地震、台風、豪雨などが起きやすい日本は、毎年のようにさまざまな自然災害に見舞われます。せっかく命が助かっても、その後の避難生活などで亡くなる災害関連死も少なくありません。こうした被災者の健康を守るため、幅広い問題に対処するのが「災害看護」です。国内外の被災地に赴き、災害による健康リスクの軽減に取り組んでいる団体「EpiNurse(エピナース)」創設者であり、日本災害看護学会の理事でもある神原咲子氏に、災害看護の重要性について話をうかがいました。
2022/1
地震、台風、豪雨などが起きやすい日本は、毎年のようにさまざまな自然災害に見舞われます。せっかく命が助かっても、その後の避難生活などで亡くなる災害関連死も少なくありません。こうした被災者の健康を守るため、幅広い問題に対処するのが「災害看護」です。国内外の被災地に赴き、災害による健康リスクの軽減に取り組んでいる団体「EpiNurse(エピナース)」創設者であり、日本災害看護学会の理事でもある神原咲子氏に、災害看護の重要性について話をうかがいました。
地球温暖化による気候変動にともない、「100年に一度」と言われるような甚大な自然災害が毎年のように起きています。今や、日本全国どこで暮らしていても災害に遭う可能性があると言えるでしょう。こうした現状を踏まえ、災害が及ぼす命や健康への被害を極力抑える「災害看護」にも注目が集まっています。
私は、阪神淡路大震災発生後の1996年に神戸大学に入学しました。当時は災害看護に深い興味があったわけではありませんが、やはり神戸と震災は切り離せません。学生時代は被災地の復興に関わるアルバイトやボランティアを経験しましたし、被災した先輩や友達から記録に残らないような生の声も伝え聞いてきました。日々変わりゆく神戸を見守りながら、大学生活を送っていたのです。避難所や仮設住宅の人々、スーパーの店頭やイベント会場で健康相談を受ける「まちの保健室」のボランティアから話を聞くと、被災者は健康問題だけでなく、PTSDや生活苦など災害後の暮らしに関する悩みも抱えていることがわかりました。
そんな中、私が出会ったのが災害看護の第一人者である南裕子先生です。南先生は、阪神淡路大震災での経験を踏まえ、被災地への看護ボランティアの派遣体制を構築しました。そして、災害看護に関する知識体系を整備し、教育プログラムを確立するために「日本災害看護学会」を創設したのです。私はそれまで生活習慣病、国際保健、疫学について学んでいましたが、南先生の理念に共感し、災害看護に関する研究を始めることにしました。
災害看護は、私が研究してきた生活習慣病や国際保健とは畑違いのように思われるかもしれません。しかし、両者には共通点があります。生活習慣病の原因は、人の生活習慣や健康行動です。同じように、災害関連死や災害後の健康被害にも、生活習慣や健康行動が関わっています。災害後は、家族を亡くしたり、食生活が急に変わったり、仕事を失ったりと、人々の生活が大きく変わります。その結果、体調を崩す被災者も少なくありません。つまり、被災者が健康を害するのは、「災害後の生活習慣病」とも言えるのです。そして、高血圧や糖尿病などの生活習慣病と同じように、災害関連死も予防できるという点も共通しています。
被災した人々は、何かにつけて我慢を強いられます。しかし、「被災者はこうあるべき」「いろいろなことを我慢すべき」と行動制限を受け続ければ、それが病気の原因にもなりかねません。実際、災害によく遭う人々、貧しさから不便を強いられている人々は健康を損ないやすく、健康格差が生まれています。「人間の安全保障」という観点から考えても、被災者の健康や生活、尊厳をしっかり守っていくのは重要なこと。「避難できたのだからありがたく思え」ではなく、被災した人々の健康・生活に関するニーズを汲み取り、ウェルビーイング(肉体的・精神的・社会的に、すべてが満たされた状態)を保つことが、災害関連死の予防にもつながるのだと考えています。
災害看護は、災害時の救護活動だけを指すものではありません。救護を受けて入院した人たちはもちろん、避難所に来る人たち、自宅に残る人たち、災害で家を失って地域を出ていく人たちのケアも必要です。こうした人々にも目が向けられるようになったきっかけは、東日本大震災にあります。阪神淡路大震災では、3日以内に瓦礫に埋もれている方々を助け出すという救命活動に注目が集まりました。しかし、東日本大震災では津波による被害が大きく、波に飲まれた方々は3日を待たずに命を落とします。そのうえ命が助かって避難した人々は、海に近い地域に住んでいたため、ほとんどが家をなくしました。こうした地域では、単に家を建て直せば元の生活に戻れるというわけではありません。町づくりを含めた復興復旧が必要になるため、生活再建には長い時間がかかります。となれば、被災者の支援ニーズもより多岐に渡ります。こうした事情から、災害看護の領域も広がっていったのです。
災害看護における大きな課題は、避難所のあり方です。これまで距離を保って暮らしていた大量の人々が避難し、集団移動が起きる。そして、その場所で長期間生活しなければならない。それが、災害発生後の現状です。
特に水害や津波災害では、復旧復興への道のりが長く、長期にわたって避難所に身を寄せる人々が多くなります。耐震工事がなされた学校の体育館が避難所にされるケースが多いのですが、少子高齢化によって学校が減っているため、人口に対して避難所の数が全く足りていません。しかも最近は水害が多く、体育館が床上浸水すれば、そこは避難所として使えなくなってしまいます。
