がん医療の進歩により、治療しながら社会生活を送るがん患者が増えています。しかし、治療にともない外見が変化し、今までどおりの日常生活が送れないと悩む方も。アピアランスケアは、こうした患者さんをサポートし、QOLを向上させる取り組みです。とはいえ、アピアランスケア=外見を美しく装うことではありません。では、アピアランスケアの本質はどこにあるのでしょうか。国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長の藤間勝子氏に、話をうかがいました。
2022/6
がん医療の進歩により、治療しながら社会生活を送るがん患者が増えています。しかし、治療にともない外見が変化し、今までどおりの日常生活が送れないと悩む方も。アピアランスケアは、こうした患者さんをサポートし、QOLを向上させる取り組みです。とはいえ、アピアランスケア=外見を美しく装うことではありません。では、アピアランスケアの本質はどこにあるのでしょうか。国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長の藤間勝子氏に、話をうかがいました。
国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長
公認心理師・臨床心理士
私は、今でこそ公認心理師・臨床心理士の資格を取得し、心理療法士として活動していますが、新卒で入社したのは化粧品会社でした。周りにはメイクが上手な人ばかりという中、メイクが得意ではない私が会社で生き残るには、違う武器が必要だと感じました。そこで着目したのが、化粧の心理的効果です。1980~90年代にかけて、化粧が及ぼす心理的効果に関する研究が注目を集めていました。私は社会学部出身なのでこうした分野に関心がありましたし、やけどや痣を隠すメディカルメイクアップにも興味を抱きました。そこで「外見と心理」をテーマに活動を始め、その後、転職を経てアメリカでカモフラージュメイクを学び、大学病院や高齢者施設などでボランティアをしたりするようになったのです。
ボランティアを続けるうちに、わかってきたのは「患者さんはただきれいになりたいわけではない」という事実です。患者さんが求めているのは、化粧のテクニックを身につけることではなく、自分に自信を持つこと。患者さん同士がお互いに認め合い、「頑張ろうね」と言い合える場を作らなければならないのだと気づいたのです。
例えばある時は、集まった患者さんたちに化粧水をつけてもらい、お互いに褒め合ってもらいました。みなさん最初は恥ずかしがりますが、だんだん気持ちが温かくなり、明るい笑い声が聞こえるように。化粧のテクニックを教えるよりも、元気になることがわかってきました。
ある病院のリハビリ病棟では、事故で体が麻痺した男性と出会いました。彼には小さな娘さんがいましたが、せっかくお見舞いに来てくれても体は動かず、言葉も思うように話せません。こうした中、男性は私たちがたまたま持っていたネイルシールを貼りたいと伝えてきました。お嬢さんがお見舞いに来た時に、お父さんの爪にかわいいキャラクターのシールがついていれば喜ぶはず。そこで私たちは、毎月その男性の爪にネイルシールを貼ることにしたのです。「今日はお嬢さん、喜んでくれました?」と尋ねると、うれしそうに頷く男性の様子を見て、ただ見た目を美しく装うだけでなく、心理的支援や社会的交流の維持が大事なのだと痛感しました。
こうした経験があり、しっかりと心理学を学びたいと考え大学院に進学し資格を取得しました。また同時期から国立がん研究センターのアピアランス支援センター立ち上げの準備にも関わり始めました。その後2013年のセンター設立から現在に至るまで、がんの患者さんの外見のケアに携わっています。
がんの治療を行うと、脱毛、皮疹、皮膚の変色、手術痕など、外見に変化が生じることがあります。国立がん研究センター アピアランス支援センターでは、そんな患者さんが自分らしく日常生活を送れるようサポートを行っています。
そう聞くと、「化粧やウィッグによって患者さんの外見をきれいにする」というイメージを抱く方もいるかもしれません。確かに、外見の変化に対して、治療や医学的ケア、美容ケアを行うこともあります。しかし、私たちがそれ以上に重視しているのは、患者さんの心と社会の問題です。外見が変わったことで、他者との関わりを避けたり、家に閉じこもったりする方もいる。こうした患者さんに対し、外見のサポートを通してQOLを向上させる取り組みこそがアピアランスケアだと考えています。
美容分野では、「がんになっても美しく」というフレーズがよく使われます。しかし私は、医療者はこうした言葉は使うべきではないと考えています。「どんな状況でも、外見をきれいに保つべき」というのは、患者さんへの価値の押しつけになりかねません。さらに、ルッキズム(容姿による差別)やジェンダーの問題にも関わってきます。「女性は常にきれいであるべき」という考えは、裏を返せば「男性が外見を気にする必要はない」という発想につながります。外見の問題は、患者さん一人ひとりによって感じ方が違うもの。そこに年齢や性別は関係ないと考えます。
昨年は新型コロナの影響で例年よりやや少なかったのですが、アピアランス支援センターには約3,000件の相談がありました。医療用ウィッグを買わなければいけないのではないか」「特別なスキンケアが必要ではないか」という方には、「ネットで購入できるファッション用ウィッグでいいですよ」「普通のスキンケアで十分ですよ」とお伝えするとほっとした顔に。その後は、普段どおりにご自身で化粧品やファッションを選んでいただきます。多くの患者さんは、「大丈夫だよ」と背中を押してあげると気持ちが落ち着くようです。
