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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第186回 8年ぶり 2019/12
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 月夜の晩です。
 某病院。
二人部屋の病室の窓側のベッドは空床で、廊下側のベッドにはクリーム色のカーテンがぐるりと引かれています。
そのカーテンの内側ではベッド上に三浦登志子さん(62歳)が座っており、その傍らにある丸椅子に看護学校の同級生で40年来の友人・田端喜子さん(62歳)が座っています。お見舞いに来ているのです。
カーテンの外側の入口そばには、スーツ姿の中岡雄二さん(60歳)が丸椅子に座っています。ベッド上の三浦さんは、彼がいることを知りません。
約5分前にやってきた田端さんは、三浦さんのベッド周りにカーテンが引かれているのを確認して、廊下に待つ中岡さんを招き入れたのでした。

「実はさ、さっきまで中岡さんとご飯食べてたのよ、タケノで。貝ざんまいが特に美味しかった」
 田端さんが言いました。タケノは、三浦さんと田端さんが贔屓にしているお寿司屋さんです。
「ふーん」
化学療法の副作用で眉、睫毛、頭髪が脱毛し、ベージュのニット帽を被っている三浦さんの顔から満面の笑みがすーっと消えます。
「会うのを拒否してるんだって? 彼、満を持して連絡したみたいよね。会わない理由を聞いてもぜんぜん返事がなくて、一体どうしたんだろう、と思ってたところに、人づてに登志子の入院のことを聞いてすごく心配になったみたいでね、私の今の勤め先を誰かから聞いて私に連絡してきてさ」
「…………」
「拒否の理由は? 前に、酔ったときに、中岡さんからの連絡をじっと待ちつづけてるみたいなこと言ってた気がするけど」
「………」
 三浦さんはこたえずに仰向けになり、天井をじっと見つめます。
「登志子のこと、すごく心配してたよ。会いたくないの?」
 そう言い終えると田端さんは、カーテンの隙間から見える角度に座る中岡さんをちらと見ます。三浦さんの本音を聴きだすから、と田端さんが誘ったのです。隙間から見える中岡さんがなんとなくもぞもぞしているのが見えます。それでも三浦さんは彼がいることに気づいていないようで、それに安心した田端さんはつづけます。
「私たち、これまでお互いの恋愛のこととかは詮索しなかったのが、仲良くやってこれた要因かもしれない。でも、今回は、登志子に嫌われたとしても、ちょっと立ち入らせてもらおうと決めたのよ。せっかくの嬉しい展開を、登志子が逃してしまわないように。どうしてやりとりまで拒否しちゃってるの?」
「あのさ」と三浦さんが口を開きます。「彼、刑務所に入ってたわけじゃないわけよ。だから、ひと目だけでも会おうと思えば会えるはずでしょ。立ち話で一分でもいいから、一年とか二年に一度でもいいから、直に会いたかったんだけど、彼、いろいろとデリケートな問題も含めて整うまで私と会わないと決めたみたいで、結局8年会ってないのよ」
「でも、facebookでつながってて、だいたいの近況はわかってるって中岡さん言ってたわよ」
「違うの。50代くらいの芸能人の女性がさ、8年くらいブランクがあって久しぶりに顔を見たとき、その老けた顔にぎょっとするじゃない。でも、ときどき見てる人は、少しずつ老けていることに見慣れてる」
「えーっと。ということは、8年会ってなかったから、その分老けてて、中岡さんにぎょっとされたらどうしようってこと?」
 田端さんはにこりとしてしまいます。
 すると三浦さんが目を吊り上げて、
「笑うなんて、ひどい!」
「中岡さんだってその分老けてるんだからさ。それにfacebookに載せてる写真を互いに見てるでしょ。登志子もたまに自分の写真載せてるじゃない」
「老けたのがわからないようなのを慎重に選んで載せてるのよ。女性は50代にぐぐっと老ける人が多くて、私も、この8年、自分の変化に心がついていけないほど変化してるの。ぎょっとされてがっかりされるのがものすごく恐怖なのよ。百年の恋もなんとか、って言うじゃない。おまけに、化学療法の副作用でこんなじゃ、会えるわけないじゃない!」
 とまでいうと、三浦さんは顔をしかめて涙を流しはじめます。
 たしかに、副作用のことを考えれば、いま中岡さんに再会するのは辛いかもしれない、しかし……と田端さんは思います。
「会いたいのは会いたいんだね」
「バカなこと聞かないでよ。当たり前じゃない。すごくだよ」
 三浦さんが涙声でこたえます。
「わかった。うん。じゃあ、いま、決めた。私、登志子に絶交されてもいいという覚悟で言うね。実はね、このカーテンの外に中岡さんがいるのよ」
「……」
三浦さんは目を丸くして顔をひきつらせ、タオルケットで顔を隠します。な、なんで? とつぶやきながら。
「中岡さん、ごめんなさい、ばらしちゃって」
 と言いながら田端さんがカーテンの隙間から中岡さんを見たとたん、「登志子」と違う声でいいます。病棟や看護部の同僚として一緒に働いた三浦さんは、その声が仕事時の緊急モードになっているのを察知します。
「どした?」と三浦さん。
「ナースコール押して、中岡さん、たぶん、アナフィラキシーショックだから」
「え?」
 三浦さんはすっと起き上がり、ナースコールを押しながら迷わずにカーテンを開けます。すると、唇がタラコのように腫れ、瞼もボクサーの試合後のように腫れています。田端さんと三浦さんは、三浦さんのベッド上に中岡さんを素早く寝かせます。
「登志ちゃん。おれの顔、少し、腫れてる?」
「少しじゃないよ」
「これがいつもの顔じゃないよ」
「わかってる」
「登志ちゃん、変わらず素敵だよ」
「うん、わかった。喉が苦しそうだね、もう、しゃべらなくていいから」
 以上、中岡さんと三浦さんが8年ぶりに直接交わした会話です。三浦さんもまた、田端さんと同様に看護職としてのきりっとした声になっていました。

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