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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第81回 子供の泣き声 2011/2
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 夜中。
 ナースステーションのそばの病室に、二人の患者さんが入院中です。二人ともあまり容態が良くありません。室内灯は消され、室内上部の窓ガラスごしに廊下から薄明かりが差し込んでいます。どこかから、心電図モニターのピッ、ピッという音。

 二人のうちの安川孝雄さん(68歳)が、となりのベッドの島本洋二さん(68歳)に心の中で話しかけます。
 島本さん__、今日、あなたがこちらの病室に移ってきてから聞こえてきたことを総合すると、もしかして、以前、外来受診でよく顔を合わせて、一度、売店であれこれ立ち話したことがあるあの方じゃないでしょうか。名前に聞き覚えがあります。年が同じ、女房に先立たれたのも同じ、子供がないのも同じ。いろいろ共通点があるって盛り上がって、喫茶コーナーでお茶を飲みましたね。で、今度会うときは同じ病室だったりしてね、それは避けたいね、って冗談を言って別れましたが、いやはや、それがほんとになってしまいました。とにかく、今日から同室、よろしくお願いいたします。
 今日、こちらに来たばかりは苦しそうに息をなさっていましたが、今は呼吸が規則的になりましたね、少しお楽になったのでしょうか。
 夕方には、たいへんお騒がせしました。まさか、すぐそこの廊下で、子供があんなに大声で泣くとは…、お苦しそうなときに申し訳ありませんでした。
 今日の夕方は、美希という姪とその子供の潤というのが見舞いに来てくれたんです。この姪とは結構行き来しておりまして、自動的に子供の潤とも遊ぶ機会がありましてね。
 で、その潤がどうしても私に会いたいって言い出したそうで、今日来たわけなんです。
 病室に入ってきて私を見た二人は、まず絶句してしまいました。半年ぶりだったんですが、その間にかなり私の外見が変わってしまって驚いたんですね。私自身、こないだ鏡を見て自分の顔とは思えない痩せとやつれように驚いたんですから、二人が驚くのも当然ですね。さらに、私は携帯メールでは元気そうに書いてましたから、前と同じ外見をイメージしてたでしょう。
 それでも姪は大人ですから、なんとか取り繕って私に接してきたのですが、幼稚園児の潤は、妖怪か何かに出会ったかのように目を見開いたまま固まってしまいましてね。私は全身がだるくて声を出せなくて、姪の問いかけに目で返事するくらいでね。結局、潤には何も声をかけてやれないでしまったんです。
 姪は早々に帰ると言い出し、二人は病室を出ました。するとその直後に、潤がわーっと泣き出したのが聞こえてきたんです。普段は廊下の音はあまり聞こえてこないのですが、ちょうどその時は、あなたがこちらに移動してきたばかりで、便宜上ドアが開けっ放しになっていて、幸いよく聞こえたんです。
 あなたにも聞こえていたでしょうか。潤は「あの人、ガイコツみたいだもの。あれは、タカおじちゃんじゃない!」って大声で言って、泣きました。姪が何度も「あれは、タカおじちゃんだよ」って言い聞かせるんですが、「違う」って一点張り。
 それで姪は、潤を連れて、もう一回、病室に入ってきたわけです。潤は、泣くのをやめて、目をまんまるに見開いて、私を確かめていました。それで私は、私だってことをわかってもらうために、手を出して、指相撲を誘う手つきをしたんです。潤は私と指相撲をするのが大好きでね。
 すると潤は「あっ」と言って、手を出して、私の手と指相撲をするように組んできて、顔をほころばせたんです。
 でも、すぐにすっと手を外して、いきなり走って病室を出てしまった。姪がそれを追って、「潤! どうしたの」と声をかけました。
 そしたら潤は「タカおじちゃん、死んじゃうの? ねえ、死んじゃうの? ママ、おしえて。死んじゃうのは可哀想だよ」と言うと、今度はさっきの何倍もの声でわーわー泣き出したわけなんです。
 子供ですから、慎んだり配慮したりするってことを知らない。こういうの、しつけがいいのか悪いのか…素直すぎますね。
 でもね、島本さん、今日の潤の泣き声を聞いて、私は実にすっきりした感覚になったんです。清々とした気分と言ってもいいでしょう。大人たちは、みな、衰えてゆく私に気を使って接してくれています。それはありがたいし、大人が大人の配慮をしてくれなければ逆に頭にきちゃうでしょう。
 だから、小さな子供の潤がやったから、良かったんです。潤からの、ほんとうにいいプレゼントでした。小さな子供がね、私のために大声で泣いてくれたんですからね。葬式で泣いてくれても私には聞こえないかもしれませんからね。子供の泣き声がこんなに嬉しかったのは初めてかもしれません。
 だるくて、声を出して話しかけるのは難しいんですが、また、明日、心の中で島本さんに話しかけてもいいですか? 心の中で話しかけるだけでも、聞いてもらった気持ちになるものなんですね。どうか、島本さんも、声を出さずとも、私に話しかけてくださいな。

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