がんの治療は、脱毛や皮膚の変色といった外見の変化をもたらします。アピアランスケアは、こうした患者さんが自分らしく日々を過ごせるよう、サポートする取り組みです。とはいえ、がん治療を行う拠点病院以外では、まだこの活動は浸透しているとはいえません。後編では、現状の課題、正しいケアを行うための心構えについて、国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長の藤間勝子氏に語っていただきました。
2022/6
がんの治療は、脱毛や皮膚の変色といった外見の変化をもたらします。アピアランスケアは、こうした患者さんが自分らしく日々を過ごせるよう、サポートする取り組みです。とはいえ、がん治療を行う拠点病院以外では、まだこの活動は浸透しているとはいえません。後編では、現状の課題、正しいケアを行うための心構えについて、国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長の藤間勝子氏に語っていただきました。
国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院 アピアランス支援センター センター長
公認心理師・臨床心理士
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最近は世の中も大きく変わってきたと痛感しています。今年4月、国立がん研究センター中央病院でがん治療を行う子どもたちのうち、中学生に進学した女子3名がウィッグをつけずに通学することになりました。これまでは親御さんがいじめを心配してウィッグを購入するケースが多かったのですが、当人たちは「別に隠すことでもない」と言い、帽子をかぶって通学しています。中には「髪が抜けた頭を友達に見せて、びっくりさせようと思うの」という子も。これも、小学校で「外見によるいじめや差別はいけない」という教育が浸透してきたおかげだと思います。社会に対する啓もう活動は、私たちも引き続き行っていきたいと考えています。
アピアランスケアの大きな目的は、きれいになることではなく、患者さんの心理的・社会的問題を解決してQOLを向上させることです。加えて、私が考えるアピアランスケアのゴールは、老若男女を問わず、誰もが自由に装い自分らしく社会とつながっていくことです。高齢男性であっても、髪が抜けてショックなら好きなウィッグをつければいい。思春期の女子でも、脱毛が気にならないならウィッグをつけずにそのままでいい。患者さん一人ひとりが自由に生きられるよう、サポートすることがアピアランスケアの役割だと考えています。
とはいえ、情報過多の時代ですから、患者さんは些細なことが気になります。そもそも、がんの患者さんは「私がストレスを溜めたから、がんになったんだ」「日々の食生活が間違っていたんだ」と考え、これ以上間違いを重ねないよう正しい行動を取ろうとする傾向があります。そのため、つい「ウィッグは医療用でなければいけない」「特別なスキンケアをしなければならない」と考えてしまうのです。しかし、ウィッグはバッグと同じようなもの。ものを入れるだけなら紙袋でもいいし、高級なブランドバッグを持ちたければそれを買えばいい。患者さんにも、「必ずしも高価な人毛の医療用ウィッグでなくていい。好きなデザインのものを買えばいい。必要ないなら、ウィッグを買うこともない」と伝えています。
アピアランスケアの対象は、患者さんだけでなくその家族も含みます。中でも難しいのは、がんになった子どもをもつ親のケアです。治療で髪が抜けたお子さんを見ると、ご両親は不憫でたまりません。特に母親は、「健康に産んであげられなかったのは私のせいだ」と自分を責める傾向があります。こうした場合、私は「これだけ頑張っている子を、“かわいそうな子”にしてはいけません」と話します。子どもに対して「かわいそう、かわいそう」と言い続けると、子どもは自分を「かわいそうな子なんだ」と認識するようになってしまいます。ですから、ご両親には「かわいそう」ではなく、「今のあなたが一番かわいい」と言い続けてほしいと伝えます。両親がかける言葉は、子どもの自信につながるのですから。
逆のパターンもあります。小学生の息子がいるがん治療中の母親が、「子どもは私の長い髪が大好き。子どものために、今と同じ髪型のウィッグが欲しい」と相談に来たことがありました。こうした方に、ウィッグを勧めるのは簡単です。しかし、この方の望みの本質は何かを考えました。この時、私が伝えたのは「外見は人それぞれ自由にできるもの。周りが決めるものではありません。ですから『長い髪を好きでいてくれてありがとう。でも、お母さんはこういう髪型にしたいんです』とお子さんに伝えてみませんか? 相手の事情や好みを尊重する大切さを教えるいい機会かもしれませんよ」というメッセージでした。多くの患者さんは「きれいなお母さん」でいるよりも、お子さんがよりよい人生を歩めるように育む「ちゃんとしたお母さん」でありたいと思っているので、はっとされていました。予後が厳しい患者さんほど、子どもに何を残したいのか、もう一度自分に問い直してほしいと願っています。患者さんとそのご家族に近い存在でもある看護師には、こうした活動も、アピアランスケアの一環だということを理解していただきたいと思います。
