富塚より子様
いままでのように「訪問看護」ではもうお会いできなくなるとわかり、どうしても手紙を書きたくなりました。
野菜の素朴な絵があしらってあるこの便箋と封筒、富塚さんの好みなのではないかしら、と思い選びました。いかがでしょう。合格でしょうか。手書き文字は、ほとんど見ていただいたことがなかったので、ちょっと恥ずかしいのですが、万年筆でゆっくりと丁寧に書きます。
富塚さん
あなたはどんなときも笑みを浮かべて「こんにちは」と挨拶をしてくれました。
そして、「今日のご体調は?」と私に聞いてくださるその声はいつも慈愛にみちていました。そんなふうに声をかけていただけるなんて思っていなかったので、ほんとうにうれしかったです。毎回、心がうるおいました。
出会ってからいままでの約5年間を振り返ってみると、限られた時間ではありますが、週に1回か2回、お会いする中で、富塚さんに私はさまざまな面で支えられていたのだなと思います。
まずは、人生の先輩としての富塚さんにいろんなことをおしえていただきました。たとえば、料理のレシピではなく料理の基本。出汁の取り方や乾物の戻し方、包丁の種類や料理に適した器選びなどなど。
それと食事するときの所作も教えていただきましたね。箸の美しい持ち方や置き方、汁椀の持ち方、みかんの食べ方など、次々とそのときの場面が思いだされます。思えば富塚さんはお行儀見習いの先生のようでもありました。そういえば、お祝いの水引にまつわるあれこれをおしえていただいた日もありましたね。
そうそう。富塚さんと私だけの秘密もできましたね、kの秘密。ぜったいにぜったいに、これからも秘密を守ります。まあ、些細な秘密ではありますが、富塚さんと秘密を共有しているということが私はうれしいのです。
それから、富塚さんは私を叱ってくださいました。今の時代、なにか気づくところがあっても、人を「叱る」などという面倒なことをする人はあまりいません。
ましてや、家族でも、友達でも仕事仲間でもない関係では、みな適度に距離を置いてうまくやっていく、というのが定番の目標です。
でも、富塚さんは𠮟ってくださいました。あの、厳しい一言によって私はまさに目からうろこが落ちた気持ちになり、大げさではなく、人生が新たに回り出したような感覚になりました。
それから、管理栄養士さんとぎくしゃくしてしまったとき、富塚さんが間に入ってくれたんですよね。あのときのもみじまんじゅうの味、忘れません。
なんといってもありがたかったのは、息子のことを親身になって心配してくださったことです。あの頃、家族にも友人にも、息子の秘めた問題のことは言えなかったので、ほんとうに、富塚さんには何の関係もないことなのに、息子があの事件を起こしてしまったとき、「すごく心配しているんだ、と言ってあげたほうがいい」って言ってくださり、勇気を出して息子と向き合うことができました。
ご存じのとおり、その後、息子はなんとか立ち直ってくれて、がんばって働いているようで、それをメールに書いて時々報告してくれるのですが、先日の息子からのメールには<富塚さんによろしく伝えてください>と書いてありました。富塚さんの言葉のお蔭で、あなたとしっかり向き合うことができたのだと息子に何度も話していますからね。
感謝の思いでいっぱいです。いろいろありがとうございました。
出会いというものは不思議ですね。
富塚さんとの出会いに勝手にご縁を感じています。親しく話せるきっかけになったのは、銀杏が落ちているときのあのにおいは好きか嫌いかを互いに表明したときだったような気がしています。
もしご迷惑でなければ、これからも友人として時々お会いできたらたいへんうれしいです。よろしくお願いいたします。
訪問看護ステーションひばり 山本千賀子
そう。この手紙は、訪問看護師から利用者の女性に送られたものです。利用者の富塚さんが急遽、少し離れた有料老人ホームに入居することになったときに、看護師の山本さんが書いたのだそうです。
もしかして逆の、利用者の方から看護師さんに宛てた手紙だと思いませんでしたか? でも、看護をしながら相手にも支えられているということは少なくないですよね。
山本さんと富塚さんは親子ほどの年齢の差があるそうですが、なぜか気があったそうなのです。
現在は時々山本さんが富塚さんを友人として訪ねているそうです。
看護師と利用者という関係とて、人と人との出会いですから、大切な友人関係に移行するのも不自然なことではないですね。