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2022/2

家族を介護する18歳未満の子供たち ヤングケアラーの知られざる実態

家族の介護を担う18歳未満の子供たち「ヤングケアラー」の中には、悩みを抱えていたり、孤独を感じたりしている人も多くいます。こうした悩めるヤングケアラーに対し、医療従事者はどのようにして手を差し伸べればいいのでしょうか。ヤングケアラーの支援活動を行う濱島淑惠氏に、看護師や介護士が果たすべき役割について話をうかがいました。

濱島 淑惠

大阪歯科大学医療保健学部教授 / 「ふうせんの会」共同代表

2010年にイギリスで知ったヤングケアラーの存在
約20人に1人の高校生が家族のケアを担当

私が社会福祉に関心を抱いたのは、中学生の頃でした。きっかけは、札幌から大阪に移り住んだこと。大阪では、被差別部落の問題や在日コリアン差別などの人権教育が盛んに行われており、大きな衝撃を受けたのです。「民主的な日本で、まだこうした問題があるのか」と天地がひっくり返るぐらい驚くと同時に、無知だった自分に対して罪悪感を覚えました。そして、「もっと勉強しなければ」「すべての人が幸せに暮らせる社会をつくれないだろうか」と思い、社会福祉に興味を持つようになったのです。

その後、大学院で社会福祉を研究していた頃、一時的ですが、私の家族に介護が必要になったことがありました。当時は非常勤の仕事もしていたので、ケアとの両立にとても苦労することに。業務量やスケジュールなど、いろいろな場面で調整が必要で、学校でも職場でも常に謝り続けている自分に気づき、「私はそんなに悪いことをしているのだろうか」という思いがありました。そして、「きっと私以上に大変な思いで家族をケアしている人もいるだろう」と思い至り、家族介護に関する研究にとりかかるようになったのです。

こうした中で、2010年にイギリスの国際会議に出席した際、初めて知ったのが「ヤングケアラー」の存在でした。ヤングケアラーは、家族の介護や世話を行う18歳未満の子供のこと。最初は「ケアを担っている子供がそんなにいるだろうか」と半信半疑でしたが、大人の家族介護者の聞き取り調査を進めていくと、話の端々にヤングケアラーたちの存在が見え隠れすることに気づいたのです。そこで、2016年に大阪府立高校、2018年に埼玉県立高校を対象とし、ヤングケアラーの実態調査を行いました。その結果、約20人に1人の高校生が何らかの形でケアに携わっていることがわかったのです。最近では厚生労働省も全国規模で調査を行うなど、ヤングケアラーの存在が社会的にも認知されつつあります。私も尼崎市と神戸市に活動拠点を起き、自治体と共にヤングケアラーの支援体制の構築に取り組んでいます。

 

ヤングケアラーたちには仲間が必要
彼らを支援するため、当事者の集いを開催

2019年には、有志を集めてヤングケアラーたちの交流の場「ふうせんの会」を発足しました。これまで研修会に参加するたびに、「ヤングケアラーたちが仲間と出会える場が必要だ」という声が上がっていたため、現役・元ヤングケアラー、大学教員、ソーシャルワーカーなどの支援者とともに当事者同士が語り合える場を作ったのです。現在は対面とオンラインのハイブリッドで、お互いの体験を話す機会を設けています。奇数月に対面とオンラインで交流会を開き、前半はひとりのケアラーが自分の体験を話し、後半は小グループごとにみなさんが自身の体験を語り合っています。偶数月にはオンラインのみの交流会も開催。オンラインにしたことで遠方の人、介護で家を離れられない人も参加できるようになりましたが、その一方で会いたいと思ったらいつでも会いに行ける対面の環境も整えておく必要性を感じています。

こうした場を設けることで、ヤングケアラーにもプラスの効果が生まれているように感じます。「ふうせんの会」では参加者に感想を書いてもらうのですが、「介護でつらい思いをしているのは、自分だけだと思っていた。でも、ひとりじゃないとわかってホッとした」「自分の体験を初めて話せた。みんなに受け入れてもらえてうれしかった」「話すことで、自分の気持ちを整理できた」という声が届いています。孤独感を解消し、これまで言語化できなかった経験や思いを整理するとともに、みんなに受け入れてもらえる場になっているのでしょう。こうした場で元気をもらい、「もう一度学校に通い始めた」「就職活動を始めた」という方もいます。

