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2016/3

災害医療は自然災害だけではない。日常に起こり得るNBC災害に備える(前編)

私たちの生活の身近なところに放射性物質や細菌、化学物質などが存在し、福島の原発事故の例のように、突如として災害を引き起こす可能性をはらんでいます。NBC災害での対応を期待されている医療機関として、災害医療に力を入れている都立広尾病院があります。傷病者本人と医療従事者の安全を確保しながら治療するために、どのような対応を講じているのでしょうか。都立広尾病院の院長、佐々木 勝氏にお話をうかがいました。

佐々木 勝

都立広尾病院 院長

核や化学物質などによる特殊災害「NBC災害」

NBCとは、nuclear(核)、biological(生物)、chemical(化学剤)の頭文字を取ったもので、これらを原因とする災害を「NBC災害」といいます。近年ではこれにradiological(放射性物質)、explosive(爆発物)を追加して、「CBRNE(シーバーン)災害」と呼ばれることも増えてきました。
日本で約20年前に発生した地下鉄サリン事件や、2001年にアメリカで起きた、メディアや議員に対し炭疽菌が送り付けられる事件は、皆さんの記憶にも残っていることでしょう。これらはNBCによるテロリズムです。今後サミットやオリンピックを控える日本でも、こうしたテロが起こる可能性があると言われており、自衛隊などでは対策が進められています。

NBC災害はテロのような人為的な攻撃だけではありません。事故のパターンもあります。例えば、農業用の除草薬(有機リン)を使用した自殺、住宅火災の際に住宅建材が燃えることで有毒ガスが発生し、中毒を引き起こした事例、化学物質を積んだ車両が事故を起こし、物質が漏出した時などがこれにあたります。近年でいえば、福島第一原子力発電所での放射性物質の放出もNBC災害の一例といえるでしょう。

地下鉄サリン事件や福島第一原発の例があるにせよ、日本ではNBC災害の経験はほとんど無いような状況です。そのため、災害医療に特化した勉強をしている人でもなければ、一般の病院にはNBC災害について知識をもった人がほとんどいないのです。治療の知識はもちろん、放射性物質や化学物質の場合は、治療前の除染作業も発生しますから、そうした設備に関する知識を有する事務職員もいなくてはなりません。

災害時の拠点としての役割を担う広尾病院

都立広尾病院は、都内2カ所ある基幹災害拠点病院のひとつとして指定されています。当院は、都立病院の中でも、災害医療と島しょ医療に力を入れており、地震などの自然災害はもちろん、化学物質や放射性物質などによって起きるNBC災害に対する訓練を毎年行い、必要な設備・資器材などを準備しています。
震災などの大規模災害が発生した際は、東京消防庁と連携して、東京DMAT(医師、看護師、調整員による医療チーム)を現地に派遣します。東京DMATのように消防庁と密に連携する例は他道府県のDMAT隊にはなく、東京DMATの特徴です。他道府県のDMAT隊は、現地で二次被害に巻き込まれた場合、医療機関の自己責任となりますが、東京DMATは東京都による補償の仕組みができています。東京都との連携があるからこそ、しっかりした救護活動ができるのです。
NBC災害の場合も、病院職員の安全をしっかり確保したうえで対応します。

東京消防庁と合同で行う災害訓練の様子

医療機関が受け入れるNBC災害とは?

NBC災害というと、自然災害・事故などによるものとテロで引き起こされるものとを同一に捉えられることが多いのですが、実はここには大きな差があります。例えば、生物兵器を使ったテロの場合、兵器として使われる細菌は、現在確認されている細菌よりも感染力が強かったり、抗生物質などが効かないように人工的に手が加えられていたりして、一般的な治療法では対応できない可能性が非常に高いのです。簡易な感染対策も通じないでしょう。
こうしたテロリズムへの対処は、陸上自衛隊の化学防護隊や、消防の特殊災害対応部隊、警察などが当たります。悪意のあるテロへの対応は、医療従事者の命も狙われる非常にリスクが高いものです。そのため、私たちのような医療機関であっても対応は困難です。

一方、事故の場合であれば、テロとは異なり、原因となる物質の特定が比較的容易です。原因物質の特徴がわかっていれば、養生や除染を迅速に対応することもできますし、治療も可能です。当院が主に対応するのは、これら事故によるNBC災害の場合です。

浄化槽に落ちた傷病者を救う。消防庁と連携して行う除染と治療

2015年4月、都内の下水処理施設で、汚水浄化槽の中に施設職員が落ちるという事故が起きました。東京消防庁のレスキュー隊が捜索にあたり、当院からもDMAT隊が出動し、現場に向かいました。救出された職員は汚泥や浄化用の水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)に汚染され、心肺停止の状態で当院に搬送されました。

このような事故の傷病者を受け入れる際には、傷病者に付着した汚染物質を事前に除去し、病院職員や他の患者さんへの二次被害を防ぐ除染作業が必要です。本件の場合、水酸化ナトリウムは人の皮膚を溶かしますから、傷病者に付着した泥や水酸化ナトリウムを洗い落とさなければなりません。現地での除染では足らず、当院に搬送されてからも、当院の敷地内で除染作業を行いました。

本件では残念ながら傷病者の命を救うことはできませんでしたが、日頃の訓練があったからこそ、院内が混乱することなくDMAT隊の派遣とスムーズな受け入れができたと感じています。

医療機関におけるNBC災害の対応は、一朝一夕でできるものではなく、平時からあらゆる事態を想定して訓練を行う必要があります。後編では、こうした災害に備えるための当院におけるNBC災害対応訓練を中心に、お話いたします。

佐々木 勝

都立広尾病院 院長

【略歴】
1977年3月
東京医科大学卒業
1997年7月
都立府中病院 救命救急センター部長
2007年6月
都立広尾病院 副院長
2012年4月
都立広尾病院 院長

【資格】
日本救急医学会 専門医・指導医、日本脳神経外科学会 専門医、インフェクションコントロールドクター(ICD)、産業医

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