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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第200回 バレンタインデーの秘密 2021/2
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 夕方。
 訪問看護師の木下早紀さん(27歳)が、四件目の訪問を終えて、自転車で葛西さん宅へと向かっています。お線香をあげに行くために。
 木下さんは、二週間前に亡くなった葛西正博さん(享年 79歳)の訪問看護を3年半担当しました。奇遇にも、正博さんの妹のれん子さんと彼女の祖母が仲良しであることがわかり、その後、木下さんは秘密を持つことになりました。
 
 葛西正博さんと妹のれん子さんは、23歳だったれん子さんが駆け落ちして以来、絶縁状態。親代わりだった兄の正博さんに勘当されたれん子さんは、葛西家のすべての人、そしてその親戚とも会わなくなりました。というわけでこの兄と妹は、バス停五つ離れた場所に住んでいるというのに、50年近く会っていません。

 葛西正博さんの訪問看護を担当するようになって間もないころに木下さんは、同居している祖母から言われました。
「早紀ちゃん、葛西正博さんという方の訪問看護を、担当してるでしょ」
「え? それは答えられない。守秘義務があるから」
「そうかもしれないけどね、その葛西正博さんという方の妹のれん子さんという方と私、親しくてね。れん子さん、お兄さんのことを風の噂で訪問看護を受けてることを知ったらしくて、で、担当看護師の苗字とかも聞いたらしくて、それが早紀だとわかったの。そのれん子さんのたっての願いを、あなた、かなえてくれないかしら」
 れん子さんは、兄にバレンタインにチョコを渡したくなった。けれど会うことはできないから、代わりに渡してほしい、という頼みごとでした。
「それは困る。仕事で訪問しているのだから」
「でもね、頼みを聞いてあげたことで、兄妹の半世紀の絶縁関係がとけるかもしれないでしょ。ねっ、引き受けてあげてよ、おばあちゃんの一生のお願い!」
 木下さんは、悩んだあげく引き受けることにしました。それが3年前の1月末のことです。
 車椅子生活のれん子さんにこう頼まれました。
<お金を渡すからそれでチョコレートを買って、その包み紙に「R」と書いて、できれば兄の娘がその場を離れたときに枕元にそっと置いてほしい、Rと書けば誰からかわかるから>
バレンタインデーが訪問日でなければ、その前の訪問の日に、と。正博さんの奥様はすでに他界しており、近所に住んでいる娘さんが、彼の世話を中心になって行っています。れん子さんは、その娘さんにチョコのことを知られたくなかったようでした。
木下さんは頼まれたとおりにしました。娘さんがその場を離れたときに、木下さんはチョコレートを正博さんの枕元にそっと置いたのです。
すると、左半身付随の正博さんは右手でチョコの包みを持ち、Rと書いてあるのを目にすると驚いた表情になり、木下さんに言いました。
「れん子?」
「はい。私の祖母とれん子さんが友達で、れん子さんに頼まれました」
するとその日の次の訪問の日、正博さんは独り言のようにチョコについて語りました。
「れん子は相変わらず、気の利かない人間だな。オレが病気してないとしても、この年で大きなアーモンドが入ったチョコなんか、食べられやしないんだから。ん? もしかして、あいつ、わざとかな」
「そんなこと、ないんじゃないですか?」
 木下さんは、あわてて否定しました。アーモンド入りのチョコが食べづらいことを、どうして私は配慮ができなかったのだろう、看護師として最低だ。兄妹の関係改善にも一役買うことなんてできないじゃないか、と猛省したのでした。しかし、れん子さんに頼まれて私が選んだチョコであるとは、正博に言えないでしまいました。
 また、正博さんに、チョコの値段を調べてきてほしい、と言われ、すでに知っている値段でも、次の訪問時に調べてきたような口ぶりで正博に値段を伝えたのです。すると正博さんは、
「一応、オレ、兄だからさ、このお金でなにか、ホワイトデーというやつで、靴下でも買って渡してほしい」
と言ってお金を差し出すのでした。
 木下さんはいきがかり上、その頼みをことわることはできませんでした。靴下を選んで購入しれん子さんにホワイトデーに渡すと、「それは早紀ちゃんが使って、お願い」と、プレゼントされたのでした。

 その翌年のバレンタインデーにも、れん子さんに頼まれてチョコを正博さんに渡しました。
 するとその次回の訪問時に正博さんは木下さんに言ったのです。
「れん子は、おれが抹茶を使ったものが苦手だって知ってるはずなのになあ」
 そのことをれん子さんから聞かされていなかったため仕方がないことですが、二回目もチョコ選びで失敗しないために、あらかじめれん子さんに確認しておけばよかったと木下さんは反省しました。
 そして、また正博さんにチョコの値段を調べてきてくれといわれ、木下さんが前回と同様の対応をしました。すると正博さんはその値段の三倍ほどのお金を差出し「手袋でも買ってホワイトデーに渡してくれ」と言ったのです。
 選んだ手袋は、またもやれん子さんから木下さんにプレゼントされたのでした。

 そして昨年の1月下旬になると、正博さんはぶつぶつと言い始めました。
「面倒くさいなあ。またれん子がチョコ寄越したら、今度は四倍くらいのお返しにしないとな。靴下、手袋ときて、今度はなにがいいかな、どう思う?」
「さあ」
 と返した木下さんでした。
 例によってれん子さんに頼まれて木下さんは、さけたほうがいいチョコはないかとよく確認し、細心の注意をはらってチョコを選び、バレンタインデーに正博さんに渡しました。すると彼は、今度はチョコの値段を調べてきてとは言わず、すぐに大きなお札を出し、
「これでお返しの、手提げとかバックとかを買ってやってくれ」
と言ったのです。
 そのバッグも、れん子さんから木下さんにプレゼントされました。
 そして木下さんは、次からはもうれん子さんの頼みを引き受けないと決めたのです。兄と妹の関係改善に一役買っているとは思えず、結果的にれん子さんからバックなどをプレゼントされるのも負担でした。正博さんに秘密にしている部分があることも、うしろめたく感じていました。
 今年の一月になり、決めたことをれん子さんに早く言わなければと思っていたところ、正博さんが急変して意識を失い、入院し、そのまま亡くなってしまいました。

 自転車を漕ぎながら木下さんは思います。別の人がバレンタインの渡し役だったなら、正博さんとれん子さんは、もっと心の通う交流へと発展したのではないだろうか、と。

 線香をあげて正博さんの遺影に手をあわせている木下さんに、正博さんの娘さんが声をかけます。
「虫の知らせがあったのかもです。父は年末に、私の息子に頼んで、秘密で、自分の話をね、録音してたんです。オレが死ぬ前はぜったい誰にも聴かせてはいけないって息子に言って」
 その録音の中に木下さんへのメッセージがあったとのことで、娘さんがその部分を再生します。
<木下さん、お世話になりました。あなたは真面目で信頼できる人だ。看護はもちろんだけど、バレンタインデーのときのこともよくやってくれた。れん子は、気がききすぎるほどの人間だから、チョコを選んでいるのはあなただなってすぐわかったよ。チョコにケチをつけて悪かったね。れん子のことだから、お返しのものは木下さんに差し上げるだろうと思って、端からあなたにプレゼントするつもりでいたんだ。
オレと妹のれん子にとって、2月14日は忘れられない大切な日です。3歳で亡くなったオレたちの弟、亮の誕生日。そのことを最後にれん子と分かち合えて、すごく嬉しかった。れん子に伝えてください。オレの大切な妹、れん子のことも、一日も忘れたことはなかった、と>

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