私が「ふうせんの会」で目指しているのは、ヤングケアラーが自分だけでは成し得なかったことを実現できるようにすることです。まずは自分自身の経験を振り返り、自信をつけて一歩を踏み出してみる。その中で、大学卒業や就職という目標に手が届くこともあるでしょう。また、「ふうせんの会」では、取材に対応したり、ヤングケアラー支援について企業や団体からアドバイスを求められたり、都道府県や国の会議で発言したり、ヤングケアラーの現状を伝える啓発ビデオの監修を行ったり、普通に生活していると接点がないようなことにも参画できます。さまざまな機会を提供し、それぞれのヤングケアラーが目指す場所にたどりつくためのきっかけになれたらうれしいです。

 

身体的介護から精神疾患を患った親の心のケアまで
ヤングケアラーが担うケア役割

最近はヤングケアラーがメディアで取り上げられる機会も増え、世間の関心も高まっています。研修会で、ソーシャルワーカーなどの支援者と話すと「最近ヤングケアラーからの相談が多い」という声も。しかし、それはヤングケアラーの数が増えたわけではなく、報道を見て「自分はヤングケアラーだったんだ」と気づいた方が多いからではないかと思います。私が調査を行った2016年頃から、ヤングケアラーの総数が増えたかどうかはわかりませんが、可視化は進んでいるのではないかと思います。

ヤングケアラーの存在が顕在化し始めたため、私たちの研究活動においてもさまざまなケアラーに出会えるようになりました。人生の2/3をケアに費やしてきたという30代半ばの元ヤングケアラー、家族が次から次へといろいろな病気になり、ケアにかかりきりになっている方、精神疾患の母親から目が離せない方。出会った時には、「今は家族のケアがほとんど必要なくなった」と話していたものの、突然病状が悪化し、再び介護生活に戻っていく方もいました。

ソーシャルワーカーなどの支援者からは、さらに深刻なケースも聞いています。特に大きな問題を抱えていたのが、精神疾患の母親と障害のあるきょうだい数名と暮らす、ある10代のケアラーです。彼女は小さい頃から、家族の中でただひとり、母親ときょうだいの世話と家事も担ってきたそうです。小学校の途中からは学校に通えなくなり、中学卒業後はケアだけの生活になっていきました。地域の方がその子の存在に気づいたときには学力は低く、文字を書く、計算することも難しい状態でした。その後は、地域の民間団体が食事面を学校の先生が学習面をサポートしています。

これほど重大なケースばかりではありませんが、精神疾患の親をケアしている子供たちからは「達成感がない」という話もよく聞きます。1時間ほど親の愚痴を聞き、「ああ、すっきりした。ありがとう」と終わるならよいのですが、それで済むはずがありません。うつ病の患者さんであれば、「これだから自分はダメだ」という話がずっと続き、ヤングケアラーが手を尽くし、何とかしようと声をかけても一切成果が見えないこともあります。そういった毎日が繰り返されれば、ヤングケアラーも虚しさや無力感を覚えるのは当然でしょう。「自分には価値がない」と感じてしまったり、時には死を願ったりするケースも少なくありません。

しかも、このような家庭事情は学校の先生に伝えるのも困難です。身体的なケアならまだしも、「お母さんの話を聞いている」というだけでは相談しようがありません。先生側も、それが精神的なケアであることを理解するのはなかなか難しいでしょう。その結果、多くのヤングケアラーは「理解者がいない」という孤独に苛まれているようです。

「ふうせんの会」に参加したヤングケアラーの中には、「自分がヤングケアラーかどうかわからないまま参加したが、他の人の話を聞いてやっぱり自分もそうだと気づいた」と、他のケアラーとの交流を通じて自分の状況を自覚する方もいます。みなさんが想像する以上に、社会に埋もれたヤングケアラーは多いと言えるでしょう。


後編では、ヤングケアラーの支援体制、中でも医療従事者が行うべき支援について語っていただきました。

濱島淑惠

大阪歯科大学医療保健学部教授
「ふうせんの会」共同代表

1993年、日本女子大学人間社会学部社会福祉学科卒業、99年、同大大学院人間社会研究科博士課程後期満期退学。2017年、金沢大学で博士(学術)を取得。専門は高齢社会における介護、家族、ワークライフバランスなど。20年にはヤングケアラーたちの集い「ふうせんの会」を有志とともに立ち上げた。2021年度の神戸市こども・若者ケアラー支援アドバイザー、大阪市ヤングケアラーPTメンバーを務めている。主な著書に『子ども介護者 ヤングケアラーの現実と社会の壁』『家族介護者の生活保障-実態分析と政策的アプローチ』。

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