木哲治さんは、亡くなるひと月前に、植草さんが勤務する緩和ケア病棟に入院しました。数年前に結腸癌の手術をした後は病院受診をしないまま経過。数ヶ月前から腹痛や食欲不振が強くなり病院を受診すると、もはや化学療法も手術もできない状態と告知され、緩和ケアを勧められたとのことでした。
 青木さんの受け持ちナースとなった植草さんは、入院初日に彼の問診を行ないました。病歴や生活習慣、家族構成など、ケアをするために必要な点を訊ねたのです。病体でありながらも、会社経営者の現役である青木さんは、無駄のない言葉選びでテンポよく応えていましたが、家族構成のところで一瞬口ごもったあと「家族はありません、すべての連絡は、車椅子を押してきた秘書の田口にしてください」と回答しました。
 その後、秘書の田口さんから、青木さんには離婚した妻と子供があるらしいこと、田口さんら社員は本来は身内の人がやるようなことを社員が行なうことをちょっと重いと感じていること、を聞きました。
 翌日、植草さんが青木さんに家族について再確認すると…。
「あっ、過去には家族はいたんですよ。あなたは現在のことを聞いているから答えなかったんですけどね。ただ、何年も前に別れていますし、その前にさんざん迷惑をかけたなど事情がありまして、たとえ死んだとしても連絡などしていただかなくていいんです。」
「わかりました」
 と応えたものの、植草さんは、その言葉通りに受け取ることはできませんでした。また、たとえそれが現在の本心だとしても、身体が衰えてきたら家族に会いたいと思うようになるかもしれないと思いました。それに、別れたご家族としても、現在の青木さんの状態を知れば会いたいと思うのではないだろうかとも。それで植草さんは、折りを見て青木さんに訊ねてみることにしたのでした。入院して二週間たったころ、青木さんがたまりかねたように植草さんに言いました。
「君ね、家族家族って、自分の価値観、いや一般的価値観といったほうがいいかもしれないが、いい加減、それを私に押し付けるのはやめてくれるかな。緩和ケア病棟とは、身も心も安楽に過ごせるようにしてくれることじゃないのかね」
「ご不快な思いをさせて申しわけありません。たしかに価値観の押し付けですね。もう申しません」
 以来、植草さんはしばらくはご家族の件を口にしませんでした。そして、青木さんがとても生き生きとする仕事の話を聞くことがほとんどとなったのです。青木さんは、病室で秘書の田中さんにこまかに指示を出しながら、仕事の整理をつけることにエネルギーを使いました。
 青木さんが入院して三週間たったころ、植草さんはふたたび、家族への連絡について青木さんに訊ねました。かなり身体が衰弱しはじめており心境の変化があったかもしれないと思ったからです。
「君は、またそんなことを! しつこいなあ」
「お会いになりたくないんですか?」
「君ね、私には彼らに会いたいなんて言える資格はないの。それに、もし、会いたいとこちらから言ったって、向こうはただ迷惑なだけだから」
「それは聞いてみなければわからないじゃないですか!」
 植草さんは、青木さんがご家族に会いたい気持ちがあることを感じていたのです。青木さんの臨終が数日単位で迫ってきていました。
「はあ、ほんとうに君はしつこいね。そんなに言うなら連絡してみてくれ。ただ、約束してくれ、向こうがどう言ったのか、包み隠さず、一言逃さず全部私に伝えること」
「わかりました」
 電話に出た青木さんの息子さんは、まるで業務連絡のような口調で「そうですか、では母や弟と相談して、折り返しお電話いたしますので」という返事。間もなくかかってきた電話では「それじゃあ、死亡確認したら連絡してください」。「それじゃあ」の言い方に「仕方ないから」というニェアンスを感じ、植草さんはショックでした。そして、<もしかして私は余計なことをしてしまったのではないか、>と思うと同時に、青木さんとの約束を果たすべきかどうか悩んだのです。
 担当医やほかのナースとも相談した結果、植草さんは青木さんに次のように伝えました。
「青木さんが旅立たれたときに連絡がほしい、とのことでした」
「そうですか、そんなこと言ってくれたんですか」
 まもなく青木さんは、ときおり意識が混濁するようになり、その後息を引き取りました。植草さんはオフだっため、その瞬間に居合わせることはできませんでした。

 植草さんは覚悟をしたように一人うなずき、封を開けます。するとそこには、大きな達筆な文字が便箋いっぱいに並んでいました。
<植草さん 家族にかんすることについてのあなたのしつこさには正直うんざりでした。しかし、あなたの親身な態度には胸打たれました。人生の最期にこういう感動を覚えることができるとは予想外でした。親身とは親の身と書くわけで、あなたは私の孫ほどの年恰好ですが、たしかに私の親なら、存命ならあなたと同様のことを言ったことでしょう。あなたに連絡していただき、家族が私の亡骸を引き取ってくれることになり、感謝。なによりも最期に親身という言葉を思い出すことができたことはほんとうによかった。ありがとうございました。>

 植草さんは、青木さんの死という現実がこのときはじめて心に届き、泣いたそうです。

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