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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第202回 今日は何の日? 2021/4
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 よく晴れた3月18日の午後。
 訪問看護師の神崎翔太さん(29歳)は、大野喜代冶さん(76歳)宅の玄関チャイムを押します。大野さん、どんな反応をするだろうかーー、と胸のうちでつぶやきながら。
 大野さんは、脳梗塞の後遺症で左半身マヒがありますが、介護保険の各種サービスを利用しながら、なんとか一人暮らし中です。高血圧や糖尿病などによる体調の不安定があり訪問看護も介入しています。
 治療やリハビリに向き合う意欲が何かと言えば低下し、なげやりになったり、スタッフを試すようなことを言ったりしたり、ヘソを曲げてしまったり、ときに暴言を吐いたりします。それを波のように繰り返す彼に対し、ケアの担当者たちは疲れている部面があります。
 彼は左下腿に装具をつけ、杖を用いて起立や歩行動作をしているのですが、数日前に装具による痛みが生じると一気に後ろ向きになりました。内服薬を飲まないことがあり、デイサービスには行かなくなり、なんといっても早急に行うべき装具の調整について「しない、しなくていい」の一点張り。
 彼の担当となってまだ二か月の神崎さんは、やる気を失った大野さんに遭遇したのは今回がはじめて。ケアマネージャーから<訪看のほうからなんとか働きかけてみてほしい>と言われたものの、どうすればいいか悩んでいると、それを見透かしたように大野さんは彼に言ったのでした。
「家族も、親しい人間もいないオレなんて、どうなってもいいんだ。でも、まあ、きみの評価に響くと悪いからな、前向きな気分になれるようにさ、なにか、働きかけてみてよ。装具調整の依頼をする気になるような」
大野さんの喉元には閉じていない気切の孔があり、そのために十分な発声ができません。孔を塞ぐ器材は持っているものの、わずらわしいなどの理由から余程の必要がない限り彼はそれを使用しません。
そのために彼の言葉を、ほとんどの人がはじめは何度も聞き返すことになるのですが、神崎さんにはそれがなかったこともあるのか、大野さんは彼を憎からず思っているようでした。
「わかりました」
 前向きになってくれる可能性を感じた神崎さんは、考えた末、ある働きかけをしてみるにことにしました。このままだとケアマネージャーをはじめとして担当スタッフらが匙を投げてしまいかねず、神崎さんにとって、いまは、今後のADLや生活全体のありようを左右するターニングポイントかもしれないと考えています。
 次の訪問日に神崎さんは挨拶のあとに言いました。
「今日から、私の訪問の際に<今日は何の日?>と訊いてくれませんか? 毎日毎日、なにかしらの日なんです。それ、案外、由来とかがおもしろいんですよ。
実にささやかなことですし、およそ医療者らしくない思いつきですが、気分転換になると思います。お嫌でなければ」
 大野さんは、目を丸くして神崎さんの顔をしばし覗きこんだあと口を開きました。
「じゃ、聞くよ。きょうは、何の日?」
「今日はですねえーーー」
 以来これは神崎さんの訪問のたびに行われました。
 5年前、訪問看護の仕事に就いたばかりだった神崎さんは、担当する稲垣裕二さん(当時71歳)~自宅での最期を希望し、緩和ケアをメインに受けている~に、ある日「これからは毎回、今日は何の日? と聞いてくれ」と言われました。その通りにすると、稲垣さんはいつも〇〇の日について熱心に解説してくれました。
それからひと月ほどたち、いつものように神崎さんが何の日かたずねると、稲垣さんは笑みを浮かべて神崎さんの顔をしばし見つめたあといいました。
「今日は君の誕生日。君の事務所に電話して聞いてあったんだ。ずっと先の日じゃなくてよかったよ。とにかく、誕生日おめでとう!」
 大感激の神崎さんに、稲垣さんはこうつづけました。
「相手との関係を築きたいときに使えるちょっとした方法だと思うよ。ただ何の日か説明するのではなく、たのしく解説を聞いてもらえるように、よく調べた上で話す内容をしっかりと練る。そして相手の誕生日に向けて一回一回大切に関係を作ってゆく。
 その日が来たら、御祝いを述べたあと、真摯に、その相手についてどう思っているか、いいと思うところと具体的に伝える。そうすると、日頃から相手をしっかり見ていることが伝わるんだ。それと、今日が何の日であるか考えることは、その日一日に目が向くことになっていいと思うし。よかったら今後、ここぞ、というときに使ってくれ。特許はとってないから。とっとけばよかったんだけど(笑)。 むかし、親友と考え出したアイデアなんだ」
 この出来事を思い出した神崎さんは、大野さんに行っているのです。これをはじめてから大野さんは、内服薬を飲まないということはなくなったのですが、神崎さんと手応えを感じています。あとは、デイサービス通いやリハビリに積極的に取り組んでいただけるように、装具の調整依頼について首を縦に振ってほしいと考えています。
 さて、挨拶が済むと大野さんが「今日は何の日?」と神崎さんに聞きました。今日は精霊の日、明治村開村記念日などの日。しかしそのことにはふれません。
「今日はーーー大野喜代冶さんが生れた日です。誕生日、おめでとうございます!」
 つづいて神崎さんは、大野さんの素敵だと思っているところを真剣に伝えました。
 すると、ソファに深く座っている大野さんは、驚いたふうでも感動したふうでもなく、目を閉じてしばし沈黙したあと、目を閉じたまま言います。
「ありがとう。前向きな気分になってきたよ」
「ほんとですか?」
「しかし、悪いが、誕生日を祝ってくれたからではない。なつかしさ。不思議さ。へえ、やっぱりそう来たかって。それがおもしろくてね」
「は?」
「同じようなことを、みんな思いつくもんなんだなってね、ふふ」
「え?」
「実は、オレ、若いころ、物販の営業やってて、結構、成績よかったんだけど、切磋琢磨している仲のいい同期が一人いてね、そいつと二人で考えだした営業法が、君が思いついて今回やったことと同じでね。それを使って二人とも一層成績が上がってね。そしたらみんな真似してさ。特許とっとけばよかったな、ってそいつと話したりしたことをね、思い出して」
「自分で考えたアイデアではなく、以前、担当した方におしえてもらったんです。ん? 特許? え? まさか、まさかですけど、親友と考え出したアイデアだって、稲垣さんという人がおしえてくれたんですけど…」
「え?!」
 大野さんは閉じていた眼を大きく開けました。そして再び眼を閉じるとぼそぼそと言いました。
「そうか、稲垣だったか。あいつ、オレを親友って言ったか…。オレにも親しい人間がいたんだっけな」

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