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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第174回 サービス担当者会議 2018/12
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 昼下がり。
 居間で、サービス担当者会議がはじまっています。
 居間との仕切りを取り去った居室では、大久保繁之さん(89歳)がベッド上に仰臥位になり眠っています。彼が介護保険サービスの利用者です。
 繁之さんは同居している長女の諒子さん(60歳)の介護を受けています。
諒子さんがいいます。
「もしかしてタケルは、父の頑固な性格が隔世遺伝したのかもしれません。二人とも頑固なゆえにこんなことになってしまって」
 タケル君とは諒子さんの年の離れた妹の末っ子で、高校一年。元々おじいちゃん子でしたが、この家から遠くない高校に通うようになり、学校帰りに自転車で頻繁に繁之さんを訪ねるようになりました。
 体調に応じて看多機(看護小規模多機能居宅介護)の訪問介護や看護、そして宿泊を利用しながら、なんとか穏やかな療養生活を送っていた繁之さんです。タケル君の来訪をたのしみにしながら。諒子さんも、自宅でピアノ教室をやりながら、なんとか時間をやりくりして繁之さんの介護に取り組んできました。
 しかし現在、そのバランスが崩れそうな状況です。
「へんな意地はってたらおじいちゃんに会えないままになっちゃうかもよって、妹はタケルに言って聞かせたようなんですが、そしたら、なおのこと、約束を守らねばならないって言ってるらしくて」
 そう言い終えると諒子さんはため息をつきます。現在の繁之さんは、意識がはっきりしており、会話も可能ですが、いつ、がくりと体調が悪くなり、看取りの段階に入るかわからないのです。
 問題は次の2点です。

①繁之さんの体調と諒子さんの仕事の都合で、繁之さんに数日間看多機に宿泊してほしい時期なのに、繁之さんは外泊はしないと言い出した。

②このままだと、繁之さんの意識があるうちに、繁之さんとタケル君が会う機会が持てないかもしれない。

 事の発端は、ひと月前の土曜の午後でした。
 タケル君が学校帰りに繁之さんを訪ねていました。繁之さんの現役時代の仕事は自動車整備士。その仕事の話を聞くのが大好きなタケル君は、将来はなにかしらの機械を作ったり整備したりする仕事に就きたいと考えています。
 その土曜日、いつものように談笑していた二人でしたが、タケル君がNHKのテレビ番組で見た「高専ロボコンの地区大会」について、
「地区大会だからかなあ、詰めが甘いっていうか、設計の段階での想定不足が目立った感じかな」
と何気なく感想を述べたなら、繁之さんの顔から笑顔が消えました。
 そして繁之さんは、しばし沈黙したあと、低い声で、
「作っていない奴が、そんな偉そうな口をきくんじゃない! あれこれ想定して作っても、いざ動かしてみると、さまざまな不測の事態に遭遇するもんなんだ」
「…………」
 繁之さんの厳しい表情と口調に接したのがはじめてだったタケル君は、ひるんで絶句してしまいますが、大好きな繁之さんに非難されて次第にくやしくなってきた彼は、泣きそうなのをぐっとこらえて顔を背けて口を尖らせてぼそぼそと返しました。
「な、なんだよ、じいちゃん。そんな言い方。そりゃいまはなにも作ってないけど。いまはただ、何かを作る動機とか機会とかがないだけで。たとえば、じいちゃんに何か作れって言われれば、すぐ作るし」
 苦し紛れに出てきた言葉でした。
「なら、タケル」と繁之さん。「オレの好きな缶チューハイ一つをだな、うちの門扉の前の三段の石段を下から上に運ぶ機械を作ってみろ」
「え?」
 大きな丸い石を並べたでこぼこの石段には石と石のあいだに苔が生えています。
「あっ、タケルには無理か」
「いや、できるよ、そんなもん」
「なら、それができるまで、タケルはうちの敷居を跨ぐな」
「わかった」
「絶対だぞ」
「うん、絶対。約束する」
「よし」
 それでタケル君はすぐに取りかかったのですが、なかなかうまくいかず難航し、いまだ完成していないのです。
 繁之さんは、タケル君がいつ完成させてもいいように、自宅を離れたくないようで看多機への宿泊を拒んでいるようなのです。また、諒子さんが、タケル君との変な約束は取り消してほしい、と何度頼んでも首を縦に振りません。 

基礎資格が看護師で現在はケアマネの藤枝葉子さんが、ちらりと繁之さんのほうに目をやったあと担当医にいいます。
「残された時間が多くはない、ということですね」
「そうですね。そのことは、ご本人にもお話してあります」
 諒子さんはそれに頷いたあと、繁之さんにちらり目をやり、
「タケルもそのへんはよくわかってて。あの子の幼馴染からタケルの母親がこっそり聞いたらしいんですが、<じいちゃんが、最後にオレに大きな課題を出した気がするから、課題を達成したら、それで安心して逝ってしまうかもしれないから、課題が出来上がらないほうがいいんだ>って言って泣いたらしいんですよ」
 泣いた、というのは諒子さんの脚色です。
「タケル君、おじいちゃん思いですもんね」
 看多機のナース・鳥羽山さんがいいました。
「ええ、機械が技術的に完成できないってタケルは言ってますけどね、ほんとうは、わざと完成させていないじゃないかってね。
 で、鳥羽山さんとこに泊まってるときは、タケルが会いに行っても、ここの家の敷居を跨いだことにならないわけよね」
 と諒子さんがいうと、「そうだね」とそこにいるみんなが返します。
 実は、ここにいるみんなが、繁之さんが寝たふりをしているのをわかっていて、わざと話を聞かせているのです。
「高1ってまだ子供ですよね。大好きなおじいちゃんが体調を崩しているだけでも大きなストレスだとおもいます。その機械の完成が技術的にむずかしいとしたら、それはおじいちゃんが心配でそれに集中できないからじゃないでしょうか。
諒子さんの腰のほうも心配です。諒子さんを助けるためにも、御父さまには一旦外泊していただくことがいちばんだとおもいます」
 ケアマネの藤枝さんがいいました。彼女は、介護施設で働いて腰を痛めたのがきっかけで、ケアマネに転身しました。諒子さんが心身ともに疲れており、腰も危ういことを知っているのです。
 このあと、別のもろもろの議題を話し合い、会議は終了となりました。

 その二日後の夕方、看多機の宿泊部屋のベッド上に大久保繁之さんが横たわり、その傍らに、ついさきほどやってきたタケル君います。
「うちのな」と繁之さんが天井を見つめたままいいます。
タケル君は、体育座りになってズボンの埃を払いながら「ん?」と返します。
「門扉前の石段はな、すべって危ないから、昨日、壊してもらったから。新しく、コンクリでぴしっと階段を作ってもらうことにしたから」
「え?うそ。 えーーー? 機械がやっと完成しそうで、明日、石段で試してみようと思ったのに! じいちゃん、なんでそんなことするんだよ! 俺の苦労、水の泡じゃないか!」
 繁之さんは、石段自体が無くなればタケル君との約束を反故にできると考えてそうしたのでしたが、タケル君はものすごい剣幕で怒りだしました。

 その後、コンクリートの階段が出来上がり、いまは繁之さんとタケル君二人で、缶チューハイを運ぶ機械づくりにトライしているそうです。そして繁之さんは、いまのところ、がくりと衰えるどころか、低空飛行ながら予想以上に体調が安定しているとのことです。

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