医療・福祉のあらゆる分野の第一人者の方々に、ご専門分野に関する現状・課題・今後の展望などをおうかがいする「今月のインタビュー」。
多くの看護師、医療従事者の方々にとって"目指すべき医療とはなんなのか"を考えるきっかけにしていただけるよう、毎月テーマを厳選してお届けします。
第60回 2008/04
手書き入力からバーチャルハートまで、診療の未来を探る
電子カルテがある程度普及してきた今日、今ある電子カルテの限界が明らかになりつつあるようです。今回は電子カルテをもっと身近なものにする方法から、スーパーコンピュータを駆使したバーチャルハートの研究まで、幅広い研究領域を持つ中沢さんにその思い描く診療の姿をうかがいました。
国立循環器病センター 研究所研究機器管理 室長・大阪大学 臨床医工学融合研究教育センター 招聘教授・博士
中沢 一雄 氏
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現在の電子カルテは基本的にデータベース化が前提で、インタフェースも一世代前のビジネスソフトのままなのです。実際、診療の現場には規格化できていなかったり文字にしにくい情報などがあって、今の電子カルテではなかなかうまく処理できない部分があります。ですから現場では、入力項目がないので入力できないとか、そのままでは入力できないのでやむを得ず本来とは違う形に置き換えて入力している、などということがたくさんあるわけです。現在の電子カルテに足りない機能を何かしら補う必要があります。
たとえば薬剤名のように、規格化されデータベースとしてきちんと入力できる情報もあります。しかし、医療はバリエーションのかたまりのようなもので、医師は文字にできないような情報を適切に絵で表現したりします。情報が電子カルテに入力できないからといって省かれてしまう、それでは困るわけです。規格化できていない情報が診療のデータから落ちてしまうのを何とかしないといけないと思っています。
そこで私が考えたのは、電子ペンを使って手書きして、それをそのままコンピュータに取り込んでしまうシステムです。紙の診療録でやっていたことをそのまま電子化できるだけでも十分メリットがあると思っていますし、今の電子カルテで入力できない部分は手書きとして少なくとも電子化して保存することができます。まずは、情報をもれなく電子化することが基本だと思っています。
ところで、我々の開発したシステムでは、手書き入力したデータをベクトルデータとして扱うので、ビットマップ画像と違ってかなり柔軟に取り扱うことができます。ゲームソフト中で見られるようにコピーして貼り付けたり、大きくしたり小さくしたり、動かしたりする機能が簡便に使え、操作も軽快です。しかも、電子ペンで手書きしたデータではいつ入力されたのかという情報を、手書きの各ポイントに持たせることができます。それで、データをコピーしたときも、どこからデータをコピーしたのかというインデックスも併せて記録させることができます。
今の電子カルテでは、入力データ全体を見るには画面をスクロールしながら見なければならず、強調したい箇所には文字色や大きさを変えたりフォントを変えたりといった追加の操作が必要です。手書き入力データであれば入力した人それぞれのやり方で強調した部分がアクセントになって印象に残り、縮小表示しても目につきやすく容易に見つけ出すことができます。我々のシステムではこのような手書き入力の特徴を活かしたブラウジング機能を備えていて、ばらばらっと入力データ全体を見ることが簡単にできます。
ただ誤解しないで欲しいのですが、全部手書きがよいと言っているわけではありません。従来型の電子カルテの機能を補うためには、手書き入力のシステムが必要なのです。病名や薬剤名は明らかに選択入力の方がベターだと思います。選べるものは選び、また必要に応じて手書きの部分を追加すればよいと思います。
ところで、手書き入力データは一般に取り扱いが難しいといわれますが、今の試作システムには、手書き文字の認識・検索エンジンや先進的インタフェースを使った機能が組み込まれています。例えば文字認識によって手書きした診療録から退院時サマリー作成の支援を行ったり、逆に作成されたサマリーから先述のインデックスの機能によって元の診療録の手書き部分へジャンプしたりすることなどができます。
また、現在製品化に一番近いところにあるのが、心臓カテーテル検査の所見入力のシステムです。手書き入力の技術を応用して、言葉では表現しにくい血管の走行や病変の部位・箇所をすばやく書き込み、XML形式で保存できます。血管走行の個人差やバイパス箇所、ステント留置位置などの情報も簡単に入力できるような工夫が盛り込まれており、けっこう便利だと思います。
さらに今の電子カルテの問題点の一つにあげられているのが、基本的には一端末一ユーザーだということです。ログイン時にのみ認証が行われ、ログアウトまで同じユーザーが使い続けるという前提でシステムが作られています。そのため、たとえばある医師が使っている端末を他の医師が使おうとすると、いちいち面倒くさい認証手続きをやり直さないといけません。したがって、一端末の一画面の中に何人かで入力するということができないのです。そこで電子ペンにIDをつけることを考えました。これは現在、特許になっています。
