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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第190回 facebook 2020/4
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 18時過ぎ、図書館に看護師の広瀬真紀さん(29歳)が入ってきます。慣れた足取りで目当ての本棚まで進み写真集を選びはじめます。
と、男女の二人が広瀬さんの背後から忍び寄り、左右に分かれて彼女の二の腕をぐっとつかみます。
 広瀬さんはびくりとすると同時に「うわっと」と声をあげると二人を見て目を丸くします。
 二の腕を掴んだのは、広瀬さんと同じ病棟で働いている看護師の笹井京子さん(29歳)と下田優介さん(29歳)でした。三人は同い年で同期入職の仲良し。季節に一度くらい、つまり年四回ほど、三人でご飯に行ったりする関係です。
「お、驚かせないでよ」
 広瀬さんが二人の手を振りほどきながら小声でいいます。
「今日はね、わざわざ待ち伏せしたのよ。ちょうど私らも日勤だったから、ねっ」
「そうだよ」
 笹井さんの言葉に下田さんが微笑んで頷きながら返します。笹井さんが続けます。
「こないだもさ、あんなこと、やめたほうがいいって言ったじゃない。なのになんでやめないかなあ。両脇からぎゅっと掴んだのが私たちでよかったけど、違う悪者に待ち伏せされる可能性を広瀬自身が作っているんだからね。ねえ」
「そうだよ」
下田さんは、低い男性らしい声で言って腕組みをすると少し厳しい表情になりもう一度頷きます。

 広瀬さんは半年ほど前からfacebookを利用するようになりました。最初は食べた物や景色などを短いコメントとともにアップしていたのですが、ひと月ほど前から、当日や翌日の自身の行動予定を書いて掲載するようになったのです。たとえば、日勤はだいたい何時ごろ終わり、そのあと図書館に行って写真集を借りて、どこの定食屋でご飯食べて、それからどこどこのクリーニング店によってから、どこのコンビニに寄って帰宅する、といったことをわりと詳しく書くようになりました。
facebookでつながっている笹井さんや下田さんはその記事を見て、やめたほうがいいと何度も伝えているのですが、広瀬さんはやめないのです。
三人は図書館を出て飲みに行くことになりました。
居酒屋の半個室に陣取り、料理と飲み物が揃ったところで、笹井さんが広瀬さんに聞きます。
「いまfacebook友達何人になってんの?」
「102かな」
「その数だと、面識がなくてリクエストがあった人とかもつながってるでしょ」
「まあね」
 下田さんは二人の会を聞きながら黙ってビールを飲んでいます。笹井さんが続けます。
「だからね、こまかに予定なんか書いておくと、友達としてつながっている人から別の誰かに情報がいって、それでなにか変なことが起きるなんて可能性だってあるわけだしね。何度も言ってるけどさ。
 仕事がばりばりできて切れ者の広瀬真紀さんがあんなことするのはおかしい、っていう噂さえ一部から出てるのよ。危機管理の感覚疑うよね、みたいに言ってる人もいるみたいだし。一体どうなっちゃってるのよ、広瀬らしくない」
「………」
 広瀬さんは返答せず、ビールをあおりながら心の中で<やっぱり、もう、潮時かな…>とつぶやきます。彼女自身、よくない記事の書き方であることはよくわかっています。でも、そのように書いてしまうのです。Facebookでつながっているたった一人の男性に、自分の毎日の予定を知ってほしいのです。現在は友達関係にある、思いを寄せているその人に。自分から誘ったり告白したりがどうしてもできないため、もしも相手が自分を想ってくれているとしたら、こちらの予定を見て、都合のいいときに予定を合わせて会いに来てくれるのではないか、あるいは待ち伏せてくれたりするのではないか、と淡い期待をしているのです。また、その人に自分の毎日の行動をただ知ってほしいという思いもあります。
彼女は3年ほど前から、その男性に想いを寄せています。そのことは誰にも話していません。友達としてつきあっている中、もしかして相手も自分のことを…、と感じるふしがあるのですが、それは思い過ごしかもしれず、思い切って想いを伝えて万が一ダメだった場合、それまでの友達関係には戻れないかしれず、それを思うとどうしてもアプローチできないまま時が過ぎていました。自分ってこんなに臆病だったかな、と時々疑問に思いながら。
そしてもうすぐ30歳になる広瀬さんは、たまたま登録したfacebookで、衝動的に自分の予定を書きはじめ、その後やめられなくなってしまいました。
「ねえ、もう、明日からは予定を書かないって約束してよ。記事をアップするなら、直後にでもいいからとにかくは事後にしてよ。約束して!」
 と言って笹井さんが広瀬さんを睨みます。
 広瀬さんは、ふたたび心の中でつぶやきます。<そうだね、あきらめればいいんだよね>と。
 実は、想いを寄せている男性とは、目の前で黙ってビールを飲んでいる下田さんなのです。
 広瀬さんはごくごくとビールを飲み干すとニコリとして、さばさばした言い方で、
「うん、やめるわ。もう、予定を書いたりしないよ。実は、ご忠告の通り、ちょっと危険な感じ、あったのよ。学会に参加する日に泊まるホテル書いたときあるじゃない、その夜、メッセンジャーで、面識はなくてfacebookだけでつながっている男性から連絡あって、あなたが泊まっているホテルの上のバーで飲みませんかって。もちろん、行かなかったけど。だからね、うん、やめる!」
「よかった。そういえば乾杯してなかったね。乾杯しよう」
 笹井さんが言って三人でビールジョッキをコツンとやりました。
 
 この夜、三人で乾杯したあたりから下田さんの飲酒のピッチが急に早くなり、彼が二人の前ではじめて泥酔しました。そして「心配だったんだ。やっぱり、そういう危険があったのか」「心配で心配で」「お願いだからもう予定書いたりしないでよ。オレ眠れないから」と繰り返しつぶやくのでした。
 すると笹井さんがはっとしたような表情になり、下田さんに、
「もしかして、広瀬のこと、そうなの?」
と聞くと彼が黙ったままなので笹井さんはもう一度、
「否定しないんだから、そうなんだね。そうか、そうなんでしょ」
と問うと小さく頷いたそうです。

 広瀬さんと下田さんは、その後交際をはじめたそうです。

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