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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第93回 年の差恋 2012/3
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 19時。立浪誠一さん(74歳)宅。
二階家の一階廊下で、誠一さんの娘・紀子さんが、誠一さんの部屋のドアを何度もノックします。その手元を、男性二人と女性二人が見つめています。二人の女性は、訪問看護ステーション「けやき」の看護師の大前田さんと小堀さんです。
 少し前に、紀子さんから「けやき」に電話があり、訪問を担当している大前田さんがそれを受けたのでした。
 「父の部屋に鍵がかかって、入れないんです! どうしましょう、悲劇が起きたら」
 誠一さんの痛みを緩和するパッチ交換をするために、部屋に入ろうとしたら鍵がかかっているというのです。夕方に窓から入ったらしい誠一さんの恋人が鍵をかけたと思われるそうです。パッチの張り替えは少し遅れても問題はありませんが、それよりも鍵をかけて閉じこもってしまったことを、紀子さんは「何かあったら」と心配している様子でした。
 誠一さんの恋人の如月優子さんは24歳。50歳も離れている年の差カップルです。
 半年ほど前、誠一さんの孫の泰輔君が同級生の優子さんを自宅に呼んだのが二人の出会いのきっかけでした。優子さんが好きだという詩人について、祖父の誠一さんはとても詳しいから、と泰輔君が誘ったのでした。
 以来、優子さんはちょくちょく誠一さんのところに遊びにくるようになり、あるとき誠一さんは、周囲がまさかと思っていた恋人宣言をしたのでした。ゲーテの詩を半紙に書きベッドサイドに貼りだしました。

 はるかなひとへ
わがこの胸のほかのいずこに   きみは住むというのか 
  優子殿へ  誠一より

 年の差を理由に両家は交際に反対しました。また、泰輔君は、意中の人を祖父に取られたショックで沈みがちになってしまいました。
それでも、誠一さんと優子さんの想いは変わらないようで、優子さんは頻繁に誠一さんを訪ねてくるので、いよいよ先週から立浪家では、優子さんを家に入れなくなったのです。それについては、如月優子さんの家族にも泰輔君から連絡が入っていました。
 そして今日、どうやら優子さんは、夕方に窓から誠一さんの部屋に入り、鍵をかけてしまったようなのです。
 ドアをノックする手を止め、誠一さんの娘・紀子さんが、訪問看護師の大前田さんと小堀さんをちらと見たあと、誰にともなく言います。
 「優子さん、ここ数日、思いつめたように<ロミオとジュリエット>の話ばかりしていたんですって。私たちが反対したばかりに、もし悲劇が起こってしまったら、やはり、私たちの責任なんでしょうか」
 大前田さんと小堀さんは顔を見合わせます。実は、小堀さんは、優子さんの祖母の訪問看護の担当者なのです。今回のカップルが誕生して以来、大前田さんは立浪家から、小堀さんは如月家から、「二人が別れるように働きかけてほしい」「どうにかしてほしい」と言われるようになりましたが、ナース二人はそろって恋愛については不介入のスタンスでした。
 とはいえ大前田さんと小堀さんの考えには相違がありました。誠一さんは、優子さんと出会ってから携帯メールなどもやるようになり見違えるように元気になっていました。特別養護老人ホームでの勤務経験で、高齢者の盛んな恋愛事情とその大切さを見知っていた大前田さんは、誠一さんと優子さんの恋愛について容認派でした。一方、小堀さんは、優子さんの祖母の体調がこの件を知って以来不安定になってしまったこともあり、二人を積極的に応援する考えではありませんでした。もともと、看護観に温度差を感じていた彼女らは、カップルの件で最低限の会話しかしないぎくしゃくした関係になっていました。
 紀子さんが、再びドアをノックします。「優子さん! 開けてください!」
 すると、泰輔君が暗い声でいいます。
 「中はずっと静まりかえってる。やっぱり二人は、変なことを考えたのかも! オレ、二人の恋愛は恥ずかしいって昨日優子さんにメールしてしまったんだ」
 紀子さんのノックする手が止まります。
 泰輔君が思いついたように言います。
 「そうだ、窓の鍵が開いてるかもしれない。開いてなくても、中の様子がのぞけるかも」
 泰輔君が動こうとするのを止めて、大前田さんと小堀さんが見に行くことにしました。誠一さんと優子さんがどうしていたとしても、泰輔君がその場面を目にするのは心の負担が大きいと考えたのです。二人は抱き合っている可能性だってあります。
 取り急ぎ彼女らが庭にまわり、鍵がかかっていなかった窓を開けると、薄暗い室内で、二人ともヘッドホンをつけ、手を握り合い……。

 二人は、一緒に音楽を聞いているうちに眠ってしまっていたのでした。
 その後、立浪家と如月家が二人の交際を反対するのは、年の差だけではなく、ほかに恋愛にまつわる因縁のようなものが両家にあったことを、大前田さんと小堀さんは知ったそうです。昔、誠一さんと優子さんの祖母は恋人だったこと、優子さんの兄は泰輔君の姉にふられた過去があること。
 訪問看護とは、対象の方の家の歴史にもおじゃますることなのだと、大前田さんと小堀さんは思ったそうです。それと、年の差恋のパワーでしょうか。この事件の日以来、二人はぽんぽんと考えを言い合う仲良しになったのだとか。

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