気持ちの滅入っている患者さんに対し、比較的取り入れやすいうえに意外な効果を発揮するのがマニキュアやネイルシールです。私は特別養護老人ホームや介護老人保健施設でボランティアをしていたことがありますが、当時から化粧よりもマニキュアのほうが高齢者の気持ちが晴れやかになると感じていました。化粧と違い、マニキュアをした爪は常に自分の目に入りますし、長い間つけておくことができます。しかも、ネイルを見た介護士や医師、周りの人たちが声をかけてくれるので、交流が生まれます。がん研究センター中央病院でも、外出できず、面会もできない患者さんが、ネイルシールを貼って友達に写真を送っていました。「体調が悪いのではないか」と心配していた友達も、「こんなことをして遊べるくらい元気なんだ」と安心し、連絡が増えたそう。つまり、社会的交流の維持につながったのです。
マニキュアが大変であれば、ハンドケアを行うのもいいでしょう。まず、レモンや花の香りのするハンドクリームをいくつか用意し、「どれがいい?」と患者さんに選んでもらいます。この“選ぶ”という過程が大切です。その人が選んだものを「いい香りですね。素敵です」と褒めると、患者さんは喜んでくれます。これは認知症の患者さんでも同じです。本人を尊重することにもなりますし、マッサージを通して気持ちもリラックスします。
終末期の男性に、ハンドマッサージを教えたこともあります。男性の中には、家族に感謝を伝えるのが苦手だという方も少なくありません。その男性は、マッサージを奥さんにしてあげることで感謝の気持ちを表していました。夫婦間で身体的な接触が減っている方々も多いので、マッサージを通じて親密だった頃のことを思い出すきっかけにもなります。マッサージをする力がなくなったとしても、手を重ねるだけでぬくもりが伝わります。がん患者さんは、どうしても“やってもらう”ことが多くなりますが、人間だからこそ人に“やってあげたい”という気持ちがあります。こうした機会を作ることも、アピアランスケアにつながると思います。
私は、アピアランスケアは、跳び箱の踏み切り板のようなものだと考えています。がん治療や治療による外見の変化という高い跳び箱を前にして、多くの患者さんは「跳ぶのが怖いな」と感じるでしょう。そこに「私たちがお手伝いしますよ」と踏み切り板を差し出し、「これで跳んでみましょう」と教えます。思い切ってポンと跳べたら、患者さんは踏み切り板のことなど忘れていい。自分の力で跳んだという経験が残りさえすれば、患者さんはその先も自分で動いていける。それでいいのです。
そのうえで、看護師や介護士には、エビデンスにのっとった踏み切り板を患者さんに提供してあげてほしいと思います。特にアピアランスケアは、さまざまな美容情報があふれており、流されやすい分野です。看護師や介護士のみなさんも、患者さんに対して悪気なく「敏感肌用の化粧品に替えてください」と言ったり、「これをしてはいけません」と行動を制限したことはないでしょうか。しかし、がんの治療で肌が乾燥することはあっても敏感になるというエビデンスはありません。そもそも“敏感肌”の定義も曖昧で、化粧品会社によって解釈が異なります。患者さんの嗜好や価値観にも関わることなので、医療、患者さんのケアにとって本当に必要なことを考えてほしいと願っています。
近年は、アピアランスケアに対する関心が高まり、正しい知識を持つ看護師や介護士も増えており、とても心強く感じます。とはいえ、特にがん治療の現場から遠い医療従事者は、まだまだ勉強の機会が少ないのではないでしょうか。「アピアランスケアを学んでみたい」という方は、ぜひ私たちがネットで公開している資材を活用していただきたいと思います。患者さん向けに作成した資料ですが、治療で髪が抜けた時にどうするか、眉毛をどのように描けばいいのかなどをまとめて提供しています。また、『がん治療におけるアピアランスケアガイドライン 2021年版』(金原出版)も、一助となるでしょう。いずれにしても、「アピアランスケアは患者さんの見た目をきれいにすることではない。心と社会の問題を解決することだ」という点をわかっていただくことが第一歩です。
看護師や介護士を目指すのは、「人のために役立ちたい」と考える心優しい方々です。患者さんが自分らしく自由に生きるために何ができるのか。その問いを今一度考え直すと、患者さんにとって、そして看護師・介護士のみなさんにとって、より良いケアができるのではないでしょうか。
国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院
アピアランス支援センター センター長
公認心理師・臨床心理士
大学卒業後、化粧品会社に勤務。在職時より化粧行動の心理・社会的影響に興味を持ち、退職後に公認心理師・臨床心理士の資格取得。2013年よりアピアランス支援センターに勤務。
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