Archive

小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第169回 衣装持ち 2018/7
dotline

 雨降りの割に、空の明るい午後です。
 関東某所。訪問看護師の梅沢満知子さん(40歳)と立花亮一さん(32歳)が、訪問先に自動車で向かっています。
「立花は今日で終わりです。次回からは桜井という男性看護師とまいりますので、ってさらっと言うからね」
 梅沢さんは運転をしながら、助手席に座る立花さんに言いました。
「はい。お願いします。実家の北海道に帰り、そちらで働くことになったって話します、正直に。結婚することまでは言わなくていいですよね」
「そうねえ。そこまでは言わなくていいでしょう、というか、言わないほうがいいかも。いや、どうかな」
 訪問するのは磯貝睦子さん(76歳)です。彼女は長らくふさぎがちでしたが、訪問看護師が梅沢さんに変わり、その次の訪問からは立花さんとの2名体勢で訪問するようになり、とても明るくなりました。
 訪問が2名体勢になった理由は、体調チェック、仙骨部の褥創処置、保清、に衣類の脱ぎ着が加わったからです。1名では到底30分以上1時間未満、つまり59分で終わらせることはできず、本人の了承を得て2名になりました。
 この場合の衣類の脱ぎ着とは、パジャマを脱衣⇒準備された衣装の着衣⇒記念撮影⇒衣装の脱衣⇒パジャマの着衣、までのことを指しています。そのあいだに褥創処置と保清が入り、1名では対応しきれないのです。
「今日の衣装はどんなのかしらね」と梅沢さん。
「ほんとに衣装持ちですよね、それにどれもセンスいいですよね。毎回、着用していただくとすごく華やかになって、わあー、素敵だなあって素直に思います」
 そう語る立花さんの横顔を目の端で見て梅沢さんは感心したように頷いて、
「そんなふうに自然に、目の前で、立花ちゃんに、素敵だって言われたらさ、そりゃあ、うれしくて、惚れてしまうわよね」
 梅沢さんがはじめて訪問した日に磯貝さんは、
「わたし、服が好きで、買って一度も着ていない洋服が山ほどあるんですよ。この状態では着ることなんてできないけど」
とぼそぼそと言ったのでした。
梅沢さんは、磯貝さんと彼女に付き添っている姪のミキさんに、
「もったいない。よかったら着ませんか? お手伝いしますので。そうだ。きょう、いまからお手伝いしますから、ぜひお召しになってください!」
 それがきっかけとなり、週2回、訪問のたびに、脱ぎ着を行うようになりました。訪問2回目には立花さんも加わり、着終えたら記念写真を撮るようになりました。
 信号待ちをしながら、梅沢さんが低くいいます。
「大のお気に入りの立花ちゃんが来なくなると知ったら、彼女、相当なショックだと思う。でもね、人生、出会いがあれば別れもあるわけだからね」
「ぼくも寂しいですけど、どうか、磯貝さんのフォローよろしくお願いします」
 立花さんもしんみりといいます。
 磯貝さんの姪のミキさんは、
「立花さんに見てもらいたいために、毎回、がんばって服を着せてもらっているみたいな気がします。着せてもらったら写真撮ってすぐに脱いでパジャマになるでしょ。結構疲れるみたいですが、たのしそうで嬉しそうで。服選びは、私に箪笥からいっぱい持ってこさせて、あれでもない、これでもない、って大変なんですから。はりあいになっているみたいです」
 選んだ服を着終えたら、彼女の両サイドに立花さんと梅沢さんが寄り添って、ミキさんがシャッターを押すのが恒例になっています。
 梅沢さんが車を発進しながらいいます。
「前のインフルのときみたいに、がっかりして食事が摂れない、みたいにならないためには、たぶん、ちゃんと挨拶することだと思うんだよね」
 梅沢さんと立花さんが同時にインフルエンザに罹患し、急遽、別の看護師が磯貝さんを訪問した日がありました。悩んだあげく決めた生成り色の麻のスーツを、磯貝さんは着たくないと言い出し、ふさぎ込んでしまいました。
「そうですね。あのときは、突然、別のナースが訪ねたことで大きなショックになってしまった面がありますもんね。ずっと年上の人生の先輩に対して、こんな言い方、失礼だと思うんですけど、磯貝さん、純粋で可愛いですよね」
「そうねえ。痩せてしまって服ゆるゆるなんだけど、それがまた可憐な感じだし」
 そのころ、磯貝睦子さんはやっと決まった服を、ミキさんと二人で眺めていました。グレーの地に青い紫陽花の花が、ひとふさひとふさがちりばめられた柄の生地で仕立てた、チャイナドレス風のワンピースです。
「こんなの、あったのね」
「あった。着ないともったいないよ。ほんと、よかったよねえ、毎回、着せてもらえて」
 ミキさんの言葉に、磯貝さんはこっくりとうなずきます。

 さきほど磯貝宅を引き上げてきた梅沢さんと立花さんが、次の訪問先へと車でむかっています。
「とにかくは、よかったわね。心配しすぎだったかもね」
「ちゃんと挨拶できしたし、これで心置きなく北海道に帰れます」
 立花さんが退職することを梅沢さんがさらりと告げたなら、磯貝さんは「寂しくなるわね」と言ったあとしばし無言になりましたが、その後「じゃ、次の、誰って言ったかしら、そう、桜井さんて言う人のファンになるしかないわね」と言っておどけたように笑って写真に収まったのでした。

 パジャマ姿の磯貝さんは、スマホで撮った写真を見ています。紫陽花の花のワンピースを着た磯貝さんが、上半身を起こしたベッドに背中をあずけて座り、その左右に梅沢さんと立花さん。3人とも笑顔です。
実は、磯貝さんは立花さんではなく梅沢さんが大のお気に入りなのです。会ったときからずっと。二人がインフルで突然やすんだときには、梅沢さんに会えないことに大きく落胆し、そんな自分に驚いたのでした。
 きょうも、退職するのが梅沢さんではなくてよかった、と思いながら写真に収まったのです。

 でも、そんな胸のうちのことは誰にも言うつもりはなく、今日も、いろいろと気遣ってくれた3人に感謝の気持ちでいっぱいの磯貝さんです。

ページの先頭へ戻る