この電子ペンを用いて入力すると、誰が何をいつ書き込んだかが入力ごとに記録に残ります。セキュリティを高めることができる一方で、面倒な認証の手続きをユーザーは意識する必要はありません。さらにセキュリティ面をもう少し厳しくするのであれば、電子ペンに指紋認証などをつけることも考えられます。そうすれば他人による電子ペンの不正使用を確実に防ぐことができます。
ペン入力について皆さんおっしゃるのは、説明のツールとしてすごくわかりやすいということです。医師が説明しやすいですし、患者さんにもわかりやすく、かつ記録も残ります。たとえば手術承諾にしても、「あなたの心臓はこうなっていて、ここを切るという手術をしますよ」などと、絵を描いて説明したことが説明の過程も含めてきちんと残るのです。
企業にはペン入力の電子カルテのシステムを、ぜひパッケージとして提供してほしいですね。この方式は本当に良いシステムだと思うのですが、残念ながら、今の電子カルテと違いすぎるため、開発経費がかかりすぎるとか、これまでのシステムとの整合性が無くなるなどの理由で、なかなか製品化されません。
電子カルテはやはりデータベース化が前提で、ペン入力は電子カルテじゃないと言われる方もあります。しかし、いろいろなやり方を認めてあげないと結局、電子カルテは普及せず、大病院の一部だけで動くということになってしまうのではないでしょうか。
バーチャルハート(仮想心臓)の研究は私が大学院の学生の時からのテーマです。心臓機能をコンピュータの中に再現して、生体ではできないいろいろな実験をすることが狙いです。以前は、立方体など単純な形のモデルを示して「これが心臓と思いなさい」と言ってもなかなか医学系の人は振り向いてくれませんでした。ところが、ヒトの心臓の形をしたモデルを使い、ビジュアリゼーション技術を駆使して十分なインパクトのある映像をつくるとぜんぜん反応が違ってきました。それで、最近ではわかりやすい効果的なビジュアリゼーションになるように様々な工夫を凝らしています。
基本的に私たちは不整脈の研究をしています。不整脈の原因となる心臓の電気現象が専門家以外の方にもイメージできるような映像を作っているわけです。まあ実際、心臓というのは不均質のかたまりみたいなものです。心臓のそれぞれの部位のいろいろな電気的特性のデータをコンピュータにインプットすることによって、たとえば正しい心電図の波形が再現されるわけです。バーチャルハートでは、電気的特性をいろいろ変化させながら、生体ではできないような条件でシミュレーションをすることができます。コンピュータの中で不整脈を起こすこともできるわけです。
ここの研究室は私と同僚の原口研究員の2人構成です。原口研究員はもともと医用画像が専門なのですが、今は主にスーパーコンピュータを駆使して、バーチャルハートのコンピュータ・シミュレーションからビジュアリゼーションまで担当してくれています。
一口にスーパーコンピュータと言いますが、実は使うのはけっこう大変なのです。たとえばパソコンで走らせているプログラムを、そのままスーパーコンピュータに移植するだけではかえって遅くなってしまいます。スーパーコンピュータには速く計算するアルゴリズムがあって、そのアルゴリズムに合うようにプログラムをつくり変えなくてはいけないのです。循環器病センターのスーパーコンピュータはパソコン用のCPUをたくさん用いて高速計算するタイプではなく、ベクトル演算を得意とする専用CPUを用い並列処理を組み合わせて高速計算を図るタイプです。
バーチャルハートは今、標準的なモデルとしてつくられています。しかし、患者さん個人個人の心臓の特徴を盛り込んだシミュレーションができるところまでにはまだ至っていません。たとえば、MRIの断層撮影のデータから拍動する心臓モデルを作るには、数百枚の断層画像から手作業で心臓の形状を一断面ずつ取り出して作成するので約半年もかっています。ですから、このままでは実用化は難しく自動化を図る必要があります。さらに、心臓の一心拍(実時間一秒分)を計算するのに、当センターのスーパーコンピュータを使っても3時間くらいかかります。さらに精度の高い計算を行おうと思えば、もっと計算時間が必要になりますし、いろいろな可能性を探るためには、何十回、何百回と計算を繰り返さないといけません。
将来的には、バーチャルハートを使って電子カルテの中から診療支援を行うことを目指しています。患者さん個々のバーチャルハートを作成して、薬の効果だとか、副作用の可能性もバーチャルハートを使って予測することができたら、医療の質を向上させ、安全性を高めることにつながると思います。また薬剤の開発も、今はものすごい時間と費用をかけて行っていますが、バーチャルハートのようなシステムがあることで、動物実験や治験の負担が少しでも軽減できると思います。
医療をサポートできる技術を作るのが私たちの仕事です。残念ながら、研究室には二人しかいませんし、公務員としての制限などもあって、なかなか思い切ったことができないのが現状です。しかしながら、私たちはこれからも頑張って将来の医療に役立つ良いシステムをどんどん作っていきたいと考えています。
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