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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第171回 声の大きい人 2018/9
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 午前零時過ぎ。
 近藤弓枝さん( 44歳)が、街灯のほとんどない森と畑の中の県道を車で走っています。慣れた道ですが、飛び出してきた動物を轢いてしまったりしないように、ヘッドライトをハイビームにしてコンビニに向かっています。高い位置に出ている満月が、なんとなく晴れない表情をしているように見えます。
準夜勤務を終えて帰宅途中の彼女は、さきほどコンビニに寄りました。しかし目当ての商品がなく、二軒目のコンビニヘと向かっているところです。
<避けたわけではないけど、避けたみたいに見えたかな。あの人も準夜だったんだな>
 彼女の心の声です。
 一軒目のコンビニで商品の陳列棚を見ていると、知り合いの小田島和子さん(45歳)がやってきました。目があったものの、店を出ようとして歩き出していたため、近藤さんは視線をそらしてそのまま出てきてしまいました。
 近藤さんの住む地域では、昔ながらの風習が色濃く残っており、近所の19軒で作られている「組」と呼ばれている隣組の活動も盛んで、冠婚葬祭時の援け合いやお祭りやさまざまな行事に各家が参加しています。
 近藤さん宅と小田島さん宅は同じ組で、近藤さんが嫁にきた一年あとに小田島さんがこの地区に嫁にきました。二人は同年代で職業も同じ看護師。しかも県外から嫁にきたという共通点もありました。
 しかし出会って10年以上経っているのに、最低限の会話をするだけでいまだ打ち解けていません。
組には嫁だけが集まる婦人会の行事が少なくありません。そして会は、保守的な考えのグループAとそれに共感できないグループBに分かれています。
小田島さんはグループAの中心的な存在。慣わしや行事は、これまでどおりつづけたほうがいいという意見です。一方グループBは、時代の変化に沿った簡素化や合理化を検討したほうがいいという考え方。近藤さんはこちら側です。
これまで何度も話し合いを望む声が出ましたが、話し合いにならないまま従来のやり方が守られてきました。
ある行事のやり方について、一日中ではなく夜間に行ってはどうかという意見がグループBの一人から出たことがありました。夜間にすれば仕事を休まなくても済むからです。
すると小田島さんは言ったのです。
「仕事を休んでまで行うことに意味があるから続いてきたんだとおもいます。やがて続けてきてよかったと思えるはずです。がんばって続けたほうがいいんです!」
 大声でした。
 彼女は声の大きい人です。ボリュームが大きいだけでなく、主張が強いのです。
 そんな小田島さんが近藤さんは正直、苦手でした。小田島さんも私を好ましく思ってないだろう、と近藤さんは感じていました。同じ看護師として、近藤さんから小田島さんに意見してくれないかとグループBの人から頼まれたことがありますが、彼女は断りました。声の大きい小田島さんといつも口ごもってしまう自分がみなに対照的な看護師として比較されている気がして、その、作られた図式どおりの行動になってしまう気がして、嫌だったのです。
数年前、働く女性の17人に1人が看護職だと近藤さんは誰かに聞きました。人数の多い職業のため、組の中に同業者がいてもおかしくはないのですが、人数の多い職業であることを恨めしく思っていました。同業者と会うのは職場だけでいいのに、と。

 半年ほど前、小田島さんに異変が起きました。急に声の大きい人ではなくなったのです。
ある行事の際に、結婚してこの地にやってきたばかりの若い女性が、これまでの葬儀の手伝い(三日間仕事を休み当家を手伝う)を現状に沿った形にしてほしいと提案したとき、小田島さんは実に控えめな声で「これは組全体で検討したほうがいいかもしれませんね、どうですか?」と、みなの意見を聞くようなコメントをしたのです。
 その態度は一時的なものではありませんでした。
 その後わかってきたのは、小田島さんが声の大きい人だったのは、長らく婦人会の会長を務めたのちに引退した彼女の姑の影響があったのではないかということ。小田島さん夫妻は子供を望んだものの恵まれず、その後養子縁組で子供を迎えましたが、どうやら、姑さんはそのことを中心に彼女を陰湿に責め立てており、婦人会にかんしては、会長だった姑を立てるための振る舞いだったらしい、という信憑性のある噂が伝わってきました。その姑が亡くなったあとに、彼女の声は急に大きくなくなったのです。
 近藤さんは、いつも朗らかで世話好きで人のよさそうな印象だった小田島さんの姑の笑顔を思い浮かべ、わからないものだな、と思いました。また、婦人会の行事でしか接していなかった小田島さんが、勤務先では声の大きい人ではないということも、人づてに聞きました。
 近藤さんは、自身の子供の不登校を悩んでいますが、近所にそのことは明かしていません。小田島さんも姑との関係について他言せずに人知れず悩んでいたのかもしれない。そう思うようになり、打ち解けて話してみたい、と思うようになりました。しかし、なかなかそのチャンスがないまま時が過ぎていました。
 一軒目のコンビニでばったり遭ったのは話すチャンスだったのにな、と思いながら、二軒目の煌々と明るいコンビニに入ります。
 目当ての商品を見つけてレジに向かうと、なんと、小田島さんが入ってきました。まさか彼女がやってくるとは思わず、またちょうど小田島さんのことを考えていたこともあり、近藤さんは心の中でどぎまぎしてしまい、気づかないふりをしてしまいます。
レジで支払をしていると、うしろに小田島さんが並んだ気配を感じます。
 そのときです。
 レジを打っている店員の中年の男性に、片方の口角がだらりとゆるむなどの異常が生じているのに近藤さんは気づき、咄嗟に振り向きます。すると、小田島さんも気づいたらしく、二人で小さくうなずき、すぐに対処をはじめました。

 脳卒中だったレジの男性の対処を咄嗟に看護師として一緒に行ったあと、二人は同じ商品を求めて二軒目のコンビニにやってきたことが判明して笑いあったそうです。昨秋の出来事。
いまでは親友なのだとか。

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