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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第194回 バースデイ休暇 2020/8
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 19時過ぎの葉月訪問看護ステーションの事務所。
 所長で看護師の島津誠子さん(48歳)が一人残り、事務処理をしています。

彼女は手を止めると、小さくため息をつきます。目下、パート職員の二人のナースが険悪なムードになっており、ステーション内全体の雰囲気もどんよりと曇っているのです。

14か月前に入職した山野友美さんと川野たみさん。ともに31歳。ともに3歳になる娘がいる。ともに臨床では消化器内科病棟に長く務めた、など、二人は共通点が多い同期入職者です。一気に仲良くなり、楽しそうにやりとりする二人を周囲は、苗字からそれぞれ一字を取って「山川コンビ」と呼ぶようになりました。二人とも声のトーンが高くステーション内の明るいムードメーカーの役割もはたすようになりました。

しかし、山川コンビは4か月前から不仲となってしまったのです。

仲が悪いからといっても、職場ですからやりとりを避けることはできません。それで二人は最低限の会話などはするのですが、そのときの低く不機嫌な声と言ったら…。その場の空気をどっと重くしてしまいます。この状態を見かねて、二人それぞれに、どうして不仲になったのかを先輩ナースが訊いてみましたが、二人とも語りませんでした。

山川コンビには異なる点があります。

山野さんはシングルマザー。そして娘さんはとても丈夫で風邪一つ引いたことがありません。

一方、川野さんは夫がいるものの、その彼は仕事が続かない人で頼りなく、娘さんは体調をくずしやすく保育園から引き取り要請の電話もしばしばあります。そのため、川野さんは娘さんの件で有給を使わざるをえない状況が続いています。急な休みとて、その事情を知っている川野さんをはじめとしてスタッフ全員が、快くカバーしていました。

ところが4か月前ごろから山野さんは、娘さんの変調による川野さんの急な休みに対して、不満気な顔をしたり小さく舌打ちをしたりするようになり、それを感じたらしい川野さんも山野さんに対して頑なな態度をとるようになりました。

川野さんは昨日、今年度の有給休暇をすでにすべて使ってしまいました。法で定められた年次有給休暇の10日、それから子の看護休暇5日、の計15日すべてです。今後、休む場合は無給休暇となってしまいます。まだ今年度が半分以上あり、その間に子供さんの体調変化で休まなければならない日があるでしょう。それに、山野さんとの不仲を考えると、川野さんは退職の方向に考えが向いてしまうのではないか、と島津さんは心配しています。次の新しい職場で、子の看護休暇を使いながらなんとか出勤日全体の二割以下の休みにとどめれば、半年後にはまた年次休暇の10日がもらうことができる、そんな考え方だってできます。経済的に余裕があるとは言えないパートの川野さんにとって、無給休暇になってしまうことほど避けたいことはないとおもわれます。

島津さんは、川野さんには退職せずにとどまってほしいのです。子育てを理由に退職するのは、母親にとっても子供にとっても、その後の人生にいい影響を与えない場合が多いと考えているからです。また、子育て中のナースが長く働けるステーションを目指す決意をして、島津さんは管理者のオファを引き受けたのです。それに新米の管理者として離職率をあげたくないというのも正直なところです。

島津さんはスマホを取り出します。労務関係に詳しい知り合いに電話して、相談してみようと思い立ったのです。
と、そこへ山野さんが神妙な面持ちで、事務所にやってきました。電話するのをやめて、彼女に声をかけます。
「あれ? どうしたの? こんな時間に。ミナちゃんは?」
 ミナちゃんは、山野さんの娘さんの名前です。
「きょうは、母が見にきてくれていて。所長に、折り入ってお願いというか御相談というか、がありまして。いいですか? いま」
「いいわよ」
「あの、川野さんのことなんですがーーー、彼女とは、いま、みなさんもお感じだと思いますが、関係がぎくしゃくしてしまっていますが、それは元はと言えば、私が悪いんです」
 シングルマザーとして気を張って生活し仕事している山野さんは川野さんに、「夫がいて私より恵まれた環境であるにもかかわらず、もっと子供の体調管理をきちんと行ったほうがよいのではないか」、となぜかポロリと言ってしまったら、川野さんはたいへん怒って「シングルマザーのほうが余程、国からの補助があっていいでしょ!」と返してきたといいます。
 山野さんがつづけます。
「川野さんのご主人のことはちょっと聞いてて、いろいろたいへんだと知っていながら、へんなことを言って怒らせてしまったんです。彼女、昨日休んで、もう一日も有給残ってないんですよね。彼女にとって有給休暇はとても貴重なものです。だから、だから、たった一日なんですが、私の今月のバースデイ休暇を、彼女にプレゼントしたいんです。お願いします」
 うんうんと頷きながら聞いていた島津さんは、おもむろに笑い出します。

島津さんの意外な反応に山野さんは目を丸くします。
「実は私もね、あなたと同じシングルマザーでね」と島津さん。「かつて、ひとりで気をはって子育てしてたから、あなたの気持ち、痛いほどよくわかるの。夫がいる人はいいよね、運命共同体がいて、とか心の中で思ってた。
で、昔はいまのように特別休暇なんて慶弔休暇くらいだったこともあるけど、まさか、特別休暇のバースデイ休暇を同僚にゆずるなんてね、その発想、傑作! もちろん、有給を人にゆずるなんてできないけど、気持ちがね、嬉しいじゃない。これを機に川野さんと仲直りしなさい。彼女の休暇の件はなにか考えるから」「わかりました。明日、川野さんに謝ります」

 島津さんは、さっそく労務関係にくわしい知り合いに相談し、取り急ぎあたらしい特別休暇の検討をはじめたとか。一年単位ではなく、5年単位で数日を有給で休める「とっておき休暇」だそうです。

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