広島大学病院の起源は、原爆が投下された昭和20年。以来被爆地ヒロシマの医療を現代まで支え続けてきました。平成30年4月に病院長に就任された木内良明氏が、高度最先端医療の研究と開発を目指してまず取り組んだのが「院内の組織改革」。「大学病院は常に“変化”していかなければならない」と語る木内氏に、現在の広島大学病院が抱える課題と、それに向けた組織改革の具体的な内容についてお話をお聞きしました。
2019/3
広島大学病院の起源は、原爆が投下された昭和20年。以来被爆地ヒロシマの医療を現代まで支え続けてきました。平成30年4月に病院長に就任された木内良明氏が、高度最先端医療の研究と開発を目指してまず取り組んだのが「院内の組織改革」。「大学病院は常に“変化”していかなければならない」と語る木内氏に、現在の広島大学病院が抱える課題と、それに向けた組織改革の具体的な内容についてお話をお聞きしました。
国立大学法人 広島大学病院 病院長
広島大学病院は、戦後の日本の医療を見守ってきた歴史ある病院です。起源は、昭和年20月に設立された広島県立医学専門学校と附属医院です。設立されてから半年後の8月5日には開校式が行われましたが、その翌日の8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。学校の校舎と附属医院が全焼するという、悲痛な歴史の幕開けを迎えた病院でした。以来、そうした経験を踏まえながら日本、そして被爆地ヒロシマの医療を支え、広島県内唯一の大学病院として高度急性期医療と人材育成、さらに地域医療に貢献してまいりました。
私は、平成30年4月に病院長に就任しました。国が求める要件を一つひとつ確実に押さえ、特定機能病院としての役割をしっかりと発揮できるよう、職員と力を合わせて努力していかなければならないと気を引き締めているところです。
現在国は、医療安全対策に対して非常に力を入れています。診療報酬上の医療安全対策加算の加算1に関する施設基準には、医療安全管理者の配置が要件の一つとなっており、いわゆる「専従」で業務することが求められています。全国の病院でも、この配置にはとても苦労されていると思いますが、当院でもそれは同様でした。そこで、教授のポストを設けて募集するというかたちをとり、選挙を行ったうえで医療安全管理者を配置し、施設基準をクリアできたという状況です。
大学病院として、国の政策上に沿って運営を行っていく一方で、私たちは私たちで、広島大学病院の〝将来あるべき理想的な姿〞を追い求めていきたいとも考えています。
高度最先端の医療の研究と開発は、私たちの大きな使命の一つです。平成30年4月1日に発足した「トランスレーショナルリサーチセンター(TRセンター)」や、「総合医療研究推進センター」にて、橋渡し研究と臨床研究に精力的に取り組み、患者さんに安全な医療を提供することが確固たる目標です。そうして、研究開発全体のレベルアップをはかり、今、最も力を入れて取り組んでいる、「臨床研究中核病院」の承認取得と、「がんゲノム医療中核拠点病院」の指定につなげていきたいという思いがあります。
臨床研究中核病院の承認には、複数の職種の人員が多数必要になりますが、特に、生物統計家の参画は、臨床研究自体のレベルが上がるため、規定の要件以上の人数を配置していこうと思っています。その他、医師や歯科医師、薬剤師、看護師、臨床研究コーディネーター、データマネージャー、薬事承認審査機関経験者などの職種も増員する必要がありますが、ざっと計算してみたところ、約1億円の人件費がさらに必要になることがわかりました。病院全体のレベルアップのためには人が必要で、人を集めるにはお金が必要です。運営費交付金が交付されてはいますが、それに頼ることなく自分たちの収益だけで黒字化できる仕組みをつくり、臨床研究中核病院などの承認を受けることができるだけの体力をつけていかなければなりません。
そこで、私が病院長として尽力すべきと考えたのが「組織改革」です。利益を上げられるように組織替えをし、無駄をなくしていく必要があると思います。
病院内を見渡して最初にわかった問題点が、クラークチームとドクターズクラークチームの仲たがいでした。チーム間の衝突が発生し、たくさんの人員が辞めているという現状が。人出不足で業務が滞り、しまいには加算も取れない……という悪循環な状況に陥っていました。組織改革のために私がまず動いたのが、この、クラークの組織の見直しでした。
広島大学にはさまざまな分野の優秀な先生がいらっしゃいます。ハラスメント相談室も設置されており、そこには教授も准教授も在籍しています。大学病院で起きたクラークの仲たがい問題を相談したところ、「けんかしているところは大原則として当事者同士を離すことが重要」とアドバイスをいただきました。そこで今までは、クラークチームの中にドクターズクラークチームを所属させていたのですが、ドクターズクラークチームは医局付けにして、クラークチームと完全に組織を分けるように変更しました。診療科によってはドクターズクラークがいない所が出てきましたが、それは各診療科で採用募集を行って対応してもらうことにしました。現在も完全に平和になったわけではなく、この調子でいけば近い将来に沈静化するだろう……というところまでようやくたどり着きました。今後1〜2ヵ月くらい検証を続けて、様子を見守っていくと共に、診療科ごとにバラつきのあるドクターズクラークの数の均等化が目下の目標となっています。
後編はこちら
国立大学法人 広島大学病院 病院長
昭和58年広島大学医学部医学科を卒業後、同学医学部にて助手を務める。
平成2年にアメリカのイェール大学へ留学、帰国後に国立大阪病院、
国家公務員共済組合連合会 大手前病院での勤務を経て、
平成18年より広島大学視覚病態学教室(眼科)教授。平成30年4月より現職。
眼科学の第一人者として、特に緑内障や小児眼科分野で活躍している。
SNSでシェアする