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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第175回 最強コンビ 2019/1
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 大みそかの夕方。
 近藤さやかさん(29歳)が自宅内のあちこちに積み上げられた書籍や資料類をクロゼットや収納箱に次々と放り込んでいます。彼女は、一年半前に病院勤務を辞め、日の出訪問看護ステーションに就職した看護師。
 さきほど、職場の先輩看護師の穴澤由梨さん(29歳)から、
 「ちょうど近くに来ており、買い過ぎたフライドチキンを御裾分けしたいから寄っていいですか?」
 というショートメールがいきなり届いてOKした彼女は、玄関チャイムが鳴る前に、訪問看護の仕事に役立ちそうで買い漁った本や、訪問看護師向けのセミナーに参加した資料などを片付けてしまいたいのです。
 実は近藤さんは、訪問看護の仕事に就いてからというもの自信をなくす一方でした。たとえば、利用者が「薬を飲みたくない」と訴えた場合、病院では「主治医の指示ですから」などといった医療側のある種の権力の発動が可能で、そういう点につまずいた経験がありませんでした。しかし訪問看護では、利用者が飲みたくないと言う場合、薬の飲み方を主治医に相談してみましょうか、といった提案をしたり、飲みたくないという事態をどう乗り越えて行くか利用者と一緒にあれこれ悩む、などの対応が必要となり、すいすいと事が進まないことや、責任の幅が広いとも感じプレッシャーでした。
 それで彼女は、この一年ほど、休日のほとんどを費やして訪問看護の勉強をつづけてきたのです。しかしそれを、仕事にいかすことができているという実感はなく、職場では休日にそんな過ごし方をしていることは一切明かさずに、坦々と仕事をこなしているふうを装っていました。<私、水面下では必死に水を掻いているすまし顔の鳥みたい>と胸の内で自嘲しながら。
 これからチキンを持ってやってくる穴澤さんは新卒で訪問看護ステーションに就職し、訪問看護ひと筋のベテランです。看護界では、病院勤務の経験をベースに訪問看護師になるほうがよい、という考えを持つ人が少なくない中、穴澤さんは堂々と訪問看護に取り組んでいるという印象を、近藤さんは持っています。
 近藤さんと穴澤さんは、職場で出会って半年ほどは最低限の会話のみで、距離を置いて接していました。お互い、けん制しあっている雰囲気がありました。その後、ぽつりぽつりと会話をするようになり、いまでは、ときおり冗談を言い合って笑ったりもするようになりました。互いのキャリアを評価していることも、言葉尻などからなんとなく感じています。それでも、同い年の同僚にしてはかなり距離を置いている雰囲気の二人で、お互いに、どんなときでも、ですます調の言葉使いです。なにかきっかけがあれば、ぐっと仲良くなれるのかもしれない、と近藤さんは考えているのですが、そのきっかけがやってきません。
 穴澤さんから突然ショートメールが届いて、本と資料を隠すべく身体を動かしている近藤さんの脳裏に、<それにしても、なぜ、私に御裾分け? いくら近くに来たといっても、自宅を訪ねるような間柄ではないのに>という疑問がふとよぎりますが、お茶の用意などやること満載であることを思い出し、とにかくは身体を動かします。
 あと五分ほどで穴澤さんがやってくることを、近藤さんがスマホの時刻表示で確認すると、穴澤さんからふたたびショートメールが届きます。
 「急に訪ねるのは不自然ですよね。実は私、今年中に謝りたかったんです」
 「前に、聞えよがしに、学び散らかしている人いるよね、って言ったこと、ごめんなさい!」
 これを読んで目を丸くした近藤さんは、しばし天井をあおいだあと、両手で髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら「あー、やられた」と声をあげ、すたすたとクロゼットの前まで歩いて扉を開け、さきほど隠した本や資料類をどんどんクロゼットの外に放り出します。収納箱からも。
 仲良くなるきっかけを作ろうとしなかった近藤さんに対して、穴澤さんはしっかり心を開いて訪ねるというきっかけを自ら作って働きかけてきたことに「負けた!」とくやしくなり、<こうなったら逆に開き直って対抗するしかない>と思い、隠した本などを全部見せようと思ったのです。
 そして穴澤さんが到着し、彼女を部屋に向かい入れた近藤さんは、第一声で、
「散らかってるでしょ」
 と、ですます調ではない言葉使いをしました。
「ほんとだ」
「でしょ」
 二人は顔を見合わせてにやりとしました。
 それから二人はチキンを食べながら話しました。
 近藤さんは、穴澤さんの実力を認めながらも、病院勤務の経験がないことについて、はじめはどこか見下す気持ちがあったことを謝りました。
 穴澤さんは、新卒で訪問看護師になったことに自信を持っているものの、病院勤務の経験がないことに不安があり、病院看護師向けのセミナーに頻繁に参加しており、あるときセミナーで隣になった訪問看護師から、近藤さんが訪問看護系のセミナーによく参加していることをおしえられ、ライバル心によって、聞えよがしに、学び散らかし、と言ってしまったと改めて近藤さんに謝りました。

 これは五年前の出来事。

 現在、近藤さんと穴澤さんは、日の出訪問看護ステーションの最強コンビと呼ばれているそうです。

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