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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第63回 星が見たい 2009/8
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 夏の夜。
 一台のワンボックスカーが、坂道を静かに降りていきます。
 運転しているのは、22歳のマサムネ君。その助手席には、マサムネ君が想いを寄せる女性で看護学生のヨウコさん(21歳)。後部座席には、マサムネ君の祖父母の健一さんと幸恵さん(ともに80歳)。健一さんは倒した座席に横になり、その横に幸恵さんが座っています。
 坂道が終わると、町の花火大会の帰りらしい浴衣姿の若い女性たちが歩いているのが見えてきます。
 幸恵さんがヨウコさんに言います。
「せっかくの休日、浴衣着て花火に行ったほうがよかったんじゃない?」
「いえいえ」と弾むようにヨウコさんが答えます。「そんなことないです。おかげで、あんな素敵な丘を知ることができましたし、それに今度、マサムネさんが今日の丘に感動した記念に鉄板焼きをご馳走してくれるそうですし、いいことづくめですよ!」
 その言葉にマサムネ君は、照れくさそうに小さく微笑みます。
「ならいいんだけどね」と言いながら、幸恵さんは夫の健一さんの顔を覗きこみます。「健ちゃん、今日はほんとうにありがたかったね。昔、二人して見たのと同じくらいきれいだったよね」
「いーや、昔に見たのより今日のほうがきれいだった」と健一さん。対向車のライトがマサムネ君とヨウコさんの笑顔を照らします。
 今夜、四人は、車で一時間ほどの場所にある丘に、夏の星を見に行ってきました。
 健一さんと幸恵さんが「あの丘に星を見に行きたい」と願っていることは、みながよく知っていました。しかし、身体が衰えてから健一さんは車の運転をしなくなり、二人の行動範囲は徒歩圏内に狭まってしまったのです。自宅から車で7、8分のところに娘さん一家が住んでいるのですが、「遊びにきてくれるのはいいけど、世話をしにこられるのは嫌だ」と宣言しているほど、娘さん一家に世話にならないのが信条で、娘や娘婿や孫のマサムネ君が何度か「丘まで乗せていこうか」と声をかけたのですが、二人はそのつどきっぱりと断ったのでした。
 先週の日曜日、マサムネ君が二人のところに遊びにやってきました。いつものように、冷蔵庫を開けて飲み物を飲み、テレビを見てくつろいだあと、彼はにわかに改まって二人に言いました。
「実はさ、御用聞きにきたんだけど、なにかさ、御用はないかな?」
「はあ? いよいよ、年寄りを世話してみたくなったのか、そういうのはお断りだよ。マサムネの母さんの差し金か」と健一さん。
「そういうのじゃなくてさあ。お願いだから、ちょっと協力してほしいんだよー」
 マサムネ君は、耳たぶを赤くしながら説明しました。一目ぼれしたヨウコさんにはじめてのデートを申し込んだら「あなたのおじいちゃんとおばあちゃんと一緒だったらいいよ。ドライブがいい」という返事をもらったというのです。ヨウコさんの祖父母は早く亡くなり高齢者と接した経験がなかったからか、彼女は現在、病院実習で受け持った高齢者とコミュニケーションがうまくとれず悩んでいるため、勉強のために高齢の方と接したいと言ったというのです。
「そういうことなら、協力してやってもいいけどな。運転しなくなってから、ここのところ遠出してないし。じゃ、どうせゆくのなら…」
 ドライブの先は健一さんと幸恵さんの希望の場所に決まったのでした。
 ヨウコさんが、後部座席方向に身体を向け、言います。
「今日は、おつきあいくださりありがとうございました。病院実習のことでいじいじ悩んでいたんですが、おかげさまで、なんか、前に進めそうです!」
「あら、少しはお役に立ちました?」と幸恵さん。「わたしらは、高齢者といっても、ちょっと意固地な年寄りだから、なんの参考にもならなかったかもしれないけどね。でも、ちょうど、主人と私の念願だった星空を見ることができて、感謝しています。実はね、主人が私にプロポーズしたのも、あの丘だったのよ」
「そ、そんなこと、いうんじゃないよ」と健一さんのかすれた声。
 幸恵さんは嬉しそうに笑ったあと、目を閉じて横になっている健一さんの顔を見ながら、寂しいような不安なような表情になったのを、ヨウコさんは見逃しませんでした。
 その後健一さんと幸恵さんの家に着き、お寿司をとってみなで食べることになり、幸恵さんがお茶の準備をし、それを手伝おうとしてヨウコさんがそばにいたそのときでした。
 居間のほうから健一さんとマサムネ君の何気ない会話が聞こえてきました。
「おじいちゃん、念願の星空を見ることできて、もう思い残すことない?」
「いーや、今度は冬の星空をあそこに見に行きたいな」
 それを聞き、幸恵さんがポロリと涙をこぼし、ヨウコさんに言います。
「よかった。あの人ね、あの丘で星が見れたら、もう思い残すことはない、死んでもいいっていうのが口癖だったから、あの丘で今日、実際に見ちゃっかたら、これで死んでしまったらどうしようって思ってたの。でも、いま、冬も見たい、って言ったわね。なら、死なないわね」
 いままで、あの丘に乗せて行くといわれても頑なに断ってきたのは、幸恵さんのそんな不安も関係していたのかもしれない、とヨウコさんは思ったそうです。

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