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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第64回 しみだらけのバスタオル 2009/9
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 日曜日の午後。
 停車したバスから、啓子さん(30歳)が降りてきました。彼女は、目の前にある量販店に顔を向けて、「どうしようかな」とつぶやきます。
 彼女は、彼女の父の貞男さん(65歳)のアパートへと向かっているところです。啓子さんが高校生のときに両親は離婚し、一人娘の彼女はお母さんと暮らしました。そのお母さんは二年前に亡くなりました。
 貞男さんは、三年ほど前から体調を崩しました。しかし、本人は頑として病院受診をしようとせず、自宅で寝たり起きたりの日々を送っています。
 看護師でもある啓子さんは、そんな父親をほうっておけず、一年前から月に一回は、彼のアパートを訪ねています。
 啓子さんは小さいころから、貞男さんに対し許せない部分がたくさんありました。パチンコ、マージャン、競輪、競馬、競艇と、ギャンブルにお金をつぎ込んでいない時期がなかった貞男さんは、働いたお金のほとんどをギャンブルにつぎ込んでいました。そのせいで、啓子さんのお母さんはたいへん苦労し、啓子さんが働くようになって楽になったのもつかのま、病気になりあっけなく亡くなってしまいました。
 貞男さんをたいへん嫌悪し、顔も見たくないと思っていた啓子さんですが、お母さんが亡くなる前に「お父さんと会いなさい」と言ったことや、叔母さんから「病気になってギャンブルをしなくなったから会ってあげて」と言われたことや、離婚後も毎月一定額を啓子さんのお母さんに送金していた事実も知り、啓子さんは会う気になったのでした。
 一年前、啓子さんは久しぶりに貞男さんに会い、父親が昔とは印象ががらりと違っていることに驚きました。目をぎらぎらさせ、声が大きく多弁で、自信ありげだった貞男さんは、やせ細り、声も小さくなり、口数も減り、目つきも穏やかになっていました。それで啓子さんは、娘として労わってあげたい気持ちが出てきました。
 とはいえ、啓子さんには貞男さんを許せない気持ちがまだ残っていたのです。それがひとつの行動に出てしまい、啓子さん自身、困惑していました。バスタオルのこと。貞男さんは、それまでバスタオルを使っていなかったようで、アパートにはひとつもありませんでした。それを知った啓子さんは、風呂上りはもちろんのこと、敷き布団の上に敷いたり、布団の襟元部分にもあてたほうが良いと考え、自分のバスタオルを何枚か提供したのです。そのバスタオルは、雑巾にしてもいいと考えていたような使い古しのバスタオルでした。また、そのうちのひとつは、料理をこぼしてしまったことのあるシミだらけのものでした。たくさんあるバスタオルから彼女は咄嗟にそれを選んだのでした。
 貞男さんは、啓子さんがすすめたとおり、そのバスタオルを風呂上りに使用し、かけ布団の襟元部分にもあて、敷き布団の上にも敷いていました。彼女が訪ねるたびに、そのボロボロのバスタオルが目に付き、一瞬、小さな罪悪感を覚えるのですが、<使い古しのほうが、肌触りがいいのよ>と心の中でつぶやいて帰ってくるのです。しみだらけのタオルが布団の襟元についているのを見て、彼女はすっきりする感覚もおぼえました。
 しかし、貞男さんのアパートへと向かうバスの中ではいつも、<あんなタオルを使わせて、私はなんてつまらない、くだらないイジワルをしているのだろう>という思いになり、バス停の前にある量販店で新しくきれいなバスタオルを買って行ってやろう、と思うのです。けれども、いざ、売り場できれいなバスタオルを目の前にすると、貞男さんに対し腹が立ってきて無性にくやしくなってきて、結局買わないでしまうの繰り返しなのです。そして、<私って、なんでこんなことで、迷ったり腹を立てたりするんだろう>と思い、決まって涙がこぼれるのでした。
 しかし、今日の啓子さんは違います。アディクション看護という視点を看護書(アディクションとは「好ましくない習慣によって生活が破綻した状態」を意味する。アルコールや薬物の依存症だけでなく買い物依存症・ギャンブル依存症・仕事依存症などの習慣的行動に根ざす不健康な状態を、アディクションという切り口でとらえ、回復のための生活再建において、看護ができることを考えてゆくための内容構成をした本)で知り、アディクション看護の視点で貞男さんをとらえれば、客観的になることができるように思えてきたのです。貞男さんの生まれ育った環境や家族との関係なども、ギャンブル人生と大きなかかわりがあることを、啓子さんは改めて冷静に考えることができる気がしています。
 啓子さんは、量販店で躊躇なくバスタオルを手にとり、購入できたそうです。

 啓子さんがアパートに新しいバスタオルを持っていったものの、貞男さんはしみだらけのいままでのタオルのほうが肌触りがいいといって使い続けており、その頑固さに接して、啓子さんは笑いがこみあげてきたそうです。そういうことで笑えたことが、啓子さんは何故かうれしかったそうです。

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