現在国民医療費は年間40兆円を超えています。高齢化が進み医療を必要とする人が増えるにつれさらに負担は大きくなり、今後も質の高い医療の提供を続けていくためには、どのような制度改革が必要なのでしょうか。医療費研究に携わる慶應義塾大学 総合政策学部 教授(医療経済研究機構 研究部長)の印南 一路氏にお聞きしました。
2017/4
現在国民医療費は年間40兆円を超えています。高齢化が進み医療を必要とする人が増えるにつれさらに負担は大きくなり、今後も質の高い医療の提供を続けていくためには、どのような制度改革が必要なのでしょうか。医療費研究に携わる慶應義塾大学 総合政策学部 教授(医療経済研究機構 研究部長)の印南 一路氏にお聞きしました。
慶應義塾大学 総合政策学部 教授 / 一般財団法人 医療経済研究・社会保険福祉協会 / 医療経済研究機構 研究部長
医療費において今問題となっているのは、医療費の額自体ではなく経済、つまり国民の所得と日本の財政との比較です。国民の所得が増えるのに比例して医療費が増えていくのであれば、医療費が上がっても大きな影響はありません。
しかし、80年代以降国民所得の伸びは鈍化したにもかかわらず、医療費の伸びは一部の時期を除いて変わらず高い水準です。収入に対する医療支出の割合が大きくなってきているのです。
日本の医療費が膨らんだ一つの原因に、医療の高度化が挙げられます。高齢化が進み、医療サービスを利用する人が増えたほか、医療技術の進歩により、一回当たりの高額支払いも発生するようになりました。医療費のうち約14%が自己負担、約45%が保険での支払いとなっています。残りの約38%を補うのは公費、つまり税金です。国の予算では医療費を補うために国債を発行するほど、財政に大きな負担をかけています。
日本の過去の政策をみると、医療費の抑制政策は医療へのアクセスや質への影響の問題もあるので強力なものにはなりにくいため、医療費は安定的に伸びていく状態にありました。これ以上国民所得に対する医療費の割合が増えれば、財政主導の強力な政策が採られて、いずれお金を理由に治療を受けられなくなってしまう人も出てくるでしょう。しかし、国の給付でいつまでも賄おうとすれば財政が破たんしてしまいます。そこで今、医療費の給付を抑えようと財務省と厚生労働省では関係団体も含めて論議が重ねられています。
日本の医療水準は、最近の定義では、世界的に見ても高く、アメリカ、スイスに次ぎ世界第3位。とても低いとは言えません。確かに、日本の財政における医療費の割合は非常に大きいのですが、これは高い医療技術を全国民が受けられる状況を維持できていることにも由来します。この環境や医療技術のレベルを下げずに制度をどう維持していくかが課題となります。
議論の争点となるのは、何をもって医療費の適正とするかです。理想を言うと、全国民に過不足なく必要かつ適正な医療が提供されていることが適正状態だと言えます。しかし、どのレベルの医療が提供されていれば充分だと言えるのかは判断が難しいところです。極端な例で言えば、生命を維持できればいいのか、苦痛が少なければいいのか、はたまた完治までの治療が必要なのか、レベル感が異なります。
この「ちょうどいい」水準をどこに置くのかが、今後議論されていく部分です。
これまで医療費の削減政策の一つとして、在院日数の削減が掲げられてきました。しかし、私は、この対策が逆に医療費を増やしてしまうと分析しています。
高齢者の入院の場合、慢性疾患のコントロールなど、医療の必要度の低い入院をしている患者さんに退院してもらい、在宅医療に切り替えれば、入院医療費は削減できます。しかし、一方で、高齢者の外来患者が増えることになり、入院費は減っても外来の診療費が増えるという研究結果が出ています。
また、高齢者でない国民健康保険を使う、いわゆる自営業や主婦層の場合も見てみましょう。在院日数が減ると、入院患者の入れ替わりが激しくなる分、入院を利用する人数が増え、一人あたりの医療費が減ったとしても人数が増えます。医療費が最もかかるのは入院直後や手術前後ですから、費用の少ない入院後半日をカットしてもそれほど医療費は減らず、むしろ人数が増えたぶん全体的な医療費は上昇してしまうのです。
さらに懸念されているのは、医療従事者、特に看護師の負担が増えることです。在院日数を減らすということは、診断や処置、術後ケアなどを的確に行う必要があり、医療サービスの質は向上しますが、それだけ看護師に求められることが増えていきます。
医療費の課題解決は、在院日数の削減以外の方法も合わせて、対策を考えなければいけないのです。
そこで、私が考えているのは、治療の種類ごとにそれぞれ給付の割合を変えていくことです。医療サービスを無批判に充実させようとするのではなく、優先度を明らかにして給付率を考えていくべきでしょう。生命活動に関わる高度医療に関しては給付を増やし、一方、直接的に生死とは関係しない自立支援医療への給付を削ることでバランスを保ちます。
現在、医療費の給付金はどのような医療サービスであっても一律です。例えば、ちょっと調子が悪い時に使う湿布薬や頭痛薬も、糖尿病の薬も、抗がん剤も、みな等しく患者さんの負担は3割です(※)。
例えば、C型肝炎治療薬の「ハーボニー」を使う時。
この新薬は、非常に高価ではありますが、著効率が極めて高く、治療期間も短いC型肝炎を完治させる夢のような薬です。こうした人の命を救う医薬品を、値段が高いからといって避けてしまっても良いのでしょうか。民間の保険を利用する手もありますが、こうした有効性の高い技術にこそ、国の財源を投入すべきです。
一方、マッサージや湿布薬、うがい薬、OTC医薬品類といった、救命から見て遠い医療については給付から外す、もしくは給付の割合を下げても良いのではないでしょうか。
これらの自立支援医療は安いものがほとんどなので、自己負担額が増えてもそれほど個人の負担は大きくありません。しかし、利用する人は多いため、ここへの給付を減らせば大きな医療費給付の削減となるでしょう。
※高価な治療には高額医療費制度などの補助制度を使うことができるため、実際の負担は少なくなる。
介護保険も同じことが言えます。介護予防の体操教室など、軽いサービスは給付を少なく、要介護度の高い人へのサービスには給付を多く差をつけることで、バランスを保つことができるでしょう。
医療は国民のほとんどが年に一度は病院を受診すると言われていますが、介護は元気な人には必要がなく、介護保険を使わずに終わる人もいます。そのため、健康な人ほど払うだけ払って給付がなく、不公平に感じている人も少なくありません。特に、医療費の破たんが危ぶまれる昨今では、自分が高齢者になったときに給付が保障されないかもしれず、絶望している若い世代も多いでしょう。社会保険料は国民全員から徴収するものですから、なるべく不公平のないよう、若い世代にも希望が見えるような、未来の医療費制度をつくっていかなければなりません。
だからこそ、医療サービスも、介護サービスも、充実への道を考えるのではなく、本当に必要な守るべきものを早く明らかにして、それを中心とした給付を考えていくべきなのです。
後編はこちら
慶應義塾大学 総合政策学部 教授
一般財団法人 医療経済研究・社会保険福祉協会
医療経済研究機構 研究部長
経済財政諮問会議一体改革推進委員会評価・分析WG特別委員
元中央社会保険医療協議会公益委員
【略歴】
1982年
東京大学法学部
1988年
ハーバード大学行政大学院
1992年
シカゴ大学経営大学院
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