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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第95回 外出の付き添い 2012/5
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 昼下がりのデパート。
 誰もいないがらんとした女子トイレで、寺本靖恵さん(82歳)が鏡をのぞき込みながら、手を洗っています。きちんと整えた白髪。落ち着いたメイクアップ。明るいグレーのワンピースの首元には、藤色のシフォンのスカーフを巻いています。
 その彼女を見守るように傍らに立っているのが三浦友美さん(29歳)です。白いブラウスにベージュのスカート。足元はスニーカーです。
 今日、寺本さんはデパートに行くために、さまざまな世話や手伝いを請け負う人材派遣業者に付き添い人の依頼をしたのでした。ひと月前の病院退院の際にこの業者に退院付き添いの依頼をしたところ、ちょうどいいサービスだと感じ、再度依頼したのです。
 寺本さんは「ありがと」と言って、ハンカチを受け取りながら三浦さんに「あなたも入ってきて! 気兼ねせずに、さっ、どうぞ」とトイレを促します。
 「じゃ、すみません。すぐに」と答えながら、三浦さんがトイレに入ると、寺本さんは再び鏡に目をやって、映っている自分に話しかけます。
 「ねっ、やっぱりね。資格がない人のほうが、こんなふうに気楽なのよ。付き添いといっても、女学校でお友達についてきてもらうような、そんな感じがいいの。それがもし、あの、野島さんだったりしたら、指図してないように見せながらもしっかり指図するのよ。ここでトイレに入るとしたって、たぶん、ドアのところまでついてきて、<なにかあったら声かけてください、ここにいますから>とかなんとか言ってほほ笑んじゃって、で、トイレから出てきたら出てきたで、ほほ笑みながらも私を観察するような目で見るのよ」
 三浦さんがトイレから出てきて、手を洗いながら言います。
 「すみません、ありがとうございました。次は、何売り場に行きます? 予定通り、バッグ売り場、甘味処、地下の美味しいもの売り場、のコースにしますか?」
 「そうねえ、とにかくは、バッグ売り場ね」
 「はい」
 寺本さんは、バッグを斜めがけにし、右手で杖をつき、左手で出口のドアを指差し「ドア、開けてくださる?」と三浦さんに声をかけます。

 デパート内の甘味処。
 寺本さんと三浦さんは、向き合ってあんみつを食べています。バッグ売り場のあと、香水、食器売り場もまわり、ここにきました。
 「いろいろつきあわせてしまったわね。でも、あなた、とっても楽だわ」
 と言って寺本さんはおいしそうに餡子を頬張ります。
 トイレから出たあと、売り場をまわりながら寺本さんは、いかに看護師の接し方が気に入らないかを話し続けました。そして、先の入院で担当だった野島さんというナースの悪口にも熱心でした。それが甘味処に入ってからも続いています。
 「そうそう。あなた知ってる? 教育入院っていう入院があるのよ。先生もナースさんもあからさまに教育とは言わなかったけど、カルテにはそう書いてあったわ。いくらしゃがみこんで目線を低くしても、ナースさんの目は教育の目なのよ。話すときの間なんかも、いかにも教育の意識がありありなわけね。あー、嫌だ。それでまた、親近感を感じさせるためなのか、『寺本さーん』って、幼稚園児に話しかけるような声色を使ったりするのよ。思い出してもぞっとする。人生の大先輩をつかまえて何言ってるって思ったわ。あの野島さんも、そういうとこが多々あった。検温のときに、さりげなく私の肩に手を置いたりしてね。ほら、今の若い人が言う、うざいってやつよ」
 「そうですか」
 話を聞く一方の三浦さんは、実はナースなのです。これは、登録した人材派遣業者では、社長以外誰も知らない事実です。三浦さんは、思うところがあり一年前に病院を辞め、現在はナースの資格を使わずに仕事をしています。今日も、ナースらしいところが出ないように言葉や動きをぐっと抑えているのです。
 寺本さんのナースへの不満話は、ナースであることを明かしていないからこそ聞けることで、患者さんの胸の内がストレートに伝わってきて「なるほど」と感心しきりでした。共感できる面もありました。三浦さん自身も、ほかのナースに対して、寺本さんと似た感覚を持っていた部分があり、ナース社会が肌に合わないと感じていたことも退職の理由のひとつなのです。
 しかし、聞いているうちに、寺本さんが非難している野島さんというナースは、自分にそっくりなような気がしてきて、同時に、自分の至らなかったところを寺本さんに責められている気がしてきて、話を聞くのがだんだんと辛くなってきました。
 夕方、寺本さんのデパートめぐりが終わり、タクシーで帰宅の途につきます。寺本さんは、タクシーの中でも野島さんの悪口です。<もう少しの我慢だ>と三浦さんは自分に言い聞かせます。
 そして、ご自宅に到着。書類にサインしていただき、挨拶をして帰ろうとする三浦さんに、寺本さんは言ったそうです。
 「でもね、さんざん悪口言ったけどね、誤解しないでね。野島さんのこと、嫌いじゃないのよ。どちらかっていうと、好きなのよ。ああいう人、いてもらわなければ困るの。ナースさんという仕事も大事。結局は人を安心させるのよね」

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