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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第191回 夜の探し物 2020/5
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 4月下旬の午後10時すぎ。
 尾崎舞さん(26歳)が、自宅のマンションで探し物をしています。なかなかみつからないようです。パジャマ姿です。ボリウムをしぼった音でラジオがかかっています。
 眼の下にうっすらと隈が出ている彼女は、某病院の病棟に勤務中の看護師です。新型コロナウィルスの感染拡大で、もともと余裕のなかった職場はさらに忙しくなると同時に不安や緊張ムードが膨らむ一方です。
ニュースでは各所での看護師の感染が報じられるようになりました。職場と自宅の直行直帰の生活がつづいています。坦々とやるべきことをし、メンタルバランスが崩れないようなんとか自己管理しているつもりでも、緊張感がつづいたままで、消えません。週に2、3度、仕事帰りに通っていたバーにも行かなくなり、飲酒しないため体調がよくなるのではないかと思っていたのですが…。
 今日は夜勤明けでした。いつもなら、睡眠リズムを乱さないよう、夜まで寝ないで過ごします。眠いときには、学生時代の同級生や仲良しの同僚とSNSでやりとりしたりして眠気を吹き飛ばします。
しかしきょうは、眠気があったものの誰かとやりとりをしたいとは思えず、早く一旦睡眠の世界に行ってしまいたい気がして、お風呂に入ったあと午前のうちにベッドに入ったのでした。
 一時間ほど前に目を覚ましました彼女は、身体を起こすやいなや、探し物をはじめました。
 きょう、久しぶりに、彼女のおばあさんが夢枕に立ったのです。
「おばあちゃん! 来てくれたの? すごく久しぶり。おばあちゃん!」
 舞さんが何度も呼びかけると、おばあさんはニコリと笑って言いました。
「舞、おばあちゃんが渡したお守り、大切に持ってる? あれは、舞を守ってくれるはずだから。失くしちゃだめだよ」
「失くすわけないじゃない!」
 夢の中でそう答えたあと目が覚め、彼女はあわてて探し始めたのですが、なかなか出てきません。
 夢枕に立ったおばあさんの母親、つまり舞さんの曾祖母にあたるカツさんはナースでした。舞さんはおばあさんからカツさんについて、いつも背筋が伸びていて毅然とした雰囲気の人で、当時としては身長が高いほうで、髪の毛が顔に一本もかからないようにいつもオールバックにしてまとめていたのよ、看護師として優秀な人だったらしくて、看護学校の先生もやっていてね、私には厳しかったけれど自慢の母親だったのと何度も聞かされました。働いた病院名や看護学校名なども。
舞さんが看護大学に入学した際に、おばあさんは形見として持っていたカツさんのナースキャップを舞さんに「お守り」としてプレゼントしました。風呂敷で二重に包まれたそれは、メンソレータムの蓋の絵を連想する昔の大きなキャップを、広げて折り畳んだものでした。白の綿でしたが、時の経過によって少し黄ばんでいました。
<ない……。引っ越してきた時、持ってきたのは確かなんだけど。どこに置いたんだろう、思い出せない。こんないい加減では、私、いまの状況を乗り越えられないのじゃないだろうか>
 舞さんの眼にじわっと涙が滲んできます。このところ、頻繁にこうなります。
<そうよ、お守りを大切にできない私なんて、守られなくて当然なのかもしれない>
 舞さんは頬に伝った涙を拭かずに、クロゼットの奥から段ボールを持ち出します。あわただしく引っ越してきて以来、仕事が忙しく、一度もあけていない荷物です。こんなダンボールに例のお守りを入れるわけがないけど……と思いながら彼女は蓋のガムテープをはがします。
 箱の中には、雑貨などの下に、学生時代に年間購読していた看護学生向けの雑誌が、それも封を開けていないものが何冊も入っていました。実習などで忙しくなるにつけ、封も開けないで積んでおくようになり、こちらへの引っ越しの際にそのまま荷物に入れたのでした。未開封のものを処分してしまうのは、お金の出元である両親に申し訳なく、雑誌を作っている人たちにも失礼な気がして。
 封を開けてぱらぱらと捲ってみると、病態の解説などおもしろく、つい読み入ってしまいます。そして、ある年配の看護部長のインタビュー記事なども載っていて、興味をおぼえます。
 その記事を読み進めていくと、その女性の看護学生時代にとった白黒写真が掲載されており、舞さんは思わず二度見してしまいます。学生五人と教務の先生二人が横一列に並んで立っているのですが、その右端に直立不動のような姿で写っている先生らしき女性は、ほかの人たちより少し背が高く…髪はオールバックにしてまとめています。見覚えのある顔でした。
 舞さんは胸を高らせながら、改めてインタビュー記事を熟読し、この写真がいつごろどこで撮られたものなのかを確認します。そして、この写真の女性はカツさんだと確信したのです。
改めて舞さんは、写真の中のカツさんを見つめます。するとカツさんは、まっすぐにこちらを見ています。何かを伝えようとしているような目に見えてきます。しっかりしなさい! と言っているような。
<カツさん…>
 そう心の中で呼びかけたとき、舞さんは例のお守りをどこにしまったかを思い出しました。できるだけあのキャップが劣化しないよう、クリアファイルを2枚使って梱包しクロゼットの奥にしまったということを。
 ありました。
風呂敷を広げて久しぶりに見てみると、写真の中のカツさんが着けているキャップは、このお守りのキャップと同じもののようです。カツさんが実在の人物であることは確かですが、舞さんがそれを強く実感した感覚になります。
 改めてカツさんを見つめると、優しく、「大丈夫」と言っているように見えてきます。
 するとそこでラジオから「涙そうそう」という歌がながれはじめます。古いアルバムめくり、という歌詞ではじまる歌です。
 おばあさんが夢枕に立ったこと。カツさんの写真に会えたこと。大切なお守りが見つかったこと。そしてラジオからこの曲がながれたこと。おばあちゃんとカツさんが思いっきり泣くためのお膳立てをしてくれたんだ、きっと、と思えて自然に肩の力が抜けて舞さんは号泣しました。
 そしたら、久しぶりに心が平らになった気がしたそうです。

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