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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第168回 サプライズ 2018/6
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「さびしいけど温かい。それがデスカンファレンス」
 看護師の糸川美希さん(28歳)は、数日前に主任がぽろりと言ったことを思い出しています。
 二週間前に神山淳子さん(69歳)が亡くなりました。緩和ケア病棟へ異動してきた糸川さんが、はじめて入院時から看取りまで受け持った患者さんです。
いま、糸川さんや主任を含む五人のナースによる、神山淳子さんのデスカンファレンスが終わろうとしています。糸川さんは心の中で冒頭の主任の言葉をつぶやき、そしてうなずきます。
いまから半年前、糸川さんは念願の緩和ケア病棟に異動することができて、やる気でいっぱいでした。ゆくゆくは緩和ケア認定看護師になりたい、という希望もありました。ところが、緩和ケア病棟でさまざまな患者さんに接するうちに、自分には困難な道だと考えるようになったのです。死に近づいている人の心身の変調を肌身に感じながら無力感をおぼえる。その大変さは、事前に十分承知していたつもりですが、実際にその中に入ってみると、圧倒され、気持ちがぐっと後ずさってしまった糸川さんでした。
そんな状態で、三か月前に神山さんを受け持ちました。子供はなく夫と二人暮らし。入院治療によって痛みが緩和されてかなり体調がよくなり、いろんな話をしたり、神山さんのご希望のバイオリンの生演奏を聴くことのサポートをしたりして、糸川さんの気持ちは少しずつ前向きなっていきました。
神山さんが何よりも明るい表情になったのは、夫のサプライズを糸川さんやほかのスタッフに語るときでした。
「元々私、サプライズをするのもされるのも嫌いなんだけど、夫のサプライズ独りよがりでピントがずれてるからさらに困っちゃうのよね」
 いつもそう前置きして、夫が繰り返すサプライズの数々を、苦笑しながら説明してくれたのでした。次々とサプライズをしかけてくるのでした。
 たとえば、結婚記念日に彼女の夫は、丸い二段重ねの大きなデコレーションケーキを病室にワゴンで押してきたのですが、神原さんは生クリームを受け付けない状態のため食べられず、病棟の患者やスタッフたちに切り分けて振る舞ってくれたのでした。
「ケーキをみなさんに食べていただいたことで、まるで私が病棟じゅうに結婚記念日を報せたかったみたいで、恥ずかしくて。ケーキを配っていただくなどスタッフのみなさんに忙しい思いもさせてしまって。嫌んなっちゃう」
 ほかにも、一緒に写真を撮ろうと言って、メキシコだのオランダだの韓国だのの民族衣装を夫婦の分を借りてきたり、練習を重ねたというバイオリン―――とても聴けたものではない―――をベッドサイドで弾きはじめて神山さんは耳を塞いでしまったり、花束を持って病室内のトイレに隠れていて神山さんを驚かせるのではなく怖がらせてしまったり。
 神山さんが、
「サプライズなんて、ほんと、嫌い」
と眉をひそめて言うのを、同じくサプライズ苦手派だった糸川さんは控えめに同調の意を示しながら話を聞いていました。
 サプライズを抜きにすれば、お寿司やうなぎやスイーツを持ってせっせと通ってくる夫と神山さんは仲良しでした。
 入院してひと月半が過ぎたころ、神山さんはがくんと不調になりました。さらにデリケートな痛みのコントロールが必要となり嘔気が強くなり、口数がぐっと減り、みるみるうちに衰えていきました。予想されていた事態ではありましたが、その様子を目の当たりにするのは糸川さんにとって非常につらいものがありました。
神山さんは言葉をあまり発しなくなり、その代わり、じっと糸川さんを見つめているのでした。夫はベッドサイドに背中を丸めて無言で座っていることが多くなりました。
そんな状態が二週間ほどつづいたころ神山さんが、
「なにか、気が紛れること、ないかしら」
と、ぼそりと糸川さんに言いました。
 看護師だからこその答えをと考えに考え、周囲のスタッフにも相談しましたが、いまの神山さんにとって何が気が紛れるのか、「これだ」と思われることが糸川さんには思いつきませんでした。
無力感にさいなまれて、気持ちがぐっとあとずさるどころか、目をつぶって逃げ出したい衝動にかられることがありました。私は緩和ケア病棟で勤務できる看護師ではないのかもしれない、とも思いました。
そして、神山さんに見つめられているときに、自分なら趣味の落語を聞くことをやるのではないか、とふと思い、
「趣味をされると気が紛れるのではないでしょうか。ご趣味はなんですか?」
と言ったあとから、まるで何も考えていない、あたりさわりのない世間話のような内容だと思い、自己嫌悪に陥りました。
 しかし、糸川さんの言葉をきっかけに神山さんは、趣味の編み物を行うようになり、かなり気が紛れるようなのでした。身体は衰弱が進んでゆきましたが、編み物には一心不乱という言葉が似合う取り組み方でした。
 彼女は夫へのサプライズの贈り物にしたいとマフラーを編んでいました。
「夫ね、手編みのマフラーとか好きじゃないの。いまの時代、そういうの首に巻いてる人見ないし、これから夏なのに、すごく要らないでしょ。これまでの数々の迷惑なサプライズのお返しとしてあげようと思う。ふふ」
 神山さんはぼそぼそと、ゆっくり話してくれました。サプライズのため、彼女の夫に知られないように、糸川さんが編みかけのマフラーを隠すのを手伝ったりしました。
 そして、長い長いマフラーをしあげたあと、神山さんは亡くなったのです。

「ご主人、あのマフラーを、泣きながら首に巻いてお帰りになったんでしょ」
 主任が糸川さんに言いました。主任が休みの日に、神山さんは亡くなって退院されたのです。
「はい。まだ5月なのに気温があがった夏日でした。ご主人は、こんなマフラー、冬だって、いまどき巻いてる人いないですよ。そうとうカッコ悪いでしょ、なんて笑いながらも、首にぐるぐる巻いて、涙ぼろぼろこぼして」
 とこたえながら糸川さんは、退院の際の神山さんの穏やかな顔を思い出し、遠い目になると寂しさに胸を突かれます。
「はい」
 主任がそう言いながら、紙袋を糸川さんに差し出します。
 疑問の表情になった糸川さんに主任は、
「中を見てみて」
 中にはなんとマフラーが入っていました。
「神山さんからあなたへのサプライズよ。たいへんだったんだから、あなたに知られないように編みたいからって神山さんに言われて、あなたにわからないようにみんなで協力して。ありがとう、がんばって。神山さんからの伝言よ」

 さびしいけど温かい。そして感謝。それがデスカンファレンスだと、糸川さんは思ったそうです。

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