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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第80回 10年目の決意 2011/1
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 13時過ぎ。ナース休憩室内に、ナースたちが所狭しと座っています。昼休みの後半組がつかの間の休憩を取っているのです。今日の休憩室はどんより重いムード。病休者が二人も出てそのカバーをしている上にアクシデントが続き、みんな疲れているのです。手帳を覗きこむ人、甘いものを食べる人、勤務表を睨む人、自分の太ももをマッサージする人、雑誌を眺める人…。みんな、無言です。誰かが小さくため息をつきます。「10分くらい、うたた寝しようかな」
 長椅子の端に座っているキャリア10年のナース、伊勢さんが、誰にともなくそう言って腕を組み、眼を閉じます。そして伊勢さんは心の中でつぶやきます。
<ほんとに、わたしにできる?>
 今月末に急遽、現主任が退職することになり、後任として、一週間前に師長から彼女に内示があったのです。
<わたしには無理。うちのスタッフには、何組も犬猿の仲の人たちがいる。やる気がなくなっている人もいる。やる気が一人歩きして浮いた存在になりがちの人もいる。ミスが心配で目が離せない新人もいる。どうしてわたしがやらなければならないの? 荷が重過ぎる><それに、みんなと一緒に働くのはいいけど、主任としてみんなを守ったり気を配ったりするエネルギーを使いたくない。みんなに対し、それほどの愛情はない気がする>これらの言葉が頭に浮かんでは消えて、の彼女の一週間でした。
 そして昨日の夜中に、新人時代に当時の看護師長・大山さんに言われたことを伊勢さんはふと思い出したのでした。ある日大山さんは、休憩室で日本看護協会の業務委員会がまとめた「看護業務基準」(1995年版)を読んでおり、新人の伊勢さんはそれを見せてもらったのでした。大山さんは言いました。
「ふふ、その様子では、この文章、あなたにはまだまったく頭に入らないようね。でもね、キャリアを重ねて、そうねえ、10年目くらいになったら、この文章に絶対感動するわよ。一文一文がね、自分の目に飛び込んでくる感じになるから。だから、そのくらいになったらまた読んでみて、成長の証になるから」
 それを思い出した伊勢さんは、布団から出てパソコンに向かい、インターネットで検索して「看護業務基準」(2006年度改訂版、1995年版に<看護を行う権限と責務>などが加えられたもの)を読んでみたのです。

 驚きでした。大山さんが話していた通り、一文一文が目に飛び込んできたのです。看護職が立つための足場をしっかり示してくれているようで、伊勢さんはとても心強く感じました。そして、<看護実践の基準>の中で示されていた次のくだりのところでは涙がぼろぼろとこぼれてきたのです。
●主治の医師の指示に基づく医療行為を行い、反応を観察する。
 看護職は、保健師助産師看護師法第37条が定めるところに基づき主治の医師の指示の基に医療行為を行うが、以下の点については看護独自の判断を行う。
1.医療行為の理論的根拠と倫理性
2.対象者にとっての適切な手順
3.医療行為に対する反応の観察と対応

 そう、そう、そうなのよ! 世間の少なくない人たちが、看護師は医師の指示を何も考えずに実施しているように誤解しているけれど、私たちは医師が指示した医療行為が本当に適切かどうか、実施方法は適切かどうかなどを判断し、実施中・実施後の患者さんの容態の観察をして対応するなどなど、看護師の知識や技術を総動員して責務を果たそうとしているんだ。毎日毎日、現場で。その働きが、事故を未然に防いだり、適切な療養につなげたりしている。そのことをこの文書を作った人たちは実によく分かっている。またそれをこのように明示する必要も強く感じている。この文にはその思いが込められているんだ、と伊勢さんはつぶやきました。<分かってるからね>と天の声が聞こえたようにも思いました。
<わたしも少しは成長したのかな。主任、なんとかやれるかしら>
 「看護業務基準」を読み終え、そう思えてきた伊勢さんでした。
 しかし、今日、職場に出て仕事をしているうち、また自信がなくなってきたのです。
 休憩室で伊勢さんは、うつらうつらしながら昨夜の「看護業務基準」の感動を思い出していました。いつのまにか涙が流れ出ていたようです。頬を涙が伝う感触で目を覚ました彼女は、慌てて眼を開けます。
 すると、室内の全員が心配そうに伊勢さんに視線を向けていました。
「涙を流しているからどうしたんだろうと思ったんですけど、起こすのは可哀想だし…」
 それでみんなは、5分ほどじっと彼女を見ていたのだということでした。伊勢さんは、彼女らの温かな視線の中に、看護師として伊勢さんを観察している冷静な視線も感じ、それがうれしいと同時に頼もしく感じ、その瞬間に<この人たちが、看護の実力を心置きなく発揮できるように、主任として私なりにみんなと頑張ってみよう>と心が決まったそうです。

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