深い悩みを抱える患者さんに対しては、困っていることを聞き、個別に対処法を考えていきます。外見の変化による苦痛のひとつに、「今までの自分ではないようで悲しい」「外見が変わっていくことにより、自分はがんだと思い知らされるのがつらい」という自分自身の問題が挙げられます。昨今はInstagramやTikTokなどで自分の容姿を公開することが増えているため、「自分は社会の価値観から外れているのではないか」と不安を感じる方も。こうした問題により、患者さんは深い苦痛を感じるようです。そのため、アピアランスケアでは外見をきれいに整えるだけでなく、心と社会の問題を解決するよう心掛けています。
その際に行っているのが、抱えている問題を「自分」「外見」「社会」の3方向から見つめ直してもらうことです。すると、外見の問題だと思い込んでいたことが、実は社会の中での周囲との関係が問題だったということも。例えば、顔面の手術をした患者さんが「こんな状態で職場に行くと、みんなに心配される。どうやって隠せばいいか」と相談に来たとしましょう。そういう時に「隠さず、あえて大きなガーゼを貼って見せたら?」と助言することがあります。顔の手術をした人が、大きなガーゼを貼って現れても違和感はありません。職場の方々も、数時間すれば見慣れるでしょう。その状態で元気に仕事をすれば、「普通に仕事ができるんだよ」というアピールになり、周囲も今までどおり付き合ってくれるはずです。その後ガーゼを少しずつ小さくしたり、医療用テープに替えたりすればいい。必ずしも傷痕を化粧で隠したり、きれいに装ったりしなくても、「みんなに心配されるのでは?」という患者さんの心配事は解決できるのです。
また、周囲とのコミュニケーションを円滑化するためのアドバイスも行っています。がんがばれると困るからウィッグをつけていることを周囲に知られたくないという患者さんには、「『ヘアカラーが合わないので白髪を隠すためにウィッグをつけている』『グレーヘアを目指しているけれど、今は中途半端な状態なのでウィッグにした』と言うのはどうでしょう」と伝えます。ウィッグを使用している理由が「がん」だと知れなければ、周囲に装着していることが知れても構わないという方は多いのです。髪が生えそろった頃に「やっぱりグレーヘアはやめた」と言っても、誰も気にすることはないでしょう。
逆に、職場でひそひそ噂されるよりも、自分からウィッグであることを周知したいという方も。とはいえ、いきなり病気について聞かされた相手は、どう返していいか困ってしまうことも多いと思います。患者さんも“がん患者1年生”ですが、同僚だって“がん患者の同僚1年生”なのです。そのため、もし事実を告げるとしても、必ず「抗がん剤で髪が抜けたのでウィッグにしたんだけど似合う?」と聞いてもらうようにしています。そう聞かれれば、相手も「似合うね」と気軽に返せるはずです。こうしたコミュニケーションの円滑化も、患者さんのQOL向上につながるのです。
アピアランス支援センターでは、こうした患者さんのケアのほか、教育、臨床研究の3本柱で活動をしています。とはいえ、マンパワーが足りないため、教育に関しては年に一度、がん診療連携拠点病院のスタッフに限定して研修会を行うにとどまっています。他の病院からも、「アピアランスケアをきめ細やかにしたいけれど、忙しくて手が回らない。しかも診療報酬は加算されないので、個人で頑張るしかない」という声が届いています。
そんな中、厚生労働省が策定した第3期がん対策推進基本計画に、「がん患者の更なるQOL向上を目指し、医療従事者を対象としたアピアランス支援研修等の開催」という施策が含まれました。この計画を受けて、アピアランス研修会を実施する自治体も増えています。中には、参加者が100名を超える研修会もあり、関心の高まりを感じます。
かつて、がん治療中は病院と家庭で過ごすものでした。しかし、今では通院治療を行うケースが増えています。働きながら治療を行う方も飛躍的に増えたため、患者さんが外見の変化を気にするようになりました。しかも、美容的な意味合いよりも、「もしこのルックスで職場に行ったら、今のポジションを失うかもしれない」という切実な悩みから外見を気にするようになっています。アピアランスケアの重要性は、今後ますます高まっていくでしょう。だからこそ、看護師・介護士も公正で公平な情報に基づくアピアランスケアについて学ぶことが重要です。正しい知識を身につけることが、患者さんのQOL向上にもつながると考えています。
こうした世の流れを受け、私たちも患者さんと医療従事者双方に向けた情報発信に努めています。昨年は、厚労科研の研究班が中心となり、アピアランスケアのガイドライン『がん治療におけるアピアランスケアガイドライン 2021年版』(金原出版)を作成しました。診療ガイドラインの手法にのっとったエビデンスベースのガイドラインですので、ぜひ患者さんの相談に乗る際に参考にしていただければと思います。また、私どもでも厚労科研費をいただきe-learningの開発も行っています。先々、多くの方がアピアランスケアを学ぶ機会として利用していただけるのでは、と考えています。
後編では、アピアランスケアに対する看護師や介護士の課題意識の変化、病院でアピアランスケアを取り入れるための手法について語っていただきます。
国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長
公認心理師・臨床心理士
大学卒業後、化粧品会社に勤務。在職時より化粧行動の心理・社会的影響に興味を持ち、退職後に公認心理師・臨床心理士の資格取得。2013年よりアピアランス支援センターに勤務。
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