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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第162回 饅頭かクッキーか 2017/12
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 4階西病棟(以下、4西)のナース休憩室に、後半の昼休憩の人たちが細長いテーブルをはさんで、ぎゅうぎゅう詰めで座っています。職員食堂で昼食を終えて戻り、業務再開までのひとときを過ごしているのです。
部屋の奥から見てテーブルの右側に5人、左側に5人が座り、手前の短い辺に1人、主任の君島節子さん(36歳)が座り、複雑な表情をしながら正面の壁掛け時計を見つめています。
君島さんは本日、この病棟に着任し、はじめてスタッフたちと昼食をともにしたのです。みなでなごやかに食事をしたのですが、休憩室に入るなり険悪なムードがたちこめ、右側の5人がタカ派、左側の5人がハト派で対立関係にあると知らされたのでした。そんな派閥がスタッフ内にできていることなど、彼女はまったく聞かされておらず驚くとともに困惑中です。
 目下、テーブル上に置かれているお土産の菓子について、両派は言い合っています。温泉饅頭(タカ派の人のお土産)とご当地クッキー(ハト派の人のお土産)の是非について。
「主任、なんでもかんでも一口サイズの温泉饅頭にすればいいってもんじゃありませんよね」
 ハト派のひとりがタカ派をにらみながら言いました。
「たとえばグルテンフリーのダイエットをしている人がいることを知りつつクッキーを買ってくるのは配慮が足らないでしょ」
 君島さんがなにか言おうとするところを遮るようにタカ派のひとりがハト派に返しました。
「和菓子はあまり食べないって人だっているんだから、そういう細かいことを言ってたら何も買えなくなるでしょ」
「細かいことって言うけどね、昨日の緊急入院の担当のことだって、細かいこと言ってるのはどちらでしょうか」
 この病棟は二交代制で、日勤は17時30分まで、夜勤は17時から、と決まっています。しかし、17時30分までの入院受け入れは日勤で受けるのが暗黙の了解となっており、昨日の場合は、17時29分に緊急入院が入るという連絡があり、17時40分にその患者さんが病棟にあがってきたのです。で、30分は過ぎているものの日勤メンバーが入院受け入れをしたのでした。
「主任! その受け入れをしたメンバーは私たち、つまりハト派の人だったのですが、タカ派の夜勤の人は、<余計なことをされた。時間的に夜勤の担当範囲なのだから、自分で担当するつもりでいた。恩を売るみたいな感じでハト派にでしゃばってこられた>みたいなこと言いだしたんです。おかしいでしょ、せっかく夜勤者を思いやって親切でやったことなのに」
「なにが親切よ。夜勤の彼女自身が担当したほうが、状況の把握がすぐできてよかったのにって言ってたわよ!」
「えー!」
 両派の言い合いは収まらず、君島さんの困惑は深まります。主任の印象が決まる大事な初日ですから、いまここでの言動や振る舞いには慎重になります。
 そして両派はテーブル上のお土産の話題に戻ります。
「だいたい、休暇をとって旅行に行った人は必ずお土産を買ってくるというのをはじめたのはタカ派の人で、それがなんとなくルールになってしまったんですよ。次第に買ってこないといけないような雰囲気になってしまって、最近では、結婚式に参加した場合とか、帰省した場合とかにも買ってこなきゃいけないムードもできてきて、お土産ルールを廃止したほうがいいのではって声も出てるのよ」
「ルール、ルールって、ルールがなければ何もできないのかな。場の状況をおしはかって、そのときそのときの判断を大人としてやればいいわけで、じゃあ、結婚式の場合はどうなの? とか言いだすのは大人として成熟してないのよ」
後半組の休憩時間があと5分であることを時計を見つめている君島さんはわかっています。いま自分が主任としてコメントしなければ、今後、「何もしない、何もできない主任」というイメージができてしまうと考え、超高速で自分がすべきこと、言うべきことを考えます。
そして決心がつき、すっくと立ち上がり彼女は、鳥が羽ばたく動作をします。
その行動にみなは無言になって君島さんを見つめます。丸くなった目で。
君島さんは、羽ばたく動作をやめると、
「実は、私は、つい最近まで、肝性脳症のときに生じる羽ばたき振戦を、いまやったような羽ばたきだと思っていました。そんな私が、4西の看護主任として意見を言います。派閥をつくり、派閥として意見を交わすより、個人個人、一対一で意見を交わす。テーマによって、同じ意見、異なる意見があるのが健全です。つまり、派閥をつくるのはよくないです! そして私は、」
 そこまでいうと、テーブル上の饅頭とクッキーをひとつずつとり、すばやく包装フィルムをむき、両方を一度に口に頬張りました。
 その様子にしばし呆気にとられていたみなの表情が、一気にやわらかくなりました。
そして、タカ派もハト派も顔を見合わせてにこにこしているのを見て、君島さんはひとり困惑を隠しきれません。
 スタッフのひとりがテーブルの下から一枚のコピー用紙を取り出し、そこに大きく書かれている文字を君島さんに見せます。
歓迎ドッキリ、と書かれています。
「は?」
 君島さんがぽかんとしていると、みなは立ち上がり、
「あっ、休憩時間終わりだね」
「ほんとだ、業務にもどろう」
「だね。そういうわけで、主任! 失礼いたしました」
「タカ派もハト派もありませんから。ドッキリのために演劇のエチュードみたいな感じで演じてみました!」
「失礼しましたー」
 そういって、君島さんを置いて、みな逃げるように休憩室を出ていきます。
 みながいなくなり、
「え? え? えーー?」
 と君島さんが口をもぐもぐさせながら心の声をあげていると、一人、タカ派と名乗っていたナースが戻ってきて、
「あの、羽ばたき振戦って、鳥が羽ばたくような動作だと私も思っていましたが、違うんですね。おしえてください」
「こうよ」
手首から先だけヒラヒラさせてみせます。
「そうなんですか、ありがとうございます!」

 まったく別領域の病棟から主任として異動してきた彼女について、異例の抜擢と噂する人がいることを聞いていたため、心を武装して出勤した君島さんでしたが、この手荒な歓迎で、肩の力が抜け、スタッフたちに一気に馴染めたのだそうです。

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