水や食料、衣類が十分に確保されない避難生活では、健康を害する人々も少なくありません。せっかく災害から逃れた命を二次災害、三次災害で失うことのないよう、十分なケアが必要ですが、医療スタッフだけでは目が届かないところもあります。なにかと混乱をきたす災害時に、医師の治療や指導が必要な人が増えれば、医療崩壊にもつながってしまいます。そこで力を発揮するのが、看護職者です。
看護には、診療の補助を行う「キュア」と療養の世話を行う「ケア」があります。看護師にできるのは、キュアが必要にならないよう、人々の健康をケアで守ることです。水や食糧が確保された清潔な家の中であれば、病気を防ぐためのセルフケアはそう難しいことではありません。しかし、家も家財道具も失ってしまった人、セルフケアができるような精神状態ではない人にとって、尊厳を損なわないケアとはどのようなものなのか。質的・量的なケアのニーズを可視化するために、私は研究を続けています。
被災地における支援ニーズは、時間の経過とともに変化していきます。2018年に西日本豪雨災害に遭った看護師は、次のようなニーズに直面したそうです。
まず、災害発生から数日間は飲料水や食糧が十分確保できない、トイレが満足に使えない、電気が通じず情報が入ってこないといった問題が生じました。ほかにも土砂流入や道路の陥没といった地域全体の問題から、精神的ショックにより不眠状態になるといった個人的な問題まで、さまざまな事態に見舞われたそうです。また、避難所では同じような食事が続くため、発災から数日経った頃から「野菜が食べたい」という声が高まったそう。10日過ぎた頃からは、粉塵が舞うようになったり、ボランティアが増えて揉め事が起きたりするようになりました。年末が近づくと、「無事に年を越せるのだろうか」と周囲の雰囲気が暗くなっていったとのこと。地域でもこうした問題に対応していますが、看護職者も多様な健康ニーズ、避難生活の課題に対してどのような支援ができるか考えることが必要です。
中でも、最も優先すべきは給水、食糧の確保、そして生活環境を整えることの3点です。これらをクリアしたうえで、被災者が医療にかからずにすむための看護を実践していきます。
例えば、熱中症になる前に水分を取るよう指導したり、休憩を取ってもらったりするのもその一環です。また、健康モニタリングも重要です。せっかく助かった命ですから、ぜひとも健康を守っていただきたい。災害が起きると、普段服用している薬を飲み忘れたり、治療を先送りにしたり、手術が受けられないままになったりすることがあり、健康状態の悪化を引き起こしかねません。地域には、要医療の人、退院後から間もない人、ケアが必要な妊婦さんもいるでしょう。高齢者、障害者、乳幼児などを対象とした福祉避難所もありますが、どんな人でもケアは必要です。それを行うのが、災害看護の役割です。
私自身も、2018年の西日本豪雨災害時に現地でボランティア活動をしました。その時に実施したのが、体系立てた夜勤です。避難所で生活する人々は、昼間は自宅を片付けたり、仕事に出かけたりします。そのため昼間の避難所は支援ニーズが少なく、医療班の人手は余り、食事も残りがちです。一方、夜になると、昼間出かけていた人々が避難所に戻ってきます。彼らは、怪我をしたり疲れきったりしているのに、十分なケアを受けられません。そのうえ、弁当も足りず、寝る場所さえ確保できないこともあります。また、夜になると認知症の症状が出るお年寄り、不眠に悩む人も出てきます。しかし、医療班はすでに引き揚げており、避難所には人手がほとんどありません。そこで私たちが夜勤に入り、経口補水液や氷を配ったり、困りごとを聞いたり、黒子のように働き続けることにしました。すると、対応すべきことが次から次へと出てきて、2週間近く避難所から離れられませんでした。
これは、私たち医療従事者がなぜ避難所に行くのか、災害看護とは何かという問いに対する答えでもあります。手段が目的化すると、「避難所で救急箱を持って駆けまわることが私たちの使命」と考えてしまい、本当に必要な支援を行うことができません。そうではなく、被災者の生活を包括的に見守り、何に困っているのか、どのようなケアが必要なのかを見極めて臨機応変に対応すべきでしょう。より広い視野で被災者の生活再建をサポートするのが、災害看護のあるべき姿ではないかと思います。
とはいえ、こうした活動をデータ化・可視化し、学問として体系化するのは困難です。災害看護のあるべき姿は、災害の種類、被災地の地域や状況、被災した人々の特性によって大きく異なります。また、時代が変われば、情報ツールも変わります。阪神淡路大震災の頃は、まだ携帯電話が普及しておらず、被災地の様子は写真やビデオで記録されてきました。こうした資料を受け継いでデータ化し、現在の災害対応に活用しています。最近は、地域の情報がSNSで発信され、災害ボランティアによる活動レポートも共有されるようになりました。同じように、災害看護についても可視化・体系化し、次の災害に備えることが大切だと思います。
後編では、コロナ禍における避難所のあり方、被災地の医療従事者が果たすべき役割についてうかがいます。
兵庫県立大学 地域ケア開発研究所 研究員(講師)
近大姫路大学 看護学部 准教授
高知県立大学 看護学研究科 災害看護グローバルリーダー養成プログラム 准教授を経て現職
災害看護、公衆衛生、国際看護を専門分野とし、国内外で研究に従事。東日本大震災やネパール地震などでの長期・広域にわたる健康支援を通じ、リスクコミュニケーションや減災ケアの研究に取り組む。人間の安全保障と減災に取り組む国際的な研究団体「EpiNurse(エピナース)」を創設。
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