今月のインタビュー

医療・福祉のあらゆる分野の第一人者の方々に、ご専門分野に関する現状・課題・今後の展望などをおうかがいする「今月のインタビュー」。
多くの看護師、医療従事者の方々にとって"目指すべき医療とはなんなのか"を考えるきっかけにしていただけるよう、毎月テーマを厳選してお届けします。

第213回 2021/01

ニューヨーク在住看護師が直面した新型コロナウイルス第一波 凄絶な日々から得た学びとは

2020年3月、アメリカ・ニューヨーク州で新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生しました。5月末までに亡くなった感染者は約2万4000人。ニューヨーク市内だけで約1万5000人が命を落としたそうです。そんな壮絶な医療現場で、最前線に立ち続けたのが日本人看護師・岩間恵子氏。渡米に至った経緯、新型コロナウイルス第一波での過酷な経験について、貴重なお話を伺いました。



取材日:2020年12月15日

ペース大学 助教授
マウントサイナイ モーニングサイド病院 看護師
岩間恵子氏 氏

マウントサイナイ モーニングサイド病院

医師と看護師が二人三脚で支え合い、互いの意見を主張
渡米してわかったアメリカ看護師の自律性

私は現在、ニューヨーク市内にあるマウントサイナイ モーニングサイド病院で看護師をしています。当院は、約500床を有する総合病院。私は心臓外科・循環器系のICU病棟に所属しています。もともと私は東京生まれ、東京育ち。大学卒業後、ソーシャルワーカーとして重症心身障害者の支援をしていた時に訪問看護師の仕事ぶりに感銘を受け、看護専門学校と大学に通って看護師と助産師の資格を取得しました。当時から「卒業後はアメリカに行く」と決めていたので、日本で働くことなく2004年に渡米。英語が話せなかったため、語学学校に通うところから始めました。
 
アメリカで看護師として働こうと思ったきっかけは、学生時代から「アメリカの看護師は自律性があり、医師と同等に働いている」と何度も聞かされていたためです。当時の私にとって、看護師=医師のお手伝いというイメージ。看護師が自律して働くというのはどういうことなのか、自分で体験したいと思ったのです。
 
アメリカに来て、まず感じたのは教育の違いです。看護教育を通じて「看護師は専門職である」と教え込んでいるため、学生時代から自律性が根付くのだと思いました。また、男性の看護師、女性の医師が多いことにも驚きました。男女平等であり、医師と看護師の上下関係もありません。医師は治療、看護師はケアのプロフェッショナルとして働く姿に心を大きく動かされました。
 
私は和を重んじる日本文化の中で育ったため、自分から積極的に発言したり、リーダーシップを取ったりすることはとても苦手でした。しかし、アメリカの病院で最も強く求められるのは自主性です。今働いている病院の面接で、看護師長から「あなたはどんなことができますか?」と質問された時、私は「言われたことは何でも頑張ってやります」と答えました。すると師長は「私は言われたことをやるだけの人は欲しくありません。自主的に動ける人を雇いたいのです」とキッパリ返答。文化の違いに驚き、大きなショックを受けました。
 
アメリカの看護師に求められるのは、「Assertiveness」──お互いが相手のことを尊重しながらも、しっかり自己主張する姿勢です。それがなければ、看護の仕事はできません。事実、アメリカの病院では医師と看護師がそれぞれの知見を活かし、対等に話し合っています。医師の判断に疑問が生じたら、患者さんにより近いところにいる看護師が「こうしたほうがいいかもしれません」と助言することも。医師と看護師が二人三脚で支え合い、患者さんのために互いの意見を主張することが大事なのだと実感しました。
 
アメリカで働き始めたばかりの頃は、医師の指示を看護師が拒否するのを見て驚いたことも。たとえ医師の指示でも、それが患者さんにとって良くないと判断したら、看護師はしっかり拒絶します。「私はやりませんから、ご自分でなさったらどうです?」と医師に意見する光景を何度も目撃しました。医師もそれに対して怒ることはなく、「そうか。ではもう一度考え直そう」と意見を受け入れます。「Assertiveness」とはこういうことかと、痛感しました。

新型コロナウイルス感染症、壮絶な第一波
命を救えない無力感に打ちひしがれた日々

文化の違いに戸惑いながらも、私はニューヨークで看護師の仕事を続けていました。そんな折、2020年3月、ニューヨーク州で新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生しました。
 
ニューヨーク州は、アメリカ50州の中で最も新型コロナウイルス感染症の打撃を受けた州です。州内で約3万3000人、ニューヨーク市内だけでも約2万3000人が亡くなっています。市内で最初に感染が確認されたのは、2020年3月1日のこと。3月中旬から徐々に患者さんが増え、私が勤務する病棟では3月22日に最初の患者さんが入ってきました。とはいえ、その頃の私たちはまだ事態を楽観視していました。2014年にエボラ出血熱が感染拡大した時、私たちは入念な準備をしていたものの、それほど大きな打撃を受けませんでした。ですから、今回の新型コロナウイルス感染症についても、そこまで広がらないだろうと甘く見ていたところがあったのです。
 
しかし1週間後には、ICU24床がすべて新型コロナウイルス感染症の患者さんで埋まってしまいました。それでも病床が足りず、一般病棟や看護師の休憩室までICU病棟へと変更することに。病室の窓を壊してダクトを設置し、陰圧室にする改修作業をわずか1日で行うほどでした。次々に運ばれてくるのは、重篤な症状の患者さんばかり。ICUから生還した方は、わずか20%ほどでした。患者さんが次々に目の前で亡くなっていき、「こんなことがまさか私の人生で起きるとは」とまるで悪夢を見ているような思いでした。看護師の仕事は、命を救うこと。にもかかわらず、多くの命を救えなかった。本当にやるせない気持ちでいっぱいでした。
 
ICUに運び込まれた方の中には、重症度が高く、これ以上治療しても回復が見込めない患者さんもいらっしゃいました。医師とご家族が話し合い、延命治療の中止を選択するケースも。こうした場合でも、感染拡大を防ぐため、患者さんとご家族は最期のお別れをすることができません。呼吸器管理セラピストと私が人工呼吸器のスイッチを切り、私ひとり部屋に残って患者さんの手を握りながら看取ることが何度もありました。最もつらかったのは、患者さんをひとりで旅出たせてしまったこと。ある患者さんの人工呼吸器のスイッチを切り、お見送りもできないままほかの患者さんの元へ泣きながら駆けつけ、慌ただしくケアを行ったこともあります。その後、元の病室に戻った時には、先ほど人工呼吸器のスイッチを切った患者さんはすでに亡くなっていました。ひとり静かに息を引き取った姿を見て、「私はなぜ看護師になったんだろう」と自分を責めることしかできませんでした。

パンデミックを経ても、離職者はわずか
過酷な日々を乗り越えられた3つの理由

これほどまでに過酷な状況でしたが、それでも当院には離職した看護師はほとんどいませんでした。心が折れることなく第一波を乗り越えられた理由は、大きく3つ挙げられます。ひとつは、非常事態に直面した人間の強さです。コロナ禍の病院は、戦場のようなもの。たとえ一緒に進軍している兵士が隣で亡くなろうと、私たちは前に進まなければなりませんでした。ふたつ目は、私や同僚に、「看護師」という自負があったこと。看護職を選んだ者として、逃げ出さずに職務を全うすることが私の責任。また、「看護師以外に誰が苦しむ患者さんを支えるのか」という社会に対する責任感も、私たちが前に進む原動力になりました。そして最後は、同僚たちとのチームワークです。みんなでグループチャットをして、お互いの不安を話し合い、気持ちを確認しながら日々仕事に臨んでいました。さらに病院側も、精神科医と臨床心理士が24時間体制でカウンセリングに対応してくれました。同僚の中には「気持ちを聞いてもらうだけでも整理がついた」という方もいました。
 
また、どれほど患者さんが増えようとも勤務体制に影響はありませんでした。私が勤める病院は、12時間労働の2交代制です。私は週3日働き、毎月最終週のみ週4日働くことにしています。パンデミックの時にも週3日だけ頑張って働き、それ以外はリラックスして過ごすことができました。超過勤務を強いられたこともありません。どうしても看護師の人員が足りない時は、病院側が看護師に時給1万円を支払いました。1日働けば12万円になりますから、体力と気力のある若い看護師の中には頑張って超過勤務をする方もいました。
 
私が担当するICUは、人工呼吸器をつけた患者さんが多いため、特に感染リスクが高い部署です。そのため、マスクやガウンなどの物資が不足した時には、不安を感じたこともありました。実際、出勤しない同僚の自宅を訪ねたら、ひとりで亡くなっていたことも。同僚から奥さんに感染が広がり、私のICU病棟で看取るという経験もしました。しかし、マスクの着用や手指消毒を徹底したおかげか、結果的に6割以上の看護師は感染せずにすみました。ニューヨーク州のデータを見ても、医療従事者の感染者数は一般の方よりもかなり少なかったそうです。それでも、小さいお子さんや高齢の親御さんと暮らしている看護師の中には、ホテル暮らしをする人も。ホテルの部屋やレンタカーが無償提供されましたし、駐車料金も無料。看護師であることが証明できれば、路上駐車も許されていました。こうした州の計らいにも、大きく助けられました。
 
ニューヨーク州は、州知事が日々会見を行って今後の見通しを示したことで、5月末には第一波を乗り越えることができました。医療従事者を手厚く保護する施策も打ち出してくれたことにも、感謝しています。国民がマスクの装着、手指消毒、ソーシャルディスタンスを遵守するようになったため、10月までは感染者数を抑えることができました。
 
とはいえ現在は、気の緩みや経済の活性化、また、外食の規制が厳しいために、家族や友人を自宅に招きパーティーをする人が増えたことによる、自宅内での感染増加など受けて感染率が上昇傾向にあります。ICUに入る患者さんも少しずつ増えており、今後の動向が懸念されます。医療従事者の頑張りだけでは事態の収束は難しく、政治家のリーダーシップとの両輪でこの困難に対応すべきだと考えています。

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後編では、第一波での学び、当時の経験を踏まえた院内の改善点について伺いました。さらに、アメリカと日本の看護師の相違点についても深くお聞きしました。

後編はこちらから
社会が激変する今こそ、看護の現場を変えるチャンス
ニューヨーク在住看護師と考えるwithコロナ時代の看護

岩間恵子氏
 ペース大学 助教授
マウントサイナイ モーニングサイド病院 看護師
 
東京生まれ。ルーテル学院大学で社会福祉を学び、ソーシャルワーカーに。その後、看護専門学校、聖母大学(当時/現・上智大学総合人間科学部看護学科)助産学専攻科に進学し、看護師・助産師に。2004年に渡米し、ニューヨーク市のマウントサイナイ医科大学付属病院で看護職に就く。フルタイムで勤務しながらアデルファイ大学 看護学部博士課程修了。ペース大学 助教授に就任。
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