Archive

小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第208回 ふわっと力 2021/10
dotline

 訪問看護ステーションH。
 事務所内の大テーブルで、入職して半年のナースの花山早紀さん(33歳)とここでのキャリアが14年目になる磯野多恵子さん(43歳)がお昼のお弁当を食べています。
「どうやって、ふわっと力を身につけたんですか?」
 花山さんが磯野さんに聞きました。
「なに? ふわっと力って」
「ふわっと対応する力。利用者さんやご家族が怒ったり、おどろくような行動をしたりなどのときの対応です。柔軟な対応、という言葉では足りない、包容力があるというか。でも、ずっしり感はなく軽やかっていうか、うまく保留にして、相手の逃げ場をとってしまわないみたいな…。私たち同僚や連携している人すべてにも、そんなふうに接してくれます」
「あー。なにそれ、余計わかんない…」
 というとニコリとして、ごはんを口に含みます。
「あっ、いまの、はー、が混ざったような、あー、は、ふわっと力のひとつですよ。誰も傷つけない感じの、あー。まずは、そのまま受けとめるという感じのニュアンス」
 磯野さんは首を傾げます。花山さんがつづけます。
「磯野さんははじめからいまのようだったんですか? 違いますよね。キャリアを重ねるなかで、なにかご自分が変化するきっかけみたいなものがあったんじゃないですか?」
「うーん」
「利用者さんたちに日々いろんな変化があって、ときにむなしく、悲しく、言葉を失い、そして腹を立てることもある。磯野さんのように場の空気をやわらかくすることが必要な場面がこれからもたくさんあるんです。だから、おしえてください! お願いします!」
 花山さんの勢いに目を丸くしたあと磯野さんは、「わかったわ」というふうに頷いて、
「参考になるかどうかわからないけど、私、Hに就職して三年目、つまり訪問看護師三年目のころ、利用者の方たちの、どんな行動や言動にも、その人にとっての理由があるんだ、って心から思うようになってね。
 そしたら肩の力が抜けたような感覚になって、同僚やプライベートの人間関係においてもそう思うようになった気がする」
「へえ~。そのきっかけとなる、なにか出来事があったんですか? アンガーマネジメントを勉強したとか」
「いいえ、とくにないのよ。なんとなくそうなったのよ」
 と答えた磯野さんですが、ほんとうはありました。でも、それを人に話したくはないのです。人に話すと、色褪せてしまうようなもったいないような気がするから。だからこれからも話さないつもりです。

 Hに就職して三年目になるころ、磯野さんの悩みがぐっと深まりました。訪問看護の仕事は自分に合ってないのではないか、前職の急性期病棟勤務のほうが性に合っているのではないか、と。
 かなり悩んでいましたが、周囲に知られたくはなく、通常どおり振る舞っていました。
 当時、彼女が訪問をしている利用者さんのなかに、君和田竜平さん(当時92歳)がいました。彼はなぜか、磯野さんが訪問するときにはいつも、傍らの大きなテレビ画面で、高校野球の甲子園の試合の録画を再生して彼女を迎えるようになりました。わりと音を大きくして。
彼と同居しており彼の世話をしている娘の華子さんが、その再生を停止するように再三うながしましたが、彼は停止せず、磯野さんに「消したほうがいいかね」と言って睨むのでした。磯野さんは「大丈夫です」と返答。というわけで、いつも、あの、甲子園ならではのブラスバンドの演奏と応援の声が室内に響き渡る中、磯野さんはやるべきことをしてお宅を辞していました。
 一度、娘の華子さんが、玄関を出た磯野さんに引きとめて言いました。
「父は頑固で、面倒くさいタイプでね、うるさいからやめてって、あんまり言うと怒ってご飯も口にしなくなってしまいそうな気がして、やめてほしいって何度も言えないでいるんです。ほんとうにごめんなさい! 父は常識的な人のはずなんですけど」
「大丈夫ですよ」
 そんな日々がひと月半ほどつづいたあと彼は入院し、その後お亡くなりになりました。

 それから半年ほど経った五月のある日、磯野さんはシッピングモールでばったり君和田華子さんに会いました。磯野さんの顔を見るなり華子さんは涙目になり、
「その節はお世話になり、ありがとうございました。磯野さんにお伝えしようかどうか迷っていたんですが、お忙しいだろうしと思って、結局遠慮していました。
父は、最後の入院をする前、磯野さんが来てくださるとき、甲子園の試合の録画をうるさくかけてたでしょ。実は、あれ、どうやら、磯野さんを元気づけようとしてたみたいなんです」
「え?」
「父の鍵のかかった日記があって、亡くなったあとに、結局、読んでしまったんですね。そしたら、磯野さんがうちに訪問に来てくださるようになったころの日記に、<磯野さんというナースさん、甲子園の応援から元気をもらう、と。同感である>って書いてあって、そして、ちょうど甲子園の録画をうるさくかけるようになったちょっと前の日付に、<磯野さん、なんとなく元気がない>と書いてあったんです。
 私、あのとき、甲子園をかける訳を父に聞かなかったんですよ。聞けばおしえてくれたかもしれないのに。
 というわけで、父なりに甲子園をかける理由があったわけなんです。私、まったく覚えてないんですけど、磯野さんとはじめましてのころ、甲子園の応援の話をしたのかもしれませんね、で、父は勝手に磯野さんは自分と同じだと思い込んでしまったのかも」
「甲子園の応援に元気をもらうって話、はじめのころ、したんだとおもいます。事実、私、甲子園の応援、大好きなんです。でも、私、あのころ、余裕をなくしていて、好きだってことを忘れていました。お父さまのご厚意だったのですね」
 と言った磯野さんの目から涙があふれました。
 彼女は、悩みのなかにあったあのころ、甲子園の応援から元気をもらう自分であることを忘れるほど、余裕がなかったことに気づきました。
 華子さんは、挨拶をしたあとの去り際に磯野さんに言いました。
「やること、言うことには、その人の理由があるものなんですね」
 この言葉が磯野さんの心に深くささり、彼女に変化をもたらすきっかけとなったのです。

ページの先頭